グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

ハーバードとその単様性

アメリカといえば多様多様というけれど、例のハーバード取り消しの事例をみると、同じような考えの人を集めて純粋培養しているだけなんじゃないかと思う。アメリカで大学を運営するならばそれが一番効率がいいというか、他のやり方では問題があるからこのようになっているというのは分からないでもないけれども、思想の自由とは程遠い。そこらへん、日本の大学はすばらしい。どんな極端な考えを持ち主であっても試験で合格点さえ取れば入学できるのだから、思想の自由という観点からするとこちらの方が正しいだろう。だからといって日本の学生が特に多様な考えをもっているとも思えないが、やはり大学なのだから思想の自由を最優先すべきだという意見は今後アメリカでも強くなっていくだろう。

ハーバード取り消し

なんか、ツイッターかなんかで過去に差別的な発言をしたとかでハーバードへの入学を取り消された人がいるという話を聞いた。いかにもハーバードらしい対応だけれども、入学を取り消された人の方も「過去の発言を恥ずかしく思う」とか「生長した今の自分を評価してくれないのだろうか」とか、なんだか情けない。もう少し突き放した対応ができないものだろうか?どうもリベラル派のテンプレ作文を読んでいるようで、つまらない。この取り消しにはさすがにリベラル側からも批判があるというか、「間違った考え」を持っているならばそれを改めさせるのが教育なのではないか?と思うし(ハーバードでマイノリティーと一緒に勉強していたら多かれ少なかれ影響はされるだろう)、他の大学からのオファーを全部断った頃になって入学を取り消したハーバード大学の陰湿さにはうんざりするが、人の真価というものはこういうところに出るものだとも思った。

分相応な着物がない

着物の何がだめかというと、分相応の着物が用意されていない、という一言につきると思う。つまり、いまの日本では着物と言えば晴れ着かポリ浴衣で、普通の着物が全然ない。いや、あるかもしれないけれども全然一般的でない。本来、晴れ着なんてごくごく一部の特殊な階級に属する人しか着ない服装である。それ以外の日本人は、貧民から比較的に裕福な者まで、それぞれ分相応の着物を着ていたわけだが、今は多くの人にとっては分相応でない着物ばかりで自分の階級にあった着物がなくなってしまった。それは、いまは貧民でも、文明の力によって昔の王様でも夢にも思わなかった贅沢をしているから、というのもあるけれども(たとえばコンビニエンスストアガリガリ君を買って食べるとか)、身の丈にあった着物を供給しよう、という動きが着物業界から出てこないように見えるのはわからない。案外、ファーストリテイリングあたりがセンスのいいデザイナーを起用して、シンプルな激安着物を売り出せばそれなりに受けるのてはないかと思う。

銀座いせよしの広告は、いったい誰をターゲットにしているのか?

「ハーフの子を産みたい方に」銀座いせよしのポスター(志水雅子)が話題に

https://togetter.com/li/1367938

ポリコレ的には、いけないザマス!としか言い様のない着物屋の広告だけれども、これって本当なのだろうか?和服を嗜むと、外国人(おそらく西洋人でおかしい者ではない、つまり高収入で社会的地位の高い外国人)と結婚できるのか?着物を着れば、周りの人というか素敵な男性が(というのは、素敵な男性にドアを開けられてもうれしくもなんともないから)いそいそとドアを開けてくれるようになるのだろうか?確かにナンパする人の数は減るかもしれないがナンパ数がゼロとなったら年収も何もない。和のものに熱中する女性は縁遠くなる、とよく言われる。和服というのはカネも時間もかかるからそのぶん「出会い」は少なくなるだろうし、着物なんかに大金を使う女をもらおうとする男性はそうそう多くないだろうが(実際は、着物なんか売り払え!と言えばすむ話だろうけれども)、そうだとすると着物を着ることを親孝行と言い切るのも微妙である。お召し物には似合う者と似合わない者があるのは和服だって変わらない。もし似合わなければカネと手間がかさむだけで惨めになるだけだろう。しかしながら、(というか、だからこそ)面倒な贅沢品である着物を売り込むには(着付けだけでどれくらいかかるのだろう)ああいう「本能的」な部分を刺激するしかないというのはそうだと思う。和服というのはつまり、煩悩を形にしたものなのかもしれない。というか、そもそもこの広告はいったいだれをターゲットにしているのだろうか?もし、ターゲットが世の中の女性全般とかんがえたら、この広告は見当違いに見える。しかし、もしターゲットが、着物代くらいポンとでてくるし着物を収容するスペースもふんだんにある広々とした一軒家に住んでいる大金持ちで、高学歴で着物がよく似合う「としごろ」の娘を持つ親に、娘さんの婚活に着物を活用しましょう!と呼び掛けるものだったら、この広告はものすごくよくできている。ハーフの子供を産みたい方に、というとちょっと無理があるようにも思うが、ハーフの孫を持ちたい方に、というとこれは非常によくわかる。着物は買うものではなく、買ってもらうもの。カネも学歴もない女があくせく働いて得たカネで着物を買ってもろくなことにならないよ、さらに和服というのは戦略的に利用すべきある種の戦闘服で、和服を着て浮かれているだけでは幸せになれないよ、そこらへんのことをよく考えて親子そろっていらっしゃいね、というのが、案外、この広告の本当に言いたいことなのかもしれない。いずれにせよ、この広告は、和服の本質を踏まえた上で、人々の煩悩を直撃する素晴らしすぎる広告だと思う。

なんで昔は、みんな新聞を読んでたの?

新聞が売れなくなってジャーナリズムがどうたらみたいな話をよく聞くようになったけれども、それではいったい昔はなんでみんな新聞を購読していたのか?良質な報道をもとに日本の将来を考えるために新聞を読んでいたのだろうか?そういう人も一部ではいたかもしれないけれども、実際、昔に新聞を読んでいた人の大半はひまつぶしで新聞を読んでいたと思う。ひまつぶしという意味では新聞というのはすごくて、隅から隅まで新聞を読んだら本当に五時間くらいはかかるだろうという話もある。だから情報量のわりには新聞というのはいまでもお買い得だと思うのだが、なにせタダという一言にはインパクトがあってみんなネットとかYoutubeで暇を潰すようになってしまった。しかも、Youtubeのチャンネルのなかには専門家を対象としているかのようにレベルが高いものもあったりする。タダのものは有料の情報よりも悪いとは一概に言えない時代になっている。そのような流れのなかで、これからの新聞はどうなるか?いくら不動産からの収益があるとはいえ、さすがにいまのままで新聞が存続することはないだろう。テレビと出版との融合は不可避だと思う。これらがバラバラではなく一体化して効率的に運用されれば新聞も案外大丈夫なんではないかと個人的には思うのだが、どうだろうか?

サンケイ新聞が選ぶべき方向

産経が心配だ。赤字幅は前期の4倍以上。(花田紀凱) - 個人 - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/byline/hanadakazuyoshi/20190603-00128539/

産経新聞というのは中途半端な新聞だと思う。社会的には産経新聞の論調は主流マスコミの反対なのだが、しかしながら経済に関して言えば産経新聞ネオリベで、朝日新聞などのネオリベメディアと全く同じなのである。つまり、半分朝日で残りの半分は朝日の逆である新聞というのが産経という新聞なのだ。もうここまで来たら残りの半分も朝日の逆にすればいいのではないか?たとえば、中国や韓国などを批判するのと同じくらいの熱心さでネオリベ財務省を批判する。もちろん、ネオリベ財務省の応援団であるネオリベ自民党も批判する。つまり、政治的にも経済的にもナショナリズムに基づいた紙面にリニューアルするのである。それで産経の部数が回復するかは知らない。というか、たぶんしないだろう。しかし、どうせじり貧なんだからなにか報道の世界で先例のないことをやればいいと思う。そうしたら、何か新しい展開があるかも分からない。

産経の変化

産経が心配だ。赤字幅は前期の4倍以上。(花田紀凱) - 個人 - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/byline/hanadakazuyoshi/20190603-00128539/

なぜ続く、運動会の巨大組み体操 大阪で「助けて」の声拡散 11:53

https://www.sankei.com/smp/life/news/190605/lif1906050018-s1.html

産経の組み体操に関する記事が面白い。文章の微妙さは産経のままだけれども、その主張はまるで毎日新聞以上に毎日的だ。しかも、記事の情報は他のネオリベ新聞などよりもかなり詳しく、いい意味で記者の「主観」に基づいて書かれているように見える。組み体操に賛成する産経の頓珍漢な記事を読み慣れている者として梯子を外された気分になるのだが、記者が女性なので子供がどんなことになるか気が気ではないのかも知れない。さて、そこで思い出すのは、花田氏の、産経は内容が薄くなった、というコメントだ。先ほどの組み体操の記事などを読むと、産経というのは内容が薄くなったと言うより花田氏が読んでうれしくなるような話が少なくなっただけではないのだろうか?と思ってしまう。花田氏が組み体操にかんしてどういう考えをもっているのか検索しても出てこないが、僕は花田氏に聞いてみたい。「産経の紙面をあなたの理想とするようなものにしたら、産経の部数は改善するのですか?」