グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

消えたバイデン

世間がコロナウィルスの話ばかりするようになって多くの話題がいつの間にかニュースから消えてなくなっている状態にあるわけだが、そのような話題のひとつにアメリカの大統領選挙がある。ついこの間までバイデンがどうのサンダースがどうのと言っていたのが嘘のようだ。民主党は途中まで進んでいた予備選をどうするつもりなのだろう。というか、そもそもにして大統領選挙が予定通り実施されるのかどうかもわからないけれども、もし予定通りに実施される場合、もともとゼロに近かった民主党が勝つ確率はさらにゼロに近づいたのではないだろうか。誰が考えても分かるように、今回のウイルス騒ぎの影響はイラク戦争金融危機よりも遙かに大きい。このような非常事態に政権を交代させるのはあまりにもリスクが大きいし、コロナウィルスが流行する中、78才の老人を大統領に選出するのがアメリカにとって最善の選択肢なのです!と売り込むのはいくらなんでも無理がある。報道からバイデンが消えてなくなっているのは(まあ、CNNはぜんぜん見ていないからCNNからは消えてなくなってないのかもしれないが)このような現実を反映しているように思える。

すべての流行は始まった時点で終わりに向かう

https://amp.economist.com/europe/2020/03/26/why-does-germanys-death-rate-look-better-than-italys

今回のコロナウィルスの流行に関して一つだけはっきりしていることがある。それは、いつかは終わるということだ。感染症の流行はいつかは終わる。中世ヨーロッパでも、コレラやペスト、そのほかのわけのわからないウィルス性出血熱なのではないかと考えられている病気などの流行はすべて終息していて、これらの疫病のために文明が滅亡する、ということにはならなかったのである。中世ヨーロッパでもそうなのだから、今回のコロナウィルスの流行も終息することは間違いない。それでは終息にどれくらいかかるか、というと、僕は案外早く終わるんじゃないかと思う。中国でコロナウィルスの流行が始まったのが去年の11月で、それから4か月で新しい患者は出なくなった。中国が統計をごまかしているのではないか、という声もあるが、流行のピークアウトが確認されてから本当にすぐだったような気がする。今ものすごい数の患者が亡くなっているヨーロッパでも統計のlogを取ってみるともう流行の終息は始まっている。ウィルスが変異でもしない限り、中国で起こることがヨーロッパでも起きることはまず間違いない。だから重要なのは、このコロナウィルスの大流行を無駄にすることなく、いかに有効利用するか、ということだ。

K1

政治家とか行政からの「要請」を無視してイベントを強行したK1だけれども、考えるほどにK1側にイベントを自粛するインセンティブがなくて笑ってしまう。まず、派手な髪型をしたアンチャンが殴り合いをするK1は教育にはなんも関係ない。これがサッカーとか野球とかラグビーなどと違うところだ。教育と関係があると、どうしても教育的な振る舞いをしなければならなくなるし、実際にこれらのプロスポーツ団体は教育的な振る舞いをすることになる。さらに、K1には行政からのカネが入っていない。メジャースポーツになると行政がらみのイベントは多いだろうし、規模がでかくて地域密着となると行政との連携は欠かせない。行政と関係があるとこういう要請は無視できない。そして最後に、K1は「社会の木鐸」こと大手メディアとも関係ない。K1にどういう選手が出場して誰が勝ち、誰が負けるかなんてワイドショーではやってない。もちろん大手メディアからのカネも入っていない。まあ、大晦日とかに少しは入ることもあるのかもわからないが、メジャースポーツとくらべたら問題にならない程度だ。K1がこのようにあらゆる利権と無縁である一方、K1がイベントを開催するインセンティブは無限大である。イベントを開催すればおとなしく行政の言うことを聞いておとなしく破産するなんて局面を避けることができるだけではない。いままでK1なんかに何の関心も持っていなかったマスコミも噂を聞きつけてやってきて、大々的に取り上げてくれる。マスコミどころか知事や大臣までもがK1の宣伝をしてくれる。そしてなにより、イベントの自粛はK1が本質的に持つ反社会的側面に全くそぐわない。自粛を要請されたからといっておとなしくイベントを自粛するのは格好わるいのだ。そして、自粛の要請を無視してイベントを強行するのは格好いいのである。しかも、自粛の要請を無視してイベントを強行するのは完全に合法なのだから、これはどう考えてもK1側の大勝利だ。とはいえ、今後権力側からどのような仕返しがあるのか気になるところだが、ひとまずは運営側もファンも、今回のイベント強行に関しては「やってやったぜ!」という感じなのではないだろうか。

いつもとちょっと違う東京オリンピック

個人的には、コロナウィルスの騒動が終息していなくても体温を測るとかしてオリンピックを強行する、みたいにサイバーパンクを思わせる展開になったら格好いいと思っていたのだが、考えてみたらオリンピックビジネスをやっている人々は夏が暑いからと大騒ぎをしてマラソンの会場を札幌に移すような人々なのだからそんなことがあるわけもなかったのだった。それに、選手の中でコロナウィルスに感染した者が出てきたら確かに対応に困るので、まあ延期になるのも仕方がないかな、という感じもする。それでは東京オリンピックはどうするか?中止という選択肢がないのははっきりしている。モスクワオリンピックを「西側諸国」はボイコットしたが(今からしてみると何でモスクワなんかでオリンピックをやったんだろうと思うが)、結局モスクワオリンピックはオリンピックを中止したところであまりいいことはない、という例にしかなってない。だから東京オリンピックは延期になるはずだが、延期するとしたらいつやるべきだろうか。四年後だとこれは中止と同じことだから一年後か二年後にやるのだろうが、それでは一年後か二年後にやればどんないいことがあるだろうか?考えてみればオリンピックがもたらすのは熱狂であって、しかも熱狂だけしかない。しかし、東京オリンピックはいつものとはちょっと違うオリンピックになると期待できる。どのように違ったオリンピックになるかはわからない。一年後か二年後は待ちに待ったオリンピック!ということで延期がなかった場合よりもさらに盛り上がるかもしれないし(もちろん、コロナウィルスも感動を演出するために利用されるはずだが)、一年か二年の間に人々がすっかり冷静になり、オリンピックなんて意味あるの?という雰囲気になることだってあるかもしれない。とにかく、盛り上がるにせよ冷静になるにせよ、それはいつものオリンピックとは違うオリンピックになるはずだ。そのような、いつもとはちょっと違うオリンピックが日本で行われることは、もしかしたらなかなか幸運なことなのかもしれない。

オリンピックそのものが人命軽視である

なんだか、オリンピックを開催するのが人命軽視である、みたいなことを言っている人がいるけれども、オリンピックそのものが人命軽視なのに何を言っているのかと思う。そんなに人命が大切ならば、オリンピックやるのにかかる三兆円を医学分野の研究にそのまま投入すればよかったのだ。そうすれば三兆円分だけ医学は進歩するし、その結果として三兆円分だけ人命が救われることになる。そういうことにカネを使わずにオリンピックをやるということは、つまり初めから人命よりオリンピックのほうが大事だったのだ。それをいまさら人命がどうのこうの言い始めるのはまったくばかばかしいし、スポーツを健康に関連付けてオリンピックの延期を主張するのも滑稽に思える。スポーツなんて健康に悪いに決まっているではないか。スポーツ選手のケガを治療するのにいったいいくら「血税」が使われているというのか。そんなに健康に過ごしたいならばスポーツをするかわりに睡眠時間を長くした方が確実にいいわけで、だからオリンピック以前にそもそもスポーツそのものが人命軽視と言ってもそんなに間違っていないだろう。こういう状態では選手も準備ができなくてかわいそう、とかいう主張も下らない。こういう混乱した状態でも勝ってしまう選手こそ金メダリストに相応しいのだから準備なんてどうでもいいのである。イタリアなどで感染が拡大している今となっても、ヨーロッパからの入国は禁止されていない。そして、オリンピックが開催される頃にイタリアで大規模なイベントが禁止されているとも思わない。これらを考えると、オリンピックを中止するのは中途半端だと思う。逆に、ちょっと危険だからこそオリンピックをやるべきだ。そもそもにして、本質的にはスポーツそのものが人命軽視であるのだから。

日常にあるオリンピック

IOCがいうように、たぶん東京オリンピックは開催されるだろう。中国ではとっくにピークアウトしているわけで、同じことは少し遅れて他の地域でもおこるにきまっているのである。このようなイベントを中止にするのはあまりにも大変すぎる。少しくらいのことならば強行されると思う。だから東京オリンピックは開催されると思うが、それが日本にとってよいことであるかはわからない。ある意味オリンピックなんて単なるお祭り騒ぎにすぎないから、やったところで日本には何のいいこともないし(出場するはずの選手には大打撃だろうが)、やらなかったところで何の損害もない。オリンピックにかこつけて計画されたインフラの整備はすでに終わっている。ところが東京オリンピックがなくなったとしたら、それは日本にとって非常に大きな利益がある。なぜかというと、今の日本ではあっても大していいことがないどころかかえってない方がいいくらいの「仕事」があまりにも多すぎる。はっきりいって今の日本がやるべきことは、これらの不要な「仕事」の「中止」だと思うのだ。もしオリンピックがなくなったとしても、当然のことながら世の中の大多数のひとにとってなにか問題が生じるかというと別にそういうことはない。オリンピックがなくなっても世間はそのまま続いていく。オリンピックが中止されて初めて、オリンピックというのは別になくていい、という真実が普通の人にも明らかになる。この真実が明らかになったとしたら、世の中の様々なことがみんなオリンピックに見えてくることだろう。オリンピックの中止が世の中を根本的に見直すきっかけとなるならば、オリンピックの中止がもたらす利益は計り知れないと思う。

甲子園のない世界

コロナウィルスの影響で、春の甲子園が中止になった。毎年必ずあるものと思っていたものが無くなるとなかなか新鮮な感覚を覚えるが、それと同時にまあ、甲子園というのはないならないで問題ないんだな、という感じもする。もちろん、春の甲子園夏の甲子園では重さがぜんぜん違うから、これが夏でなくてよかった、というのはかなりの人が思っている事だろうけれども、この分だと夏の甲子園がなくなったとしても、あ、なくなったのね、で世の中は動いていくような気がする。というか、夏の甲子園がなくなっても、世の中はそういう風に動いていくだろう。確かに甲子園というのは素晴らしい。そこでは感動がテンコ盛りだし、とにかく見世物として面白い。しかしながら、それでは感動とか見世物がないと人は生きていけないのかというとそんなことは別にない。ストア派の哲学者ではないけれども、逆にそんなものはない方がいい、ともいえるわけで、だから甲子園がなくなっても、あ、なくなったのね、といって世間はそのまま流れていくのである。甲子園みたく、素晴らしいと同時に不要なもの、さらにいえばストア派的な見方からするとないほうがいいくらいのものは世の中にたくさんあるのではないだろうか。甲子園のない世界はそのようなことを教えてくれる。