グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

オリンピックそのものが人命軽視である

なんだか、オリンピックを開催するのが人命軽視である、みたいなことを言っている人がいるけれども、オリンピックそのものが人命軽視なのに何を言っているのかと思う。そんなに人命が大切ならば、オリンピックやるのにかかる三兆円を医学分野の研究にそのまま投入すればよかったのだ。そうすれば三兆円分だけ医学は進歩するし、その結果として三兆円分だけ人命が救われることになる。そういうことにカネを使わずにオリンピックをやるということは、つまり初めから人命よりオリンピックのほうが大事だったのだ。それをいまさら人命がどうのこうの言い始めるのはまったくばかばかしいし、スポーツを健康に関連付けてオリンピックの延期を主張するのも滑稽に思える。スポーツなんて健康に悪いに決まっているではないか。スポーツ選手のケガを治療するのにいったいいくら「血税」が使われているというのか。そんなに健康に過ごしたいならばスポーツをするかわりに睡眠時間を長くした方が確実にいいわけで、だからオリンピック以前にそもそもスポーツそのものが人命軽視と言ってもそんなに間違っていないだろう。こういう状態では選手も準備ができなくてかわいそう、とかいう主張も下らない。こういう混乱した状態でも勝ってしまう選手こそ金メダリストに相応しいのだから準備なんてどうでもいいのである。イタリアなどで感染が拡大している今となっても、ヨーロッパからの入国は禁止されていない。そして、オリンピックが開催される頃にイタリアで大規模なイベントが禁止されているとも思わない。これらを考えると、オリンピックを中止するのは中途半端だと思う。逆に、ちょっと危険だからこそオリンピックをやるべきだ。そもそもにして、本質的にはスポーツそのものが人命軽視であるのだから。