グローバル引きこもり的ブログ

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廣瀬 陽子著・強権と不安の超大国・ロシア~旧ソ連諸国から見た「光と影」

コーカサスを中心とした、以前に旧ソ連だった地域の現状について書いてある本である。

とはいっても、まずコーカサスと言われても普通はさっぱりわからないだろうから説明すると、例えばこの間の冬季オリンピックが開催されたソチはあのあたりである。普通の日本人はソチの周辺にどういう国があって、そこでどういう事が起こっているかなんて全然見当もつかないと思う。たぶん心理的に、日本からは最も離れている地域である。アフリカでも中南米でも、コーカサス地方とくらべたらもう、すぐそこにあるようなものだろう。

どうしてコーカサスはそんなに遠いのか?一言でいって、普通の日本人にとって何もない所であるからである。具体的に言えば資源もなければマーケットもない。あったとしても、それらは効率的にアクセスできるものではないのである。これらの地域は想像を絶するほど貧しい。コーカサスがこんな貧しいところだとは初めて知った。公務員の月収が2000円とか3000円なのに、生活するのに月に10000円必要だから、公務員がみんな犯罪をしているというような状況なのである。だからアゼルバイジャンなどと比べたら、ルーマニアなどは文字どおり夢の国と言えるだろう。

もう一つコーカサスが遠い理由だが、この地域というのは非常に危険なのである。血みどろのチェチェン紛争が起きたのもあのエリアで、ソチ・オリンピックがあった時に治安の問題が懸念されたことも記憶にあたらしい。ある意味ではコーカサスは世界で一番危険な地域だと言われている。恐ろしい話がいくらでも転がっている所で、著者も何度も恐ろしい目にあっている。

ソ連時代、ソ連コーカサスを始めとした旧ソ連諸国をそれなりにうまく運営していた。ソ連の社会というと、西側に住んでいる人間には監視・密告・誘拐・拷問などのネガティブなイメージばかりが取り上げられるが、それはソ連社会の一面に過ぎない。たしかにソ連にはそのような恐ろしい面があったけれども、ソ連やその周辺の旧共産主義国の社会はある意味、西側諸国よりも豊かな社会であった。

どんなに怠けてもクビにならないから仕事はものすごい楽で、住宅もタダ。別荘までタダで配分されて、住民はそこで野菜を作ったりしていた。クラシックのコンサートやバレエ、さまざまな文化施設も格安で、教育もタダな上にその質は非常に高かったのである。年金も十分にもらえたし、ホームレスなど存在するわけもない。その一方で、ソ連の最高権力者は信じられないくらい質素に暮らしていたのである。

そして、ソ連が崩壊してこのような社会が消滅したとき、旧ソ連諸国を待っていたのは自由と繁栄ではなく、むき出しの貧困と暴力であった。この事は中東でサダムやカダフィーなどによる世俗的な独裁体制が崩壊した後で起こった事を連想させる。サダムやカダフィ―が中東で必要だったように、やはりこれらの地域においてソ連というのは一定の必然性があったのだ。

そういうわけでコーカサスの現状からは本当に絶望的な感じを受けるが、興味深いのはこれらの最貧国における日本のプレゼンスである。たとえば、ソ連時代にアゼルバイジャン東芝のエアコン工場が出来た事があったのだが、これは当時のアゼルバイジャン人にとっては大事件だったらしい。海外ではこういう事がたまにあって、日本国内ではだれも知らない日本のプロジェクトが現地の人間にとっては大事件だったりする。その他にも日本は旧ソ連諸国にいろいろな援助をしているらしくて、そのためにこれらの地域では日本の評判がいいのだという。ちなみにこういう国の人が日本に来日をするのは非常に難しいらしい。よほどの事が無い限り日本政府がビザを出さないらしいのだ。

本書は正直、一般論ばかり書いていて退屈な部分もあるし、宗教が暴力と直結しているこの地域を論じるのに宗教についてなにも書いていないのは本書の持つ非常に大きな欠陥である。それでも、実際にひどい目にあいながらもアゼルバイジャンを第二の故国と言う著者の報告には耳を傾ける価値があるだろう。