グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

Twitterはいますぐ有料で過去ログを読めるようにしろ

ずいぶん以前から言われてきた事だけど、Twitterの経営がやばいらしいね。もうずっと赤字を垂れ流している状態で、その上に次々と出てくる競合サービスにユーザーがどんどん流出している状況だから、かなりまずい。

シリコンバレーでよくあるように、投資家から調達した札束を燃やしながら今まで運営してきたわけだけど、いつまで続くことやら。

だいたいにして、あんなにマニアックなシステムがこれだけ普及した事自体が奇跡的だったわけで、もっと普通の人のニーズに合った後発のSNSが出てきたら、ユーザーはそっちに移るよね。

まあ、今のままでは前途はとても厳しいと言わざるを得ない。

 

でも、やっぱりTwitterというのはないと困るサービスというのも事実だよね。

特に、日本の場合はポリコレに関係なくレベルの高い議論ができる重要なプラットフォームになっているので、これが無くなるとなると大打撃だ。

Twitterというのは英語でも日本語でも(多分どこの言語でも)1つのツイートにつき140文字なんだけど、これは日本語では本当に絶妙な長さなんだよね。

長すぎず短すぎず、どんな難しい事も表現できる。

 

これが英語とかだったら、一つの語に沢山の文字を使うから140文字の制限は非常に使いにくい。英語というのは日本語より圧倒的に文字数使うからね。漢字というのはネット時代には非常に重宝なもので、日本語では「調査結果」は4文字だけど、英語だとthe result of the investigationとか30文字を超えてしまう。

だから、なにかまともな事を書こうとすると簡単に140文字超える。

Twitterというのはジャック・ドーシーが俳句に影響されて作ったサービスという事になっているけれども、少し難しい事を140文字に収めるにはそれこそ俳句を作るように頭を使わないといけない。Tweetするたびに俳句なんかしたくないでしょ?

 

だから、Twitterというのは海外では下らない使われ方しかしないけど、日本ではものすごい深い情報を発信しているアカウントがある。

ところが、どんなに深い議論をしているアカウントでも、少し昔のTweetになるともう見る事ができない。重要な情報があっても、Twitterの更新をしていればそれは消えて無くなってしまう。

信じられないでしょ?

この事自体がすでに犯罪的だけど、これはビジネス的にもまずいんじゃないの?

こういうビジネスは、要するにユーザーが作ったコンテンツをお金に換えているわけだけど、愚かにもTwitterはカネの元になるコンテンツを毎日毎日、膨大な量を消し続けているのである。

ブログとか掲示板は時間が経つにつれてコンテンツという資産が増えていくけど、Twitterはその逆をやっている。これは経営的にも得策でないだけでなく、社会的にも大損失である。

 

こんなバカな事をせず、Twitterの有料会員は過去ログを読めるようにすればいいんだよ。

日本にはカネを払っても過去ログが読みたくなるようなアカウントがたくさんある。

無料で読めるのは最近のものまで、もっと昔のものを読みたいのならばご協力を、でいいんだよ。

これなら全員がハッピーでしょ。

月の料金は、Amazonプライムみたく月300円くらいでいいんじゃない?

 

日本語以外の言語の文字数制限も、杓子定規に140文字にするのではなく、日本語140文字分の情報を表すのにだいたい何文字必要なのか、という言語学的なデータから決めるべきだよね。

英語で日本語140文字分の情報を書くには240文字必要だったら、英語のサービスでも一つのツイート240文字にするとかさ。

今はブログとかでもスマートフォンで読まれているんだから、別に140文字でないといけない理由があるわけでもない。

理由が合理的ならばユーザーは納得するはず。

 

これらの事をやって、Twitterの経営が安定するかは分からない。

安定するかはわからないけれども、しかしこれらの事をやるのは正しい事である。

 

どうせ潰れるなら、せめて正しい事をやってからにしてくれよ。

追記

globalizer-ja.hatenablog.com

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

ブログをやっていて実感するブログの威力

ブログをやってて思うのは、ブログには意外に威力がある、という事だ。その威力というのはなかなか目立たないものなのだが、それでもある種の威力である。

 

はてなでブログをやっている人はみんな分かると思うが、ブログを運営していると無力感を感じる事が少なくない。

何から何まで全部パクリのキュレーション記事にブクマが何百もつく一方で、自分の書いた記事はぜんぜん読まれない。

これは本当に重要で知ってないとヤバイよ、パクリキュレーション記事に書いてある事は全部ウソだよ、という事を世の中に伝えたくても、全然伝わっていかない。

アクセスカウンターを見るたびに無力感を感じる。2年、3年とやれば状況は変わってくると思いつつも、こんな事では永遠に状況は変わらないのではないかと不安に感じる事も結構ある。

 

しかし、それでもブログにはある種の威力がある。

 

ブログをやっていて驚くのは、僕がやっているような過疎ブログでも場合によっては検索結果の相当上の方に乗るという事だ。

たとえば、今の時点でGoogleで「ポリティカルコレクトネス」というキーで検索を掛けると、検索結果の1ページ目は次のようなものである。

ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia

この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年5月); 脚注による出典の参照が不十分です。脚注を追加してください。
ノイジー・マイノリティ · 言葉狩り · 退行的左翼 · アファーマティブ・アクション

 

ポリティカル・コレクトネスとは?「平等」の本当の意味が面白い | 藤沢祐子 ...

2015/12/14 - 突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?

 

アンパンマンも不適切!?「ポリティカル・コレクトネス」が行き過ぎるとどうなる ...

2014/11/04 - 欧米が発祥の「ポリティカル・コレクトネス」という思想。1990年代以降、日本でも広まりを見せつつありますが、一方では"言葉狩り"ではないかとの指摘もあります。ここではポリティカル・コレクトネスの例をいくつかみながら、議論されている点を ...

 

ポリティカルコレクトネスとは - ニコニコ大百科 - ニコニコ動画

ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness 略称:ポリコレ, PC)とは、直訳で「政治的な正しさ(or妥当性)」。人種・性別・文化・民族・年齢・宗教・政治指向・性癖等々の違いによる偏見、差別を含まない言葉や用語や表現を用いることを意味する。

 

ポリティカル・コレクトネスとは - はてなキーワード - はてなダイアリー

ポリティカル・コレクトネス」とは - 直訳すれば「政治的に正しい」、もしくは「政治的正しさ」 主にアメリカで広がった、偏った用語を追放し中立的な表現を使用しようという運動(Political Correctness、PC)を...

 

反日ポリティカル・コレクトネス - グローバル引きこもりブログ

2016/11/23 - 今回ポリティカル・コレクトネスを全面に打ち出したヒラリーが負け、土足でポリティカル・コレクトネスの上を歩きながら選挙活動を行ったトランプが勝ったのは日本にとってもいろいろな意味で重要だ。 というのは、人種差別がどうの反イスラム ...

 

ポリティカルコレクトネス【political correctness】の意味 - goo国語辞書

ポリティカルコレクトネス【political correctness】とは。意味や解説、類語。人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当である、という意味で使われるようになった。

 

ポリティカル・コレクトネス | 現代美術用語辞典ver.2.0 - Artscape

ポリティカル・コレクトネス. Political Correctness. 特定の言葉や所作によって差別的な意味や誤解が含まれないように、政治的に(politically)適切な(correct)用語の使用を是とする態度のこと。政治的妥当性。「PC」と略される。西洋的な白人男性中心主義と ...

 

アメリカ人、差別批判が怖くてうかつに口を開けず エスカレートする ...

2016/09/20 - 日本でも最近耳にするようになった言葉だが、アメリカでは多くの人が、日本人の想像以上にポリティカルコレクトネスに気を遣いながら暮らしている。

Wikiやキュレーションメディアを除けば、僕のエントリーが検索結果のトップにくる。

ハフィントンポストが「突然ですが皆さんはポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いたことがありますか?」とか言っている所に、いきなり

今回ポリティカル・コレクトネスを全面に打ち出したヒラリーが負け、土足でポリティカル・コレクトネスの上を歩きながら選挙活動を行ったトランプが勝ったのは日本にとってもいろいろな意味で重要だ。

なんて言っている僕のブログが表示されてしまうのだ。

「ポリティカルコレクトネス」というキーで検索を掛けた人はまず、大体僕が書いた記事を読む事になるだろう。

globalizer-ja.hatenablog.com

これは自分でもものすごいうまく書けた記事だと思っているのだが、イントロから分かる通り、これ以上過激な事を書くのは不可能なくらい過激な事を書いてある。

はてな左翼を大炎上させようと思って過激な事を書いたのだが、残念ながらはてなではそれほど読まれなかった。はてな左翼は日本語しか分からない人が多いので、英語の話になるとやりにくいのかもしれない。

しかしはてなでは読まれなくても、リベラル原理主義に支配されているはずの検索エンジン会社は僕のページをレーティングして、こういう記事を検索1ページ目に持ってきてしまうのである。それほど長文の記事ではないが、検索エンジンはユーザーの行動を常にモニターしているので記事の長さの割りには読者の評判がよかったのだろう。

 

僕はまだそれほど長い間ブログを運用しているわけではないが、このような経験は他にもある。

たとえば、Googleで「ハーバード ケネディスクール」というキーで検索を掛けると、以下のエントリーが検索結果の2ページ目に表示される。

globalizer-ja.hatenablog.com

ハーバードというのは上流市民の象徴で、実際にここの学生や出身者はだいたい上流市民である。だから、人々がなにかハーバードについて言う時はどうしても、高貴な人を仰ぎ見るような感じになってしまう。

しかし僕が思うのは、ハーバードを始めとするアメリカの名門大学はこれほど意識が高い人だらけなのに、どうしてアメリカの社会はこんなに問題だらけなんだろうか、という事だ。

 

アメリカの名門大学の学生というのは、みんな意識が高く、リーダーシップがあり、優秀で努力家で前向きである。

そういう学生は当然、卒業後はそれぞれ大企業などで権力の中枢に入っていく。

これだけ意識が高い人たちが権力を持つのだからアメリカというのは夢の理想国になりそうなものだ。しかし、今のアメリカは理想国どころか、トランプのようなアウトサイダーの大富豪が大統領になるような状態である。

では、一体そういう意識の高い学生は名門大学の修士号とか博士号を取った後、権力の中枢で何をしていたのか?

答えは、オバマとかヒラリーみたいになるのだ。

あれが意識高い学生の数十年後の姿である。

ハーバードなどでヒラリーがどのように支持されたかを見ると、これはそう簡単には変わらないと思う。

 

こういう点を批判しないといけないのに、聞こえてくるのはアメリカの大学がいかに素晴らしいか、ということばかりだ。

そんな中、意識高い系のキラキラ情報の中で一つだけ、ブログでなければ絶対書けないような過激エントリーが検索結果の1ページ目、2ページ目にくる、というのはやはりすごい事だと思うし、見ていて爽快感がある。

もちろん、検索で上の方に乗ったからといってアクセスが急激に増加するわけではない。ポリコレの記事のアクセスは一日に20とか30とかだし、ケネディスクールの記事に至っては一日に3アクセスとか、そんなものだ。

それでも、検索すると僕の書いた記事が世の中の専門家が書いた記事より上にくるのを見ると、ブログの潜在的な威力というものはものすごいものがあると実感する。 

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

一度にいろいろな事に意欲をもちたい

どうも、一つの事にしか意欲が持てなくて困る。

たとえばブログなどでも、もしブログだけやるというならばそれはそれほど難しい事ではない。どんな事があっても一日一度更新して一年間で365記事を書け、と言われたら難しいというか今の自分にはほとんど無理だが、まあ月に20記事くらいだったら普通にできると思う。

問題は、他の何かをやりながらブログを書く場合だ。ブログ以外の事に取り組み始めると、どうもブログを書く意欲がなくなってくる。平たく言うと書くのが面倒になってくる。ブログを書く意欲がブログ以外の事をやる意欲の方に移ってしまって、どうにもやる気がなくなってしまう。

逆になんかやっている時になんかのはずみでブログをやる意欲が出てきた場合、それまでやってきた事をやるのが面倒になってくる。それでネットばかりしてブログを書くだけの生活になってしまう。まあ、ブログだけやっている時期でもそんなにエントリーを書くわけでもないけれども。

こんな感じだと、物事を計画通りに進める事が全くできない。いつ意欲が出てきていつ意欲が消えるのかわからないのだから計画もなにもない。計画がいつ始まっていつ中断しいつ再開され、最終的にいつどれくらいまでの目標が達成されるのか自分でもわからない。三か月ですむのか三年かかるのかも分からないレベルだ。

正直、今まではそのようなやり方でも特に問題は感じていなかった。いや、状況を考えると問題を感じないなんてとんでもない事だが、まあ社会人(社会的人間)ではないし社会的な人間であるために必要な意欲も大してなかった僕には関係ない事だった。

それには目標というか、将来なにをやるかという事に関する具体的な構想があまりはっきりしていなかった、というのもある。将来どういう事をやっていくか、というのは大体は決まっていたけれども、まだリアリティーがぜんぜんなかった。リアリティーがぜんぜんなかったから、とりあえずのんびりと何をやるか考えながら適当に出来る事をやっていこう、という感じでこれまでの時間を過ごしてきた。

しかし、今まではそうでも、いろいろと構想がはっきりしてくると分かる事がある。

時間が全くたりない。

こんな調子でやっていたら、やらなければいけない事の十分の一くらいしかできない。さすがにまずいかな、と思い始めた。これまでの自分を振り返ってみると、どれくらいのペースで物事が進むかはよくわかっている。いままでのペースでは明らかに遅すぎる。もっとペースを上げないといけない。

ペースを上げるには効率をあげないといけない。効率をあげるには計画的にやらないといけない。計画的にやるには、一度にいろいろな事に意欲を持たないといけない。いや、ほんとは意欲があろうがなかろうがやるしかないのだが、とにかく意欲を持たないといけない。

なにか2つの事を3時間ずつやって、あとはブログとネットを3時間やる、みたいな感じにできないものか。これまでの自分を振り返るとこれは簡単な事ではないが、少なくともこういう風に時間を使う方法はないものか思考錯誤をする必要があるな、と思う今日この頃だ。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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 多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

激安スキーツアーと資本主義の困難

軽井沢スキーバス転落事故から一年が経った。

いろいろな意味で資本主義の困難を象徴する出来事だったと思う。

 

なんでこの事故が世間の注目を集めたか、というと、被害者に何人か裕福な家庭の大学生がいたからだよね。もちろん、本当にカネが無い人にとっては大学生をしてスキーツアーに行くという事自体が裕福な事なんだろうけど、すごい裕福な学生が激安スキーツアーに参加して亡くなったというのがこの事故が騒がれた原因だと思う。

この話を最初に聞いたとき、僕はちょっと激安スキーツアーってどんなんだろ?と思って旅行業者のページを色々見ていた時期がある。それで分かったのは、激安スキーツアーの価格設定って本当に激安なんだよね。

いや、始めは報道の中に「一泊三日」のツアーと言っているのを聞いて、一泊三日ってなんなんだろうか、と思って興味を持ち始めたんだけど、スキーツアーの内容を見てみたら値段が本当に激安だった。

一泊三日というのは、ようするに長野とか新潟とかのスキーリゾートに向かう途中で車中泊するからなんだけど、スキー用品とウェアの貸し出し、リフト券、ホテルでの宿泊費(食事つき)、バス代金など全部合わせてたしか一万二千円くらいだった。

なんだか不安になってくるような価格設定だ。

もちろん、ここは日本なんでこういう価格設定でもそれぞれの業者は真面目に仕事をしているわけで、事故を起こしたツアーも特におかしそうな所はなかった。だから事故はたまたまなんだけど、やはり無理があったという事だろうね。

 

話は戻るけど、事故で亡くなった学生にはかなり裕福な学生がいた。今はSNSとかあるから、そういうのが丸わかりなんだよね。海外に行ったりさ、着てる服とかでもわかるじゃん。

そういう学生が一万二千の激安ツアーに参加して亡くなるところに資本主義の難しさがあると思う。

だって私大に行くには年に100万くらいかかるでしょ?そういう家庭はその100万を出せるキャッシュもあれば、フローもある。ポンと出せるわけだよね。

でも、いくら裕福な家庭でも、「友達とスキー旅行に行くから10万円ちょうだい」という事にはならない。そういう事にカネを使うのに抵抗があるから。でも私大に行くとか、海外旅行、海外留学にカネを使うのに抵抗感はないだろうね。なぜなら、それは投資だから。

「友達とスキー旅行に行かないから1万円ちょうだい」という事にもならない。

やっぱりね、人間は投資には大きいカネを投入できるけど、消費にはあんまりカネを投入できないものなんだよ。そこに資本主義の困難があると思うね。

裕福な人は消費する代わりにガンガン投資して、どんどん資産を増やしていく。みんなガンガン投資するから、投資額もデカくなる。ハーバード卒業するのに5,000万とか、そういう事でしょ。5,000万投資して1億儲かるなら、みんな5,000万投資するわ。

それで、5,000万でハーバードを卒業したらその5,000万はどこかで取り戻さないといけない。

 

だから「構造改革」というのは危険で、規制というのは重要なんだよ。規制がなくなっても裕福な家庭の学生が激安価格でスキーに行けるようになるだけだからね。

しかし、ツケは誰かが払う事になるわけで、それは必ずしも「無能な」貧乏人だけが払うとは限らない。

今回の場合それを払ったのは亡くなった大学生で、75年前は徴兵されて亡くなったボンボンの大学生だった。

自由な社会というのは、規制のある社会よりも危険である。もちろん、カンが鋭ければ危険というのはかなり避ける事が出来る。例のバスツアーでも、東大・一橋・慶大からは犠牲者は出なかった。それは単なる偶然かもしれないし、事故になったバスツアーに参加した人には多かれ少なかれ怖いもの見たさの冒険主義があったと思うけど(そして、生き残った人はいくら金を出してもできない貴重な経験をしたわけだけど)、危険を察知して少し高いツアーにした学生はいると思う。

立教・青学・明学・明治などからも犠牲者はでてないので、ぱっと見た所スクールカラーが出た感じだったよね(明治のスクールカラーは今、どうなっているんだろ?)

あるいは、ツアーの出発地点とキャンパスの所在地の位置関係の影響で決まっただけかもしれないけど、ほかのスキーツアーの出発地点も同じようなものだろうし。

まあ、こういうスキーツアーで犠牲者を出すというのはあまり名誉な事ではない。

 

それはともかくとして。

構造改革が完全にオワコンになったのは、やっぱり裕福な階層にもその危険性がだんだん分かってきたからだろうね。どういう形でトラブルに巻き込まれるかわからないわけだからさ。

自由で安全な社会というのは存在しない。自由で危険な社会か、規制があっても安全な社会かのどちらかを選ばないといけない。規制というのは安全を確保するためにあるわけだからこれはトレードオフなんだよ。

一年前のバス転落事故はこの事を象徴しているよね。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

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オバマの退任演説を見た

テレビの中継でオバマの退任演説を見た。

なかなかいい話だった。

でも、いい話というのは確かなんだけど、失敗を失敗と認めるわけにはいかない苦しさが出ていたと思う。少し熱気や盛り上がりに欠ける演説だった。それは退任演説ということもあるだろうけれども、やはりオバマのようなスタイルの政治の問題点が明らかになりつつあるからなんだろうな、と思った。

オバマが大統領になった時に多くの人々がアメリカ社会は大きく変化するだろうと思っていた。しかし8年後の今、オバマの政治のためにアメリカ社会が本質的な意味で変化したと考える人はおそらく一人もいないだろう。オバマの政治の方向というのはアメリカ社会を根本から変えるようなものではなかった。だからオバマの政治によってアメリカの社会は全然変わらなかった。

オバマの政治は基本的に、経済的にも社会的にも自由主義的なものだった。その政治の方向は、TTPとTTIPの推進の仕方によく表れている。右翼・左翼に関わらず、これらの自由貿易協定を非常に危険なものとみなす人は多かった。ところがオバマはこれらの自由貿易協定がどのようなものになるのかに全く無関心であるように見えた。

僕はオバマ自由貿易の危険性に関する発言を聞いた事がない。オバマの話から聞こえてくるのは、自由貿易というものは基本的には良いものであるという一般論ばかりだった。要するに、これらの協定の締結を既得権益層に丸投げしたのだ。

オバマがどのような人間であるかを理解するには、オバマが何に関心を持ったのかだけではなく、何に関心を持たなかったのかに注意する必要があるだろう。たとえば遺伝子組み換え食品について、オバマの姿勢は基本的にはこれらのビジネスをする大企業の方針を追認するようなものだったはずだ。オバマが無関心の中で追認した大企業の危険そうなビジネスは少なくない。

そしてもちろん、オバマは社会的にも自由主義的な政治家だった。自由貿易の危険に関しては無関心である一方、オバマは人種問題や宗教の自由などについて積極的に発言した。政治的な関心の持ち方において、オバマの関心は裕福なリベラル派のものと全く変わらなかった。それは本質的に、裕福なリベラル派の利害と衝突するものではなかったのである。オバマが経済的自由主義の問題点に強い関心を持っていたのは確かである。しかし、もし社会的自由主義に基づく社会の帰結が経済的自由主義に基づく社会である場合、オバマが行ったような政治は問題を解決できない。

最後の演説になってもいつものように、アメリカの例外主義を何の抵抗もなく(もっと言えば何の反省もなく)打ち出しているのも興味深い。何々がアメリカを世界で最も素晴らしい国にしているのです、というアレである。この何々にはフリーマーケットとか移民とか多様性とか男女同権とかその時々で様々なタームが入るが、ポリティカル・コレクトネスの嵐が吹き荒れる中でこのアメリカの例外主義だけは何の問題もなく公言できるというのは考えてみたら不思議である。

このアメリカの例外主義が海外での軍事介入につながるのはオバマ政権でも変わりがなかった。大きなヘマをするなら何もしないほうがマシ、という教訓はオバマ政権になっても学ばれる事はなかった。演説の中で、アメリカの価値観を守るには世界をアメリカみたいにすればいい、みたいな発言があった時は驚いた。中東がこういう悲惨な状態になった後でこういう発言がある所にリベラルの介入主義のしぶとさを感じた。

オバマは変化の重要性を強調したけれども、基本的には現状を肯定する政治家だった思う。現状肯定だから自由主義と介入主義になるのである。オバマがいう変化というのはアメリカを「理念」を実現させるような変化で、裕福なリベラル派が口にするような理念そのものに問題があるとは考えていないのだ。

オバマの政治でアメリカが変わらなかったのは、オバマが信じる理想がこれまでのものと同じだったからである。もし価値観が以前と変わらないならば社会が変わらないのは当然の事と言える。

新しい社会には新しい価値観が必要なのだ。

結局オバマの政治はヒラリーの敗北という形で否定された。オバマ政権の8年というのは理想主義の限界が明らかになった8年だと思う。結局、リベラル派の理念は裕福なリベラル派が一番トクをする理念であり、ここ2,30年ほどの流行りものに過ぎない。もしオバマの理念が普遍的なものならば、それはもっとうまく行くはずなのだ。所詮は流行りものだからうまく行かないのである。

これからのアメリカ政治は理想主義的(idealistic)なものから現実主義的(pragmatic)なものへと変わっていくだろう。

オバマが退任演説を民主党支持者の集会で行った事には賛否両論あるが、僕としてはこの選択を肯定的にとらえたい。演説の中でオバマは今後も一市民として理想を実現するために活動すると明言した。そういう意味で、今回の退任演説は終わりであると同時に始まりでもあるのであり、この始まりを大統領としてではなく一人の政治活動家として宣言するというのは正しい判断だと僕は考える。

一人の英語学習者としては、もうオバマの話をテレビで聴けないのかと思うと少し残念に感じる。その主張に賛成するかはともかくとして、オバマの話というのは面白いのだ。その話芸は天才的で、政治家というのはこう話すべきだという見本である。今回の演説でも、最後にyes, we canという所はうまいなあ、と思った。

オバマの政治活動は今後も続いていくので、その動向は時折チェックしていきたい。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

英語教育の諸悪の根源

日本の英語教育がこれほど酷いのは、教育のすべてが、英語というものは「自然に」学習できるものである、という完全に間違った認識に基づいているからだ。

英語というのは自然に学習できるし、そう学習されるべきだという思い込みが英語教育の諸悪の根源なのである。

ようするに、英語というものは使っているうちに使い方が分かってくるのだからとにかく英語を使う機会を増やしさえすれば英語が使えるようになる、という考え方だ。

このような考えが一体どこから来るのか不思議だけれども、とにかく日本の英語教育はすべてこの考えに基づいて行われている。

だから日本の英語教育は単語と文法をものすごい軽視する。

単語と文法なんて何もしらなくても英語というのは理解できるようになる、という事を言い続けてきたのが日本の英語教師である。

 

しかし、英語というものは意識的に、理詰めでやらなければ絶対に分かるようにならない。

単語と文法が分からないのに英語を理解するのは不可能である。

日本人の英語力が悲惨なのは、日本人が必要な英語と文法を知らないからなのだ。 

特に、外国語を勉強する上では単語をどれくらい知っているかが重要になる。

英語の力なんて、ほとんど9割以上単語をどれくらい知っているかで決まるといってよい。

必要な単語を知っていれば分かるし、知らなければ分からない。簡単な話だ。

だから英語を使えるようになるには英単語を勉強しないといけないけれども、これも何回か辞書で引いたら自然に覚えるようなものではない。

自分で単語のリストを作るなどして、徹底的に単語を頭に叩き込まなければいけない。

 

単語と平行して勉強しないといけないのが文法である。

でも、実は文法というのは文法だけ勉強してもほとんど効果がない。

普通、数学の定理を知っているだけでは数学の問題が解けないのと同じである。

数学の問題を解けるようになるには、いろいろと例を見てどのように定理を使えば問題が解けるのかを勉強する必要がある。

それと同じように、英語も文法の参考書を読んだだけではなかなか文法が身につかない。

実際に文法書の内容を身につけるには、英文解釈の参考書を読む必要がある。

英文解釈の参考書を読めば、英文を読むために文法の知識をどのように役立てればいいかが分かる。

英単語を1万語くらい覚え、難しめの英文解釈の受験参考書を3回くらい読めば、どんな英語の勉強をするにも十分な基礎が出来ているので後は楽勝である。

 

必要な単語と文法が全部分かっていれば、英語はすべて理解できる。

逆に必要な単語と文法が分からないと、英語は絶対にできるようにならない。

単語も文法も必要ない、みたいな感じの英語の学習法はいかにも楽そうに見えるが、そういう学習法は効率が非常に悪いから全く割りに合わない。

もし10倍楽な学習法があるとしても、効率が1,000倍悪いならば全然意味がない。

日本の英語の学習法というのは、ほとんどすべてがこの類である。

英語をどう勉強すればいいか迷っている人には、単語と文法(英文解釈)の勉強を通して、必要な事を直接的に学んでいくのが一番効率がよく、したがって一番楽な英語の勉強法であるということを言っておきたい。

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

自然体でないブログは消えやすい

はてなでブログをしている人はみんな分かると思うけれども、ブログというのは消えやすい。

読者登録をした当初はすごい勢いで更新していたのに、いきなり更新頻度が落ちたり、場合によっては完全に更新が停止してしまったりする。最近「購読しているブログ」のページに出てこなくなったな、と思ってブログに行ってみると、数か月前に更新があってそれっきり、という事がよくある。

僕のブログも最初の月は記事を30以上書いていたのに3か月目は13くらいしか記事を書いていなかったりするのであまり大きなことは言えないが、一定の割合のブログは数か月で脱落する。

プロ野球選手だって、ドラフトで指名された時はみんな期待の新人だけども、その内のほとんどが数年で戦力外に追い込まれる。ブログもそれと同じようなもので、読者登録をした時はどのブログも前途洋々に見えるが、現実にはかなりのブログがそのうち休止したり、更新頻度が激減してしまう。

一年続くブログというのはブログの内で半分くらいらしい。もし一年で半分のブログが更新をやめてしまうとすると、2年、3年後に更新が続いているブログは相当少なくなるだろう。

ブログはだれでも出来るけど、プロのスポーツ選手と同様、ブログの世界でも長い期間現役を続けるというのは難しい事なのだ。

 

しかし、そのうち更新がなくなる一方で、始まった当初と変わらない様子で更新が続いているようなブログもある。

もっとも有名ブログといってもほとんどの有名ブログはせいぜい2,3年続いているだけだけれども、安定して更新をしているな、という感じがするブログはある。

こういう有名ブログと更新が止まるブログの何が違うのか?

僕が思うに、更新が続くブログと更新がなくなるブログの違いは自然体で運営できているかどうかだと思う。

 

たとえば、ブログパーツとフリー画像がテンコ盛りになっているようなブログというのは案外消えやすい。そういうブログを運営するのは全く割に合わないからだ。見栄えのするブログのページを作るのは面倒だし、検索エンジンに「評価」されるような「読者の役に立つ」長文記事を書き続けるのは、普通ならばうんざりするような作業である。

そういううんざりする作業を月に何百時間も続けて得られる収入が月に数千円とかだったら、ブログを更新する気力がなくなるのは時間の問題にすぎない。

ところが、凝ったデザインのブログであっても長続きしているブログというのはある。

そういうブログをやっているブロガーは、凝ったデザインのブログを作るのに必要な作業自体が好きなんだと思う。模型マニアが模型を作るようなもので、そういうブロガーにとっては普通の人が面倒に思うような作業こそが面白いのだ。

つまり、そういうブロガーは凝ったブログを自然体で運営できるのである。

ブログの内容にしてもそうだ。

たまに、読者の役に立つ情報を書くとか、「ネガティブ」な事は書かないことにしています!みたいな事を言っているブログがある。もしそういう事ばかり書くことに何の抵抗もなければ、もちろん問題はないと思う。

しかし、もし何か言いたい事があるのに無理をしてそれ以外の事を書いているのならば、ブログはだんだん停滞していくだろう。

それは自然体でないからだ。

 

ブログというものは書きたいように書いていればすぐにアクセスが付いてくる、というようなものではない。

しかし、これだけ更新が停止するブログが多い事を考えると、結局は自然体でブログを運営したほうがいいんだろうな、と考えてしまう。

ブログというのはそこそこアクセスがあり、そこそこ収入があればそれだけで続くように思えるけど、実際はそうなっていない。

まあ、無理なブログ運営をして数か月で更新を投げ出すよりも、最初は不人気でもずっとブログを続けたほうがいいんだろう。もし3年、4年と続いているブログがそれほどないとすると、3年、4年と続けているだけでそれなりに有名になるはずだ。

ブログをやるとどうしてもアクセス数を意識したブログの運営方法になりがちだが、アクセスがあるかどうかよりもその運営スタンスを続ける事ができるかという方がもっと重要なんだと思う。

電子出版した本 

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。