グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

道徳教育

イランはイスラーム独裁によって支配される国であるけれども、独裁によってコントロールできるのは人々の全体的な行動までで、いかなる手段を使っても人々の精神まではコントロールできない。逆に、人々の精神に関して言うならば、独裁による強制は全くの効果をもたらすだろう。もし人々が(消極的であれ積極的であれ)世俗的な利益を目的として信仰をするようになるのならば、それはまさに宗教の衰退そのものである。そして、上記の記事にあるように、宗教的な理由でイスラーム独裁政権に対して懐疑的なイラン人は実際存在するのである。このようなジレンマは歴史上様々な形で繰り返し現れる。例えば共産主義に対する信仰などはそうだ。成立してから70年後にソヴィエトは崩壊したが、その時点でいったいどの程度の人々が共産主義の理想を信じていたのだろうか?今に至るまで続くロシアの混乱を見ると、共産主義という宗教現象はいったい何だったのだろうかと思わざるを得ない。もちろん、すべての宗教というのはそのようなもので、そのときは必要だったから宗教として成り立っていたわけだけれども、このように宗教の衰退するプロセスを見ると今とある東アジアの島国の小学校で行われている「道徳教育」がいかに馬鹿げているか分かるだろう。政府がこれを熱心に行うほどに結果はむしろ逆である。それは実質的には学校という独裁体制下で行われる演技の指導なのであり、思ってもないことが書き並べてある子供の作文そのものである。「道徳教育」は、教育というものに対する信仰が衰退していることの表れであると同時にそれに対する信仰の衰退を一層加速させることになるだろう。