グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

「失言」する覚悟

それにしても、「維新」の長谷川某も幻冬舎の見城氏も、失言したあとでどうしてこうも易々と謝罪するのか?しかも、その謝罪の内容も、多くの人にご迷惑をおかけしたとかそういうどうでもいいものばかりである。これはつまり、信念と覚悟を持って「失言」しているわけではない、ということだ。失言するなら、発言内容はもちろんのこと、それとは反対の意見の妥当性や、発言が社会に与える影響、自分がどのような批判にどの程度耐えられるか、というような計算を徹底的にしてから、覚悟を決めて「失言」すべきだ。そうでないならば始めから失言などするべきでない。もっとも、このような計算をしないで行動してしまうからこそ、長谷川氏や見城氏の成功があったのだろうけれども。

津原氏は思ったよりもまともな人だった

幻冬舎出版中止トラブル、作家・津原泰水さんが明かす、日本国紀と、盟友だった担当編集者の「変節」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/storyt_jp_5ce28a05e4b09e057807e725

正直、ヘイトがどうのとかいっていたからこの人も下らない「リベラル」なんだろうと思ってTwitterのアカウントを確認していなかったのだが、記事を読んでみると、津原氏は全くまともな人だった。まず、「日本国記」が売れていることについて津原氏ははっきりとよいことである、とするところからして、そこらへんのリベラル派とは全く違う。「日本国記」のような本が売れるから売れない本が出版できる、ということ、「間違った」本を読むことだって長期的に見れば価値があるかもしれないこと、そもそもいまの時代にわざわざ本を買って読むこと自体がすばらしいこと、などを津上氏は理解しているのだろう。それに、津原氏の本は他の出版社では黒字だということで、全部が全部黒字なのかはともかく、実売部数を公表するならばどのようなプロモーションにいくら使ったのか開示せよ、という主張には正当性がある。津原氏のTwitterをみていると、もちろんどうか?と思うようなものもあるけれども、津原氏の人柄が出ていて初めの印象と全然違うと思った。なにかネットで騒動があると、どうしても情報が断片的になって人柄など本当に重要なことが伝わらない。それは仕方がないことだけれども、見城氏も津原氏の人柄をよく分からないままにああいった投稿をしたんだろうなあ、とも思った。

出版業界と流通の効率化

本屋で本を買うというのはあまりに当たり前のように見えるけれども、これは膨大な無駄によってはじめて成り立つシステムであることが改めて示されたのが今回の一件といえる。なんらかの効率化は必須だろう。1,000冊売るのに5,000冊刷らないといけないなんて何かがおかしい。これを、1,500冊刷って1,500冊売れる、みたいな感じにできないものか?出版不況というが、一人の読書人の立場からいわせてもらうと、出版業界は無駄が多すぎる。これは教育業界と共通すると思う。

作家の実部数

今回の見城氏の騒動で何が一番びっくりするかというと、世間の評価というか、読書人からの津上氏に対する非常に高い評価と、5,000冊印刷しても1,000冊しかうれないという現実との落差だろう。いや、どんな世界だっていくら作品の出来が素晴らしくても全然売れないようなものがあるのは当たり前だが、その業界でどんなに評価されていても1,000部しか売れてないのだ。本の1冊を書くのに要する労力を考えると、本を1冊書いて1,000人しか読まないというのはいくら何でも少なくないか、とおもうが、このような話は例外ではなく寧ろ普通であることにますますびっくりする。つまり、世の中のちょっとマニア受けする、というような感じの本というのは、案外、世界で1,000人しか読む人がいない本でもあるのかもしれない。世の中にこれほど小説であふれかえってていると、どんなマニアックなものでも読む人なんてたくさんいると考えてしまう。しかし、このたくさん、というのは具体的に何人か?5,000冊印刷して売れるのは1,000冊、みたいな話はこれまで噂レベルではあったのだろう。しかし、具体的な実例が分からないことには、うわさは結局うわさにすぎない。この問題を考えるという点では、今回の騒動はたいへんな価値があったと思う。

マルコポーロと新潮45と幻冬舎

「日本国紀」を巡る幻冬舎社長と作家との対立から見えた「出版村の終わりの始まり」

https://news.yahoo.co.jp/byline/uemurayashio/20190518-00126415/

今回、幻冬舎の見城社長が、幻冬舎の人気作家(誰にでも人気があるとは言いがたいけれども)がウィキペディア剽窃していると批判している作家の文庫本出版をキャンセルしたことが話題になっている。この話を聞いて僕はマルコポーロ新潮45を思い出した。それぞれホロコースト懐疑論と「生産性」の話がきっかけとなって廃刊が決まった両誌だが、このふたつの雑誌が騒動になる前から赤字を垂れ流していたことはもっと記憶されていい。ようは、廃刊のきっかけがなく惰性でだらだらと続けていたところ、都合よく廃刊のきっかけが転がり込んだのでこれに飛びついた、というだけの話で、これを「言論弾圧」と大騒ぎするのは全くの見当違いである。さて、読書人ならば誰でも知っているように、幻冬舎というのはとにかく本が売れることを重視して出版活動を行っている出版社である。見城社長が、一部の玄人から高い評価をされていても5,000部印刷して1,000冊しか売れない津原氏の著作を出版することに抵抗を覚えたのも無理はない。それでも、出版に無駄はつきもの、4,000部のロスは幻冬舎で許容できないほどでもない、目先の利益よりも編集者の「熱狂」を大切にしよう、と我慢していたところ、自社の出版物にいちゃもんを付けはじめたのでついに切れた、というのが実際の所だろう。津原氏のような作家が作家活動を35年間継続できるのは、出版社の寛容と、津原氏のようなリベラル脳の持ち主が大嫌いな本が売れているおかげでもあるのに、これらを直接的に攻撃するのは天につばを吐くようなものである。今回の騒動で、見城社長に後悔は一切ないだろう。

ライザップのダイエット

ライザップ、純損失193億円に転落 子会社不振:朝日新聞デジタル

https://www.asahi.com/articles/ASM5H5CTPM5HULFA02H.html

本当の美人コンテストが実際どのようなものかは知らないけれども、美人コンテストでは、美人だからコンテストに選ばれるというよりは、みんなが美人といっている人が美人ということになる、とよく言われる。ビジネスは美人コンテストみたいなところがあって、儲かっている会社が儲かっているのは単に儲かっているからであることが結構多い。儲かっている、というのは最強の広告なのである。しかし、儲かっていたとしても世間が儲かっているイメージを持ってないと儲かっている意味がない。儲かっているイメージをつくる方法にはいろいろあるだろうが、ひとつには事業の量を増やしていけば儲かっているようにみえる。広告のために事業を拡大し、問題があれば事業を売却してカネを回収する。ライザップがやっていることはベンチャー企業の典型だと思う。

ライザップ

ライザップが結構大変だという話だけれども、考えてみたら僕はライザップという名前を聞いたことがあるだけでライザップがどんなことをしているビジネスなのかわかっていなかった。それでライザップのページをみてみたのだが、ぱっと見た感じではスマートフォンのアプリによる食事管理指導と、ジムでの個別トレーニングを週2回、一回50分というのが主な内容のようだ。注目すべきはその値段で、2か月で最低価格が298,000円からとなっている。こんな高いのかよ、と驚いたが、逆にこんな高いからビジネスが成りたつのか、と納得した。というのは、2か月298,000円をポンと出せるような人は基本的に優秀で意志が強いから、ダイエットの方法さえわかればダイエットに成功する可能性は貧乏人より高いからだ。このようなビジネスは確実に儲かるように思うのだが、しかしながらなんとなく大丈夫かなあ?と思うのは、2か月で298,000円払えるような人だと、ライザップのページを見ただけでどうすればダイエットできるのかわかってしまうのではないだろうか。週二回と食事管理、この2つとページに載っている成功例で、自力でダイエットに成功してしまう人はかなりいると思う。しかも、ライザップに行ってダイエットに成功した、というよりは、ライザップのページみたらやり方が想像できたので、実際に試してみたらライザップと同じ結果になった。ライザップに行く奴はバカ!みたいなことをいう方が話としては受ける。もちろん、痩せるということだけに関していえば、自分ひとりでやるよりは他力本願の方が効率的にきまっているけれども、ライザップで何をやっているかを公表しなければ信用されず、かといって公表すればライザップはいらなくなる、みたいなジレンマは少しあるかもしれないと思った。