グローバル引きこもりブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール acc4297gあっとgmail.com

なぜ受験科目に古文があるのか

時々なんで受験科目に古文なんてあるのかというような意見を目にすることがあるが、難関大学の受験科目に古典のような科目があるのは合理的だと思う。

まず、勉強というのはなにかというと、基本的には選抜である。

だから、受験科目に古典があることについて考えるには、古典の知識が今の社会で役に立つかどうかという観点ではなく、古典という教科によってどのような人間を選抜しようとしているのかを考えなければならない。

ここで重要なのは、古典を学ぶということは日本の伝統や文化、歴史をリスペクトするということだということだ。

いまの日本人がいまの日本人であるのはこれまでの日本の伝統があるからで、今に伝わる古文を学ぶことは日本の伝統を直接学ぶことである。

つまり、古文が受験科目に入っているということは、日本の教育制度が日本の伝統を尊重して積極的に学ぶ生徒を評価しているということだ。

これはそれなりに合理的だと思う。

もし、日本の伝統なんてどうでもいいという人がどんどん東大や京大に入るようになったら日本は無茶苦茶になってしまう。

ある意味、古文というのは現代文よりも重要なのだ。

これからの時代は、民族の伝統や文化、歴史がというものがこれまで以上に重要になってくることが予想される。

古典の重要性はもっと認識されるべきだと思う。

電子出版した本 

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

羽生結弦のオリンピック連覇

正直言って驚いた。

何が驚いたかといって、羽生結弦のオリンピック連覇だ。

羽生がオリンピック三カ月前になって右足に大怪我をしたあと、強気の発言が伝わってくる度に、いくら何でも連覇は厳しいんではないか?と誰もが思ったと思う。

ところが、ショートプログラムは三カ月前に松葉杖をついていたのが信じられないような神懸かった滑りで、それまでの強気発言というのは単に客観的な事実だったのか、と始めてわかった。

そして、今日行われたフリーでは、ミスはあったもののやはり神懸かった滑りで、結局羽生は平昌でも金メダリストになったのだ。

僕は羽生が「絶対王者」といわれていることは知っていたが、いままで何で羽生が絶対王者といわれているのか知らなかった。

しかし、今回のオリンピックで他の選手の滑りとくらべて見ると、あらゆる面でスケーティングの精度がまるで違う。

ジャンプの正確さはもちろん、ステップなどもものすごい。

あまりにも無駄な動きがないので何をやっているのかわからないほどだ。

他の選手だってもちろん急速にレベルを上げてきているが、まだ神懸かっているといえるレベルまでは到達していない。

これだけ神懸かり的な技術があれば、それはメンタルだって強くなる。

羽生を超えることができるのは、当分の間は羽生本人だけだろう。

まだ右足の負傷が治りきってもいないのにこれだけの滑りができるという事は驚異的だ。

それにしても、いまのフィギュアスケートの「絶対王者」が日本人というのはなんとなく不思議な感じがする。

 もちろん、これまでもオリンピックで金メダリストになった日本人はいるわけだし、フィギュアスケートというのは国力が影響する分野なのだろうから日本人がフィギュアスケートの「絶対王者」であっても不思議はないが、そうあることではないというのは確かだ。

東洋人、しかも敗戦国出身ということで日本人は何かと舐められがちだ。

今回の羽生のオリンピック連覇は、そういう点でも価値がある。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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ヨーロッパやアメリカでは選手は自分のためにプレーしているという妄想

オリンピックなどのビックイベントがあると、いつも、日本人選手は自分のためにプレーするべき!国のためにスポーツをしているのではない!みたいなことをいう連中が出てくる。

まるで、ヨーロッパやアメリカでは代表選手が自分のためだけにプレーしているような言い方だ。

しかし、オリンピックやサッカーワールドカップなどで国を代表して戦う選手で自分のためだけにスポーツをする選手なんて世界のどこを探しても存在しないだろう。

僕は英語を勉強していたとき(まあ今でも勉強しているけれども)、たまにiPlayerをつかってBBCのラジオ番組を聞いていた。

それで、いつのワールドカップだかが開催されたときも5Liveなどを聞いていたのだが、ワールドカップが終わった後ある番組で、街で代表選手をみたら何というか?と言うお題でリスナーからメッセージを募集しているのをたまたま聞いたことがある。

最優秀に採用されたメッセージは、「俺のサイン欲しい?(Do you want my autograph?)」だった。

ここまで残酷なことをいえるのはたぶん日本人とイギリス人くらいだろうな、と思いながら大笑いした。

そのワールドカップでのイングランド代表のくわしい成績は覚えていない。

英国人の事前の期待を大きく下回る成績だったことはたしかだ。

イングランド代表の期待外れに英国中が怒り狂っているのはインターネットを通しても伝わってきた。

ネットのコメント欄も、「彼ら、あの試合の前にはPKの練習をしてたのよ!笑っちゃうわ!」とか、そんな感じだった。

ある選手は、試合に負けた後で他の選手と談笑しているところをタブロイド紙に撮られ、「試合に負けたのにヘラヘラしやがって!」と猛烈にバッシングをされていた。

これが本当のヨーロッパだ。

ヨーロッパといっても、東欧の世界情勢に関心のある人でなければ聞いたこともないような国の話ではない。

間違いなくヨーロッパで一番最先端を走っている英国だってそうなのだ。

こないだBBCを見ていたら、前回のソチオリンピックで散々な成績でおわったスピードスケートのメダル候補が出ていた。

オリンピック後は脅迫などが殺到し、半年ほどは怯えながら暮らしていたという話だった。

スピードスケートなんてかなり地味な種目のように思えるが、そんな種目でも期待外れだったら脅迫が殺到するレベルなのだ。

期待に応えられなくても命の心配をするまではいかない日本はまだまともな方で、南アメリカの選手がワールドカップでヘマをやったら文字通り殺されかねない。

国民の方がそうなのだから、もちろん選手のメンタリティーだって同じようなものだ。

国を代表するというのはそういうことだ。

個人としてスポーツをしている代表選手なんているわけがない。

国を代表しているからオリンピックやワールドカップでの勝利は価値があるのであり、だからこそ負ければ理由がどんなものであっても全責任を負う。

期待外れに終わり、国民の皆様に申し訳ない、と思わないようなものならば勝利の栄光だってその程度のものにすぎない。

これは日本だけではなく、日本の外でもそうである。

それなのに代表選手に国の代表として大会に参加する必要はない!みたいなことをいう連中が後を絶たないのは何なのだろうか?

メシを食いながら国際放送を見てたらわかる程度のことも分からないような連中なのだろうが、うんざりするので本当になんとかしてほしい。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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学校のための教育

いま行われている教育の何が問題であるかというと、それがテストのための教育であるということだと思う。別の言い方をすれば、学習の結果がテストによって測定できるようなものばかりが教えられ、テストによって測定できないものは教えられない。

この教育の問題点は、教えられている内容のレベルが低くなることだ。このようなテスト中心の教育だと、教育の内容が学問上のアイディアを理解することよりも問題を解くための技術を習得することに重点が置かれるようになる。そして、技術というのはだれでも習得できなければならないわけなので、教えることができる内容は当然限定される。

高校の数学などはいい例だ。あれは要するに、この範囲内で問題を作ったら高校生が解けるはず、というような範囲で教えられる内容が決まっているのである。しかし、それでは高校数学の内容が全国の受験生が投じるエネルギーに見合うほどの価値があるかというと、そんな価値は全くないと思う。

実際の世の中では、テストによって学習成果が測定できるものが重要であるとは限らない。もっというと、ほんとうに重要なのはアイディアとかコンセプトを理解することで、問題を解くための技術はほとんど価値がないと思う。しかし、今のテスト中心の教育だとアイディアとかコンセプトを考えることは軽視され、難しい問題を正確に解く技術を習得する努力の重要性ばかりが重視される。

本来はレベルの高いアイディアやコンセプトを学ぶ反面、問題をとく技術はごく基本的なものさえあればいいのに、これが逆になっている。つまり、教わるアイディアはコンセプトは非常に下らないものなのに、要求される問題をとく技術はやたらと高度なのだ。

僕は難しい問題を解く技術というのは本来、教育においてまったく必要ないと思う。難しい問題を解く方法は将来必要になったときに学ぶなり考えるなりすればいいだけのことで、学校で難しい問題をとく必要はないと思う。もしアイディアやコンセプトが理解できていれば、なにかしら問題を解くためのアイディアだって出てくるものだ。

それもこれも、教育の中心に学校というものがあるからだめなのだ。もう完全に教育のために学校があるのではなく、学校のために教育がある、というような感じになってしまっている。

学校というのはまず第一に選抜を行う場所だから、教育の内容というのはどうしても二の次三の次になる。 AIなどの情報技術が進歩するに従って、ますます教育の重要性が強調されるようになっている。しかし、重要なのは教育の内容の方であって学校ではない。

数十年、数百年の単位で見ると、学校の重要性は低下していくのではないだろうか。これからの時代は難しい問題を正確に解くみたいな力よりも、ほんとうに重要なアイディアやコンセプトを理解していることが重要になってくる。そして、アイディアやコンセプトというのは別に学校にいなくても学ぶことができるものだからである。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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東日本大震災から7年

今日は2月の10日だから、あと一月ほどで東日本大震災から7年になる。もう7年たったのか、というべきか、まだ7年しかたっていないのか、というべきか。7年というがとんでもなく昔に起きた出来事なような気がする。

今から考えると誠におめでたい限りだけれども、震災当時、僕もあの震災にそれなりに衝撃を受けて、この震災は日本を変えることになるし、自分もこの震災を契機に違う生き方をしないといけない、と思っていた。僕だけでなく、同じようにあの震災を受け止めた人は多いと思う。

しかし、それでは大震災から7年後のいまとなって振り返ると、僕は大震災の後でなにか変わったのだろうか。はっきりいって、大震災が僕にもたらした変化は完全にゼロであると自信を持っていえる。

あのころ、震災をきっかけとして違う生き方をしないといけないと思った人で7年後の今も震災前とは違った生き方をしている人はどれくらいいるのだろうか。ほとんどいないのではないだろうか。そして生き方が変わった人がほとんどいないとしたら、社会だってそんな変わっていないと思う。

しかしながら、僕がのんきにこんなことを書いているのは、僕が震災当時、たまたま被災地から離れたところで暮らしていたからに過ぎない。もし僕の家が津波の直撃をうけたエリアにあったとしたら、ひきこもりをしている僕など100%の確率で死んでいただろう。

鹿児島沖に世界最大級の溶岩ドーム見つかる | NHKニュース

九州の巨大海底火山の活動が活発化しているらしいという話を読んだ。もしこのような火山が爆発したら、最大で一億人が死ぬらしい。日本でこのような火山は過去12万年間に10回爆発していて、前回の爆発があったのはのは7,300年前という。だから、ほんとうに明日日本人が一億人死ぬとしてもぜんぜんおかしくない。全くSFのような話だが、最新の地質学の知見ではそういうことになっている。

今後100年で巨大火山が爆発する確率は1%と見積もられている。もちろん、今後100年で1%だとしても99%はおきないわけである。実際、これまでの過去100年間だって巨大火山が噴火する確率は1%あったわけだが、巨大火山は噴火していない。しかし、東日本大震災だって、1911年3月10日から2011年3月10日まで何も起こっていないのだ。大災害が起きるその瞬間まで、世間は何事もなく暮らしている。まったく2011年3月10日のように暮らしているのである。それは、一億人が死ぬような大災害でも変わりない。

いったい、日本の人口が一億人死んだとしたらどうなるのか?考えるだけで大変なことだし、その結果として発生するはずの無秩序状態は想像するだけで恐ろしい。しかし、確かなのは、海底火山が爆発した100年後には、人々は普通に暮らしているだろうということだ。まあ、百年でそれ以前の日本社会の安定性が回復される保証はないが、たぶん時間の問題だろう。

あの狂気の第二次世界大戦終結してからまだ70年ほどしか経っていない。しかし、限られた当事者以外、日々戦争について考えている人は、一部の専門家かマニアだけである。七十年前の出来事でもこうなのだから、百年前に起こったことなど第一次世界大戦くらいおぼろげにしかイメージできないはずだ。

それにしても、自然がもたらしうる大惨事と比べて、世間が大騒ぎしていることは何とちっぽけなことなのだろうか。明日にも一億人が死ぬかもしれないのに、はあちゅうが何を言ったかで大騒ぎをするなんて滑稽でなくて何だろう。

もちろん、もし明日世界が破滅する可能性があるとしたら(実際、多くの日本人はそのような状況で毎日暮らしているわけだが)何をすべきかというのは難しい問題である。どうせ死ぬなら何をしても同じ、というのはたしかにその通りだから、なにをやってもいいような気がしてくる。

しかしながら、せっかく東日本大震災の記念日というのがあるのだから、それを機会に世の中の大半のことは九州の巨大海底火山と比べたらまったくちっぽけなものであるという端的な事実を再確認するのは無駄なことではないと思う。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

戦争と経済右翼

そういえば最近、財政再建についてぜんぜん聞かなくなった。ついこの間まで、特に民主党が政権党だった頃は毎日のように1.000兆円の借金ガー!1.000兆円の借金ガー!とうるさくて仕方がなかったのに、最近はぜんぜん財政再建の話はきかなくなった。もしかして、財政再建という言葉自体、例の「構造改革」という言葉といっしょにそのうち使われなくなるのではないかと思うほどだ。

まあ、財政再建構造改革というのは二つで一つみたいなところがあって、構造改革がいわれなくなったら財政再建もいわれなくなるというのはある。それに、いまの自民党は本心はともかく、構造改革からは一定の距離を置いているので、マスコミのほうも情報の施しを受けるために大っぴらに財政再建をいわない、というのもあるだろう。

しかし、構造改革もそうだが、世間で財政再建が言われなくなったのは、貧民から官僚にいたるまで、アサヒ新聞的なものに対する懐疑、あるいは敵意が広がってきているからだと思う。

この前、田原総一朗による「その場しのぎのポヒュリズムのいく末は戦争だ」という記事を読んだ。

その場凌ぎのポピュリズムの行く末は戦争だ:日経ビジネスオンライン

ヨーロッパとアメリカでポピュリズムの勢いが増している、ポピュリズムは相手を尊重せずに敵を作るのでけしからん、だれも財政再建をいわないのはけしからん、消費税を上げないのはけしからん、ポピュリズムは先のことを考えないので無責任である、など、いかにもアサヒ新聞が言いそうな御託がならんでいる。

田原もそうだが、僕が面白いと思うのは、財政再建をいう連中は絶対に

・債務には債権があるが、国の債権1,000兆円は誰が持っているか

・巨額の財政赤字というが、財政支出された金はどこに流入しているのか

を絶対にいわない。

国が1,000兆円の借金をしているということは、日本国民の財布に1,000兆円が入ったということだ。もし本当に財政再建をしたいならば、1,000兆円が流れ込んだ先から税金を取らないとバランスが取れない。それなのに、僕はこれまで、国のカネがどこに流れ込んでいるのかをアサヒ新聞が議論しているのを聞いたことがない。

だいたい、アサヒ新聞が本当に貧困問題を深刻に考えているならば、富裕層のもつ金融資産にたいする課税を強化せよというキャンペーンを展開しなければならないはずだ。しかし、アサヒ新聞の紙面を見る限りアサヒ新聞がそのような主張をしているようには全然みえない。逆に、このような話題に関する報道はきわめて消極的であるようにみえる。金融緩和によるインフレ課税にもアサヒは大反対である。

アサヒ新聞の紙面を見ると、アサヒが弱者にとって苛烈な新聞であることが伝わってくる。アサヒが熱心なのは消費税、女性の社会進出、移民推進など、どれも逆進性が著しく強いものばかりだ。

アサヒ新聞の報道姿勢は、困窮する地方を横目にデモクラシーにうつつを抜かした大正時代のリベラル派を連想させる。日本だけではなく、第二次世界大戦が起きる前、社会は世界的に政治的に左傾化し、経済的には右傾化していた。大正時代やワイマール時代は様々な民権運動ばかりが注目されるが、その裏でリベラル派が緊縮財政をやっていたことはもっと注目されてよい。そして、世界が戦争へと突っ込んでいったのは緊縮などの右翼的な経済政策の結果なのだ。

左翼が右翼的な経済政策を推進した反動で世界は劇的に社会的には右傾化、経済的には左傾化した。具体的には戦争で、国民の人権はゼロになり、経済システムは統制経済に移行した。

戦争というと、国民の人権がゼロになったことばかりが問題とされる。しかし、それと同じくらい、あるいはそれよりも重要なのは世界が経済的に左傾化したことで、戦後の「民主主義」は戦時中の統制経済によってはじめて可能となった。

近年の日本やドイツ、あるいは世界全体を見ると、第二次世界大戦がはじまる前の時代と確かに似ている。つまり、社会的には極左化し、経済的には極右となっているのである。社会的には極左だからポリティカルコレクトネスに反することは何も言えないし、経済極右だから富裕層のもつストックには一向に課税されない。社会にはよいが富裕層に都合の悪い制度も一向に導入されない。

これでは社会が右傾化するのは当たり前だ。そして、社会が右傾化する一方で世間の経済に対する見方は左傾化している。最近財政再建の話が聞かれなくなったのはその現れだ。結局、財政の問題というのは財産の私的所有権をどの程度重視するか、という話だからである。

戦争を引き起こすのは右翼ではなく、アサヒ新聞や田原のような左翼である。左翼が福祉にはカネが必要、とうそぶきながら弱者にとって苛烈な経済政策を推進し、儲けたカネを富裕層で抱え込むのは古今東西変わりがない。だから、左翼が権力を握るとだんだん世の中は「これならば戦争の方がまだマシ」という感じになってきてしまうのだ。

そういう意味で、田原のようなことをいう人間を最近あまり見かけなくなったのは、「世界平和」の観点からしても非常にいいことであると思う。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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はてなブックマークのタイムラインは総合カテゴリーだけ見るようにしている

考えてみたら、情報源として僕が一番使っているのははてなブックマークのタイムラインだと思う。毎日のように新聞を読むようなもので、はてなブックマークのタイムラインに目を通さない日は1日もない。

もちろん、新聞と同じように、はてなブックマークに上ってくるものが今インターネットで流れている中で最も重要な情報だとは思わない。しかし、はてなブックマークのタイムラインというのは新聞と同じように不思議なバランスがある。

他のキュレーションサイトとはちがい、はてなブックマークには匿名ダイアリーのエントリーやはてなブログのエントリーも上がってくる。これがはてなブックマークのタイムラインのバランスに大きく影響していると思う。

ホットエントリーのタイムラインを見ていれば、世間でなにがおきているかもはてなで何が起こっているかもある程度はフォローできる。キュレーションサイトはいろいろあるが、なんだかんだいってはてなブックマークが一番バランスが取れているような気がする。

問題があるとすれば、これは他のキュレーションサイトでもそうだが、上がってくるエントリーが多すぎることだろうか。

最近は、はてなブックマークのカテゴリーは総合だけを見るようにしている。正直、全部のカテゴリーを見ていると時間がいくらあっても足りない。ほんとうにそれだけで1日が終わってしまう。だから最近は総合カテゴリー以外のカテゴリーは見ていない。

そのために、はてなブックマークのタイムラインを見る時間は以前と比べて三分の一以下になったと思う。

当然ながらその分、自由な時間は増えた。自由な?時間ではてなブックマークのタイムラインを見ているわけだから自由な時間が増えたというのもおかしいが、以前よりも日常に余裕ができた。

面白いのは、総合カテゴリーだけしか見なくなっても世の中の動きがフォローできているような気がすることだ。結局、どれほど情報を集めたところでそれは世の中で起きていることのほんの一部に過ぎない。だから、総合カテゴリーだけみればそれが世の中で起きていることになるのだ。

それで、定期的にブログを書き続けるだけの情報は手に入る。というか、ブログを書くための情報源としては、総合カテゴリーのタイムラインでも多すぎるくらいだ。

つくづく思うのは、人間というものは知ることによっては変わらないなあ、ということだ。何を知っても知識が増えるだけのことで、それを知った自分自身は変わっていないという感覚を最近強く感じている。この変わっていない、というのを進歩がない、といってもいいだろうが、情報を知ったところでそれがよい変化をもたらすことは稀である。

もちろん、今の自分は無駄な知識によって始めて成り立っているものだが、これまでの自分の人生を振り返るとそう考えざるを得ない。これからは知るということに対してもっと懐疑的でありたいと思う。

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