グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

サマータイムはコンピューターが普及する以前の制度で時代遅れ

東京オリンピックまで2年といういまになって、サマータイムを導入せよ!という意見が自民党から聞こえてくる。サマータイムを導入するかどうかの決定にかかる時間、さらに日本国内で使われているすべてのコンピューターシステムを安全に移行させるための期間を考えると2年で間に合うとはとうてい思えないが、足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!ということなのだろうか。しかし、いくら自民党が頑張ったところでサマータイムを導入するのは難しいだろう。なぜなら、サマータイムはコンピューターが普及する前の制度だからだ。もともと、サマータイムは戦時中にエネルギー資源を節約するために始まった。要するにサマータイムは、夜に起きているのはエネルギーの無駄、早起きをして太陽エネルギーを活用しよう、という制度だったのだ。これが第二次世界大戦後も惰性で残り、コンピューターが普及するさいもサマータイム制度に合わせる形でシステムが導入された。欧米諸国でサマータイムをやっているのは、コンピューターの普及する前からサマータイムがあったからなのだ。自民党はこれが分かっていない。コンピューターが時間感覚を決定している21世紀では、太陽の運行に合わせて生活するのは不自然で人間の感覚に合わない。さらにコンピューターは時間で同期しているから、サマータイムなどあればかならずトラブルが発生する。コンピューターとサマータイム制度は相性が悪いのだ。暑さ対策とか省エネなどと自民党は喧伝するが、暑さ対策ならば競技を早朝か夜にすればいいだけでサマータイムなんか要らないし(僕が権力者なら、酷暑であっても喜んでデスマッチをやらせるけれども)、省エネだってエネルギーの使われ方が昔と全く異なっているから省エネにならない。結局、ある日を境に時間が一時間や二時間ずれるという面倒だけが残っているというのが現状だ。サマータイム制度は世界が大戦争をやっていた頃の遺物で、これを今になって導入しようなんて時代遅れも甚だしい。

ボランティアは電通がしろ

あの迷惑イベントの東京五輪でボランティアの数が大幅に不足する見込みらしいが、2年後のイベントのためのボランティアを2年前の今募集するということ自体に驚く。2年後のイベントのボランティアに参加を申し込むなんて無責任なことはまともな人間ならばとてもできない。2年後に、どのような状況になっているかなんて誰にもわからないし、そもそも五輪のボランティアの募集が2年も前に行われていると言うこと自体、知らない人が大半だろう。しかも、今回のボランティアは宿泊費と交通費がでない。ボランティアに参加するためのカネと時間を用意できる人が限られている。どれくらいのカネがかかるのかはどのような会場でどのようなボランティアをするかによるだろうが、場合によっては数十万単位でかかりそうだ。その上に、オリンピックは大学の講義がある期間に重なる。必修科目があったらアウトだし、そうでなくてもカネをはらって聴講するはずの講義を欠席して、さらにカネを払ってボランティアに参加する、なんて不利益を目前にボランティアをしようとする大学生はまれだろう。今回の動員計画をみるにつけ、東京五輪を組織している連中というのは大本営なみに無能なことがよくわかる。この時期に五輪を招致することがどれほど迷惑なのかも分からない連中がやっていることだからしかたもないが、ボランティアに参加をしようと考える国民の善意に報いようなど少しも考えていない。とにかくオリンピックを利用して金儲けをしてやろう、という浅ましい皮算用ばかりが目立つ。だからボランティアなんて電通がすればいい。これこそ東京五輪でやるべきコスト削減だ。

友達の価値

川上量生氏の「ニコニコ哲学」を読んで、友達の意味について考えてしまった。本書によると、川上氏は高校生時代、川上氏のように知的水準が高すぎるために真面目に生きることができない人たちとばかりつきあいがあったらしいが、大学進学を機会に会うことが全くなくなってしまって消息も卒業後に何年かして風の噂を聞くくらいだったという。高校時代、精神的にどれだけおなじような生き方をしていても、大学に進学したくらいでまったく関係がなくなってしまう。そのような現実を川上氏のグループは高校時代、まったく意識していなかったに違いない。どのような人付き合いが長続きするのか、考えさせられる話だ。

保活のジレンマ

女性が社会進出すると、「保活」の難易度は上昇する。なぜかというと、乳幼児の育児を安価で丸投げしてその間にカネを稼ぐ「働くママ」が増える一方、薄給ではたらく奴隷的保育士の数は減少するはずだからだ。誰だって奴隷的保育士になるよりは奴隷的保育士を使う側に回りたいに決まっている。そして「働くママ」からは、働くママが子育てをアウトソーシングすることで儲けることは許されない、という意見はまったく聞かれない。育児をアウトソーシングして儲けることと託児サービスへのフリーアクセスは両立しない。両立するはずのないものを両立させろと喚くところに「働くママ」というものがいかに愚かであるかが示されている。

丸刈りと甲子園利権

第百回全国高校野球選手権大会(通称・夏の甲子園)では、選手の髪型が丸刈りでない高校が2校あった。その2校が丸刈りでない理由はまったく対極的だったが、あらためて野球部の丸刈りについて注目が集まったことも第百回という節目を象徴しているように思う。野球部の丸刈りについて考えるには、まずこの丸刈りが誰のために行われているかを考えなければならない。まあ、野球部の丸刈りには「防犯上の理由」もあるだろうが、僕はこの丸刈りの風習が続いている原因のかなりの部分は甲子園利権にあると思う。ようするに、甲子園というのは暑苦しいのだ。アンダーシャツの上にユニフォームを着用するし、ズボンの方も生地が分厚くてぴったりしている。その上にグローブをはめ、頭にはヘルメットを被る。そんな格好でグラウンドがゆらゆらと揺れて見えるような炎天下で野球をやるから、みているだけで暑苦しい。せめて髪型くらいは涼しげなものにしてほしい、というのが外でセミが大音量で鳴く中テレビを見ている「高校野球ファン」の本音だろう。しかも、丸刈りという髪型は、遊びたいのを我慢して厳しい練習に打ち込み、汗と涙を大量に流しながらひたむきに甲子園を目指す、みたいな「球児」のイメージにぴったりくる。甲子園といえば丸刈り高校野球と言えば丸刈りで、当の球児もそのようなイメージの中で生きている。高校野球の感動の半分以上、もしかしたら8割程度は選手が丸刈りであることから来ているのではないだろうか。このような構図はもちろん、朝日新聞社をはじめとする甲子園ビジネスを行う側にとっても好都合だ。朝日新聞社が反丸刈りキャンペーンを展開するなど、とても想像できない。高校野球の世界で丸刈りの風習が続いてきたのは当然のことと言えるだろう。

髪形で野球部の強さは変わるか?

きのう、テレビを見ていたらたまたま甲子園で慶應の試合をやっていた。髪形と強さってあんまり関係なさそうだな、と思った。慶応というのは珍しい学校で、野球部なのに髪型が自由である。でも現に激戦区神奈川の地方予選を勝ち抜いたわけだし、慶応の生徒を丸刈りにしたら慶応がますます強くなる、という声は聞かれない。髪形が自由だから勝負に弱い、というわけでもないと思う。昨日の試合も逆転サヨナラだった。僕はべつに、丸刈りを強制するのは間違いだから丸刈りは止めるべきだ、と言うことを言いたいのではない。生徒の方は案外丸刈りに満足していると思う。それに、丸刈りといっても丸刈りの範囲で色々できる。菊池雄星が現役の「球児」だった頃の髪型は前髪も襟足ももみあげも伸ばしまくりで、これで丸刈りなの?と言いたくなるようなものだった。丸刈りに抵抗がある生徒は、丸刈りっぽくない丸刈りにすればいい。前髪があるだけで印象は全然違う。しかし、野球部がこうまで丸刈りばかりなら、少しくらい丸刈りでない野球部があってもいいのではないか、とも慶応の試合を見て思った。たとえば、部員数が少なくて他の部からメンバーを借りてくるような野球部ならば、部員が丸刈りである合理性は全くないと思う。あるいは、低迷しているかつての名門校がイメージを一新するためにも、髪型の変更は使えるだろう。たとえば駒大苫小牧丸刈りでなくなったら(まあ、駒大苫小牧は最近相当強くなってきているという話だが)相当面白いことになると思う。他とは違う取り組みを行うのが重要なのは野球でも同様であるはずだ。この間洞窟から救助されたタイのサッカー少年のように、みんな同じような感じの短髪にすることから始めてみてもいいのではないかと思う。

旧帝大の医学部など一部の医学部以外、合格者の男女比率は警察官や自衛官、消防士などの公安職と同じにしろ

東京医科大学において、入学試験で男女比率の調整が行われている事が話題になっている。僕は東京医大は当たり前のことをやっただけだと思う。というのは、基本的に医者というのは警察官や自衛官、消防士などの公安職とおなじようなものだと思うからだ。つまり、臨床の最先端で働く医者というのは、戦争中に不眠不休で働く軍人のようなものなのだ。医者も公安職も、緊急時にはどんなに疲れていても駆けつけるのが仕事である。人の命がかかっているのだ。そのような職の選抜プロセスが性別に関係なく行われること自体、間違っている。先ほど地元の警察の採用情報を見たが、A採用(大卒採用)で男子45名ほど、女子5名ほどということだった。男子の方が女子よりも9倍も多い。自衛官や消防士の割合は調べていないが、おそらく似たようなものだろう。それなのに、なんで医学部の入試ならば調整を行うことは許されない、ということになるのか?臨床中心の私立医大の学生の男女比率は公安職と同じくらい、つまり男性医師九人に対して女医一人くらいでいい。必要な女医はそれで足りる。