グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

どっかが98miniを作ってくれないものか

コナミ、「PCエンジン mini」を正式発表。1987年に生まれた世界初のCD-ROM対応ゲーム機が現代に蘇る

https://news.denfaminicogamer.jp/news/190612k

考えてみたら、コンシューマーゲーム機を作れるならばPC9801VMだって作れるはずだ。すっかり忘れ去られている感じのパソゲーだが、忘れ去られたロストテクノロジーだからこそ今の世代には受けると思う。なにより、キーボードを使ってゲームをするということ自体が受けるのではないか。フロッピーディスクのアクセスで長々と待たされる事もない。僕個人はパソゲーのことはあまりよく知らない。しかし、今みても印象的な世界観があるゲームはたくさんあるはずだ。パソゲーがゲームの歴史に与えた影響を検証する上でも、98を復活させる意義は大きいと思う。

長谷川豊氏はマスを相手にする世界には向いていない

全ての皆様に心からの感謝を

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/53471290.html

育児休業って制度は一度やめてみてもいいんじゃないかと感じているんです

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/52076089.html

はてなブックマークで長谷川氏の動向をフォローしているだけの人は、長谷川氏の名前をみるだけでもううんざりした気分になると思う。まったくもって当たり前なことだ。しかし、長谷川氏のブログを見てみると、読んでいてうんざりするだけのエントリーばかりではなく、うんざりしつつもなるほどな、と感心してしまうエントリーもある。たとえば長谷川氏による育児休業に関するエントリーは非常に合理的で、すぐれたものだと思う。つまり、長谷川氏はだめなアイディアをたくさん持っている人なのだが、よいアイディアもたくさんある人なのである。このような人は明らかに政治家に向いていないし、じつのところアナウンサーにも向いていないだろう。長谷川氏のアナウンサーとしてのキャリアをみると、大きな仕事をしているのは始めのころだけであとはアナウンサーとしては窓際だったようにも見える(テレビのことはよく分からないが)。だめなアイディアとよいアイディアをどちらも持っていてしかもそれらを強烈に打ち出してくる人はメインストリームで仕事をしていくのに向いていない。メインストリームだとマスを相手にしているのでだめなアイディアばかりが注目されて終わりである。長谷川氏の居場所はメインストリームではなく、むしろニッチにあるだろう。ニッチで長谷川氏のキャラを理解してくれる人達を相手に活動していくしかないと思う。長谷川氏は知名度があるし、あのように猛烈な人なので普通に成功するのではないか。

ポルシェとファミコン

GAFAのなかで、 Appleだけが「意味」の世界で闘っている
グローバル競争で生き残るのに必要な、 たったひとつの考え方

https://logmi.jp/business/articles/321342

https://logmi.jp/business/articles/321344

https://logmi.jp/business/articles/321348

https://logmi.jp/business/articles/321349

そう考えたら、ポルシェとファミコンは典型的な成功例だと思う。というのは、ファミコンもポルシェも、マーケティングを完全に無視することで成立しているからだ。たとえばポルシェはただ単に高いだけの車ではない。あれは強烈に性能がよいのだ。エンジンからブレーキまで、普通の車とはまるで違うのである。ポルシェの目的は1つだけで、それは究極の乗用車を作ると言うことだ。当然、ポルシェのような車はマーケティングからは絶対に出てこない。当たり前だ、究極の車がマーケットから出てくるなんて、そんなことのあるはずがない。ポルシェがあるからマーケットができるわけで、マーケットがあるからポルシェができるのではないのである。一方ファミコンは、選択できる色数が少ない代わりに同時発色数が多かった(52色中25色)。これも、マーケットで売れるから25色にしよう、となったわけではないだろう。14,800円という制限の中で究極のゲーム機を作ろうとしたら偶然そうなったのである。それとは逆に、凋落した日本の家電メーカーがやろうとしてきたのは、マーケットで売れるものを作ることだった。マーケットで売れるものを作るということは、既にあるもので消費者に受けそうなものを組み合わせていく、ということである。その結果どうなったか?日本の家電メーカーは、質の低いものをできるだけ高く消費者に売りつけるようになった。そんなことをしていたらそのうちにじり貧になるのは時間の問題である。日本メーカーの製品は品質がいいのに、などとよくいうが、デマもいいところで品質が悪いのに高いから消費者に見放されただけだ。日本の製造業で重要なのは、とにかく究極のものをつくる、ということだ。たとえば、日本の文房具は世界一だが、これはやはり品質がいいから世界一なのだ。品質だけではこれから勝負できなくなる、ということはないと思う。高い品質のものは、「意味」に関する徹底したこだわりがないと作れないし、品質を高めていけばそこに自ずと意味が生じてくるからだ。

立川志らくは、間違っていると言うより幼稚である

悪魔だって(プ、という感じだけど、志らくは間違っていると言うより幼稚なんだと思う。ぼくは、亡くなった女の子がかわいそうだとおもいました!はん人は悪まだと思います!死ぬならば一人で死んでほしいです!まったく小学生と同じではないか。志らくは人情が云々というが、これだって疑わしい。「それにしても、犯人だって哀れだよな。何にもいいことがなくて終わっちゃってさ。犯人みたいなことを考えてる奴にいいたいよ。世の中だめな奴だらけ。だけどちゃんと生きている。世の中捨てたもんじゃねえよ」みたいなことが一言いえないのだろうか?そのようなことを言うのが落語家なんだと僕は思うのだが、この観点が欠落している志らくの人情は薄っぺらい。それでも、悪魔!悪魔!悪魔だあー!と喚くほどに世の中が平和になるならばいくらでも喚けばいいだろう。しかし志らくがそんなことをいくら喚こうが世界は変わらない。必要なのは、引きこもりなどで精神的に不安定な人の状況を理解して合理的な社会政策を提案することである。ここでも必要なのは「悪魔」の側に立つということで、行政、政治、あるいはNPOなどの関係者はみんなこれをやっている。それが責任のある対応というものだろう。一人で死ね、なんていったところで引きこもりが死ぬわけでもないし、駄々をこねるんじゃないよ。それとも、そのようなことは全部専門家に丸投げか?もしそうならば、志らくの生き方そのものからして当に幼稚と言うべきだろう。

1週間って早すぎないか?

まず、アスペで統合失調症で(自閉傾向がある者は分裂病にはならないものとばかり思ってたのだが)中学の時点で母親を殴り倒す息子を抱えながらよく次官になるなあ、と思ったけれども、これはつまり、息子の存在が何十年もなかったことになっていたのかも知れない。被害者は中学卒業後は両親と別居していたというけど、カネを渡して一人暮らしをさせておけばとりあえず問題はないことになる(統合失調症があるのにどうやって一人暮らしをしていたのか不思議だが)。しかしながら、自宅で暮らし初めて1週間後に刺し殺すなんていくら何でも早すぎないか?長男にカネがかかるわけだからチェコ大使などになるのは分かるけれども、今まで何をやってきたのだろうか。問題を解決するために何十年も何もやってこなかったとしたら、いくら激しい家庭内暴力があったからとはいえ、1週間というのは少し異様だと思う。それとも、カリタスの一件がなかったらこういう事にならなかったのだろうか?次官になるくらい優秀でも、当事者になるとカネで隔離する以外に方法が全く思い浮かばなくなるものなんだろうか?たくさんの疑問が浮かぶ今回の事例である。

運動会って必要か?

いうまでもなく、運動会というものはしつけを行う上での非常に重要なツールと考えられているけれども、これって今の時代に必要なんだろうか?というのは、これからの時代、しつけの重要性は低下していくと考えられるからだ。どんなものでも上のいうことを「素直」に従うというメンタリティーがこれからさらに重視されるようになるとはとても思えない。思うに、今の日本はしつけのやりすぎだ。運動会はなくした方がいい。

お笑い以外はつまらない芸人

お笑いに関して、松本人志は才能がある。あるいは、すくなくとも昔の松本人志はお笑いの才能があった。だから松本人志には業界内外に信者が沢山いて、そのためにお笑い以外のところにもいろいろ出てきて時事問題についてコメントしたりする。これが死ぬほどつまらない。何かあると「親が甘やかしたせいだ」とか、本当にゴミクズのような説教しか出てこない。なにか新しい視点とか、なるほどと思う解決策などは一切出てこない。落語家の立川某なども同じことで、江戸時代に関する知識に基づいたちょっとちがった視点などは一切ない。けっきょく、芸人はお笑いがおもしろいだけである。知名度と惰性と無難さ(つまらなさ)によってキャスティングをするのはもう、いい加減に止めたらどうか。