グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

学生が勉強するようになると何かいい事あるの?

よく、海外の学生はものすごい勉強をするのに、日本の学生はぜんぜん勉強しないから日本の大学には問題がある、というような話を聞くけれども、僕はどうも日本の学生がもっと勉強しないといけない理由がわからない。

そして、日本の学生の勉強不足を批判する人から、学生が勉強するようになったら具体的にどういういい事があるのかという説明を聞いた事もない。

日本の学生が今よりも勉強するようになると何かいい事があるんだろうか。

もし学生が今の2倍勉強するようになれば、日本の大卒の頭の程度に何か根本的な違いが生じるのだろうか?

正直、僕は今の大学で教えられているような事をどれほど熱心に勉強をしても結果は大して変わらないんじゃないかと思う。

 

日本の学生の勉強不足を指摘する人たちをみると、僕は「勉強しなさい!宿題はやったの?」とかひっきりなしに子供を急き立てる愚かな親を連想する。

そういう人は無条件で、なにか勉強すればするほどいい事があるとでも考えているのではないだろうか。

 

勉強をすればするほどいい事があるというのは自明ではない。

たとえば、日本のマイナーでない大学で(マイナーでない大学というのも曖昧な表現だが)もっとも学生に勉強をさせる大学はおそらく東京大学であるだろう。

僕は東京大学の出身者でもなんでもないが、イメージとして東京大学の学生はものすごい勉強をしているという印象がある。

進振りがあるし、カリキュラムや学風という点からもいかにもたくさん勉強をしないといけなそうな感じがする。

もちろん学生はラクな講義を受講するとか過去問などの資料を入手するなどしてうまくリソースを配分していくのであろうが、少なくとも他の有名大学よりも学生が勉強しないという事はないと思う。

しかし東京大学を教育機関として見た場合、まともな見識を持った人で問題ないと考える人はあまりいないのではないだろうか。

東大閥が力を持つ組織というのはおかしなことになりやすいと言われる。

日産、東芝三菱自動車などがそうだし、霞が関などというのはそのもっとも極端な例であるだろう。

 

戦前の日本の例でいうと、陸軍士官学校とか海軍兵学校とかの学生はものすごい厳しいカリキュラムをこなしていたはずだが、結果はあのようなものだった。

日本だけではなく、今のEUの体たらくやアメリカの政治の現状を見るにつけても、熱心に勉強をすればするほどいい結果が出るという議論にはホントかよ、と言いたくなる。 

 

どうも学生に熱心に勉強をさせるという文化は必然的にある種の硬直化を招くような気がする。

多分、学生が勉強をさせられているうちに鬱になり、脳の機能が低下するからだと思う。

学生を猛烈に勉強させる社会というのは、頭はいいけれども無能な状態になっている人を大量に生み出すシステムでもある。

それではどうすればいいのかと言われると僕にも答えがあるわけではないが、学生に勉強をさせればさせるほどいい結果が生じるだろうという考えは疑わしい。

 

僕は学生というのは本来、本当に重要な事を少し学ぶだけでいいと思っている。

学生が勉強しないというのは結構だが、これからは学生が勉強する内容をリストラしていくことも重要だと思うのだが。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。