グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

軍事組織と危険思想

Killings in Germany point to a worrying rise in far-right violence 

https://www.economist.com/europe/2020/02/20/killings-in-germany-point-to-a-worrying-rise-in-far-right-violence

ドイツ軍にはネオナチが数百人ほどいるらしい。ドイツ軍にネオナチがいるんならば警察にだって絶対いるだろう。こういう組織に過激思想をもった人たちがいるのは驚くべき事ではない。逆に当たり前である。軍とか警察などの暴力装置に就職するような人は、どこかしら暴力的なものに惹かれてこれらの組織に就職するのである。暴力的なものに惹かれるのだから暴力的な思想に惹かれる人がいるのは当然で、これを避ける方法はありそうにない。これらの暴力装置の中で誰がネオナチなのか分からない、という状況はドイツ社会の今後に結構大きく影響するのではないかと思う。なぜなら、この状況が明らかになると、ネオナチに対して積極的な対応をすればいじめなどのターゲットになるなどの個人的な不利益を被るというような可能性を組織のメンバー一人ひとりが認識するようになるからだ。もちろん、これらの暴力装置にいる人はリベラルな正義を実現するべく暴力を行使しようと就職した人も多いだろう。しかし、ドイツのネオナチの話を見ると、社会が変わるときはどのように変わっていくのかを考えさせられる。

ココイチ

ココイチの「客離れ」が止まらない、“値上げ”よりも致命的な原因(井上 岳久) | マネー現代 | 講談社(6/6)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70426?page=6

ココイチは昔一度食べた気がする。普通にうまいカレーであったが、例えばレトルトカレーに惣菜のコロッケを乗せたらばココイチのようになるような気がしないでもない。ココイチに出てくるカレーはレトルトカレーに惣菜を乗せたものなのだからそれは当然だが、それとも食べ比べると両者には何らかの質的な違いがあるのだろうか?とはいえ、あまりにも普通のカレーが普通に出てくる、というココイチはある意味とても貴重な存在であったとも言える。レトルトカレーに惣菜をのせたようなカレーが食いたいならばココイチに行けばいいわけで、そういうものはココイチしか扱ってないし普通の人はココイチのカレーで十分満足なのである。そんなココイチだが、最近業績が悪化しているらしい。原因は「インスタ映え」する同業他社のカレーで、これを同じ値段でぶつけられると当然ココイチのビジネスは難しくなる。たまたま発生した独占状態をいいことに値上げを繰り返し、そこで得た利益でさらに独占状態を確かにするという戦略にだって限度がある。限界が来たら状況が一気に反転するだろう。長期的には、ココイチは普通のカレーを高く売るのではなく、普通のカレーを安く提供するという方向に転換するしかないだろう。そして、本来それがココイチがすべきことであると、ココイチの前を通る度に、こんな値段でよく成り立ってんな!と思っていた僕は考える。

Too Rich

コービーブライアンなる者が乗ったヘリコプターが墜落して、乗員全員お亡くなりになったとBBCが言っていた。コービーブライアンといってもバスケットボール選手といえばマイケルジョーダンと桜木花道と流川なんとかくらいしかしらない僕には何のことやらさっぱり分からなかったのだが、バスケットボール業界では非常に有名な人物であったらしい。BBCも一日この話で持ちきりだった。報道によると、コービーブライアンは娘と一緒にロサンゼルス郊外にある豪邸からプライベートヘリコプターで自らが建設したバスケットボールの施設に向かう途中であったということだ。コービーブライアンの娘にはどうやらバスケットボールの才能があったらしく、(女子サッカーが白人ばかりだからなのかは知らないが)サッカーからバスケットボールに転向して、バスケットボール選手として高い評価を受けていたものらしい。ヘリコプターなんてめったに落ちるものではないから、コービーブライアンの判断が間違っていたとはいえない。コービーブライアンだって墜落する直前までまさか、自分の乗ったヘリコプターが落ちて死ぬとは思わなかったに違いない。本当に今回の一件は、災い転じて福となす、の逆パターンだと思った。

災害支援はしたくない

自衛隊の現役幹部、衝撃告白「災害支援隊になってゆく私たちの葛藤」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70298

まず、災害支援と軍事訓練を分けて考えるのはおかしい。外国の軍はどちらもやっているのになんで自衛隊だけ、軍事組織なんだから災害支援なんて面倒なことはしたくない、となるのか?災害だって非常事態なのだから、これだって一種の軍事訓練と考えればいいのに一体なにを言っているのか。災害支援もできずに「有事」に対応できるのか。戦争がない中で人的、物的リソースを遊ばせておくのは無駄で、災害が起きたら自衛隊が協力するのは当たり前だ。木が倒れたら誰かが切らなければいけないのだ。ボランティアが切ればいいとでも言うのか。災害が起きても自衛隊は見ているだけ、というのなら、国民の心証は悪化する。国民の心証が悪化すれば、自衛隊の戦力は維持できない。広く見れば、災害支援だって軍事作戦なのだ。記事に出てくる自衛隊幹部は、我々は災害支援は素人、などあたかも軍事においてはプロであるかのようなことを言っているが、自衛隊は実戦がないから本当は軍事においても素人であるはずだ。実戦で役に立つか分からない軍事訓練よりも災害支援のほうが訓練として意味があるかもしれないし、少なくとも災害支援は直接的に国民の役に立つ。国民の役に立てば、自衛隊員の精神状態にもいい影響があるだろう。このように考えて、災害支援に積極的な意義を見出し、その意義を現場の隊員に伝えるのが自衛隊の幹部の役割であるはずなのに、この自衛隊の幹部にはそのような観点が全くないように見える。自衛隊の幹部の頭のレベルは実は相当に低いんではないか?こんな頭のレベルで「有事」になったらどうするのか?いや、「有事」どころか、自衛隊の頭のレベルの低さのために、すでに米軍との合同演習でさえも支障を来しているというではないか。合同演習さえもまともにできずに、なにが「有事」か。こんなんでいいのか。外国に舐められることで国益を毀損していることがわからないのか。というか、外国に舐められて日本人として恥ずかしくないのか。訓練なんて適当でいいから(どうせ実戦で覚えるしかない)、少なくとも外国に恥をさらすのは本当に止めてもらいたい。

大学制度への信仰

終わらない氷河期~疲弊する現場で:空いたポストは若手に…「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望 - 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20200201/k00/00m/040/145000c

このように困窮する非常勤講師を大量に生産するような教育制度が変なものであることに疑問の余地は全くないが、しかしながらもっといえば、そもそもにして大学という制度そのものが変だからこういうことになっているとも言える。しかし、記事に取り上げられている非常勤講師の話を読む限り、そこに社会に対する不満はあっても大学制度そのものに対する懐疑は一切見られない。そして、そういう懐疑の精神が不足しているから非常勤博士はみんなして同じようなことになっているのではないだろうか。こういう非常勤講師はパーマネントのポストに採用されて一刻も早くこの地獄から抜け出したいに違いない。しかし、そう考えることで同時に、こういう非常勤講師はこの地獄を肯定しているのである。なぜならば、常勤講師の生活は非常勤講師の地獄を前提として成立しているのだ。研究者ならばもう少し、これまでとは違う知のあり方を模索するべきなのではないか。記事に取り上げられている非常勤講師にしたって、本当に自分の研究が日本の民主主義に関係があるというのならば啓蒙書の1冊や2冊があって然るべきだ。もし学識というものに本当に価値があるならば、それは様々な形で活用出来るはずである。それができない大学教師はそもそも大学教師として(特に今の時代には)適当でないようにも思う。

文系博士

終わらない氷河期~疲弊する現場で:空いたポストは若手に…「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望 - 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20200201/k00/00m/040/145000c

周りにいる同世代の博士の全員が非常勤講師というのは明らかに変な制度設計という他ないが、しかしながらみんなしておんなじ事をしたらおんなじ結果になった、という感じもする。せっかくフランスで博士号を取得したのだから、「低学歴社会」の日本で非常勤講師をするのではなく、最初から高学歴社会?の海外で日本語でも教えながら研究生活をした方がよかったのではないだろうか。少なくとも、非常勤講師なんかを何十年もするよりはそういう風に生きていた方が日本の大学にだってよほど就職しやすかっただろう。みんなと同じことをやるのは安全に見えるし、実際に安全であることも多いのだが、じつは全く安全でないことだってある。なぜなら、全員が集団で騙されている場合があるからだ。非常勤講師の話はこの手の話の典型例だと思う。

駒澤大学野球部とアマチュア「球界」の自浄作用

千丸氏が駒大を中退した理由は、他の部員の財布からカネを抜いたからとも、いじめがあったからともいわれはっきりしないが、同じような時期に他にも退部者がでていることは注目に値する。たとえば、埼玉徳栄で千丸氏とチームメイトだった太刀岡氏も入部から一年たたずに駒大を退学して、しばらくクラブチームで野球をした後「メジャーを目指す」と渡米した。「侍ジャパン」の伊藤大海も、やはり駒大を退学して他の系列大学に入り直している。要するに、駒大野球部のあまりのひどさに逃げ出したのだ。減点主義の日本で大学を退学するなどよほどのことだが、駒大野球部にいたら上級生になる前に潰されて再起不能になると思ったのだろう。ここで問題となるのは、駒大野球部の実態が高校野球の指導者にどの程度伝わっていたのかということだ。伊藤大海の恩師も、まさか伊藤が憎かったから伊藤を駒澤大学に送り出したのではないだろう。岩井氏にいたっては、チームから一人だけではなく2人も駒大に入学させている。これは一体どういうわけなのか?あそこの野球部はヤバイよ、という噂が高校野球の監督の耳には入らないのだろうか。それとも、何らかの事情があって、不安に思いながらも選手を駒大野球部みたいに悪いうわさのある野球部に送り出しているのだろうか。いずれにしても、あまり自浄作用が期待できる世界ではないんだろうな、という感じがする。