グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

神元号

それにしても、「明治」は素晴らしい元号だと思う。元号のランキングを作るとすればこれが一位になるのではないか?言葉の響きが力強いし、意味も「明るく治める」と明快である。やはり、このようにアッパーな元号がでてきたのは時代そのものがアッパーだったからだろう。5月から施行される元号にしてもそうだが、権力者の意向には関係のないところで元号というものは時代の空気を反映するのかもしれない。

最近のベイカー茉秋

もうオリンピックまで一年ほどということなのか、ときどきテレビで柔道の話を見るようになった。オリンピック開催のサイクルにあわせて柔道の注目度もあがってくるだろうなあと思いつつ、そういえばリオで金メダルだったベイカー茉秋はどうなっているのだろうと検索してみたらこれが結構大変な情況のようだ。なにせリオの段階で両肩はぼろぼろだったようで、リオの金メダルは爆弾を抱えながら取ったようなものだったらしい。当然リオのあとは大怪我をして手術することになったけれども、術後の経過が思わしくないのか最近は全然勝てなくなっている。世界ランクはもう三十位後半で東京五輪はかなり厳しいとスポーツ新聞は言っている。いきなりパフォーマンスが落ちていつのまにか表舞台から消えているスポーツ選手は多いが、原因はたいてい怪我である。やはり、肩や肘、膝というのは修理しても故障する前の性能は出なくなるのだろう。関節や腱など、人間の部品の耐久性はどれくらいあるのかわからない。もしわかったとしてもその時その時、いつぶっ壊れてもいい、というような精神状態で戦っていないと金メダルなんて取れないだろうから東京オリンピックのあとで丁度壊れるように調整するわけにもいかない。本当に、スポーツの世界は才能と同じくらいに運が重要となる世界だと思う。もっとも、スポーツに限らずこれはすべての分野でも言えることかもしれないが。

「令和」は読み方が変

新しい元号が公表されてからずっと違和感を感じてきたのだが、最近ようやく「令和」のどこが変だとおもうのか分かった。読み方が変なのだ。このような場合に「令」という文字を使うならば、その読みは「れい」ではなくて「りょう」である方が日本語として自然である。律令だって「りつりょう」なわけで「りつれい」と書いたら間違いだし、そもそも間違いである以前に間抜けである。新しい元号も、「りょうわ」と読むのならこれはなかなかいい元号だったのではないか。「れいわ」といわれるとどうも「冷和」みたいに冷ややかな印象を思い浮かべてしまう。これが「涼和」だと、そのようなきつさを感じることもない。もし常用漢字などの制限から読みが「れいわ」になったのならば、役所の枠組みに日本語のほうを無理やり押しこめたわけで、断じて許されない蛮行である。

0和

新しい元号は「令和」になる!との噂を聞いた。個人的には、どうかなあ?というのが正直な印象だ。「令和」を英語で言うとOrder and harmonyという意味なのだそうだが、Order and harmonyというよりも僕はまず、ゼロをいくら足してもゼロだよね、みたいな感じに聞こえてしまう。なんだかイノベーションイノベーション、ゼロイチゼロイチとか言いながらゼロばかり足していく事が多かったここ最近の傾向がしばらくは続いていくかのようで、いまいち明るい気分になれない。元号の響きからして、明治!みたいな力強さはどこにもない。もう少しパワーを感じるような元号にできなかったのか?と思うのは僕だけだろうか?Order and harmonyなんて、いかにも今の政権が飛びつきそうな元号だけれども、今の時代に必要なのはすっかりダメになって久しい旧秩序ではなく、なんでもありの無秩序状態なのではないだろうか。とはいうものの、物事には流れというものがあって、これに逆らって頑張ったところでろくなことにならない、というのも事実だ。ゼロをいくら足してもゼロなんだから頭を冷やせ!今までと同じ事(イノベーションイノベーション、競争競争自己責任と繰り返すとか)をしていてはダメだ!と言わんばかりの新元号は(今の政権はそんなことは全く言っていないが)全く無理のない、今の時代にあっている元号ともいえる。冬があるから春が来る。日本がそのうち復活してくるのは間違いないが、それにはもうしばらく時間がかかる。いま日本が取り組むべきは手っ取り早く儲かる「イノベーション」ではなく、日本復活のためのGround workである。そういう意味で、「令和」というのは案外悪くない元号なのかもしれない。

ブログを続けて変わったこと

以前のはてなには互助会というものがあって、有名なブロガーというものがきまっていた。はてなブックマークを見ている人は、誰がどれだけ有名なブロガーなのか、みんな知っていた。それが、どういう理由があったのか知らないがある時期から「有名ブロガー」のブログは一切ホットエントリーに載らなくなって、はてなのブログコミュニティーは消滅した。はてなのブログコミュニティーが消失してから、かつての有名ブロガーはどうなったか?この間、思い付くままにいくつかのブログを検索してみたら、かなりのブログがお亡くなりになっていた。やはり、ほとんど誰にも読まれないままひたすら書き続けるのは難しいのだ。僕もある時期からブログのスタンスを変えて、あえてどうでもいいことを適当な短文で書くようになった。そうでなければ今の状況で、ブログなんてとてもやっていられない。ブログを続けてなにか変わったことがあるだろうか?以前よりエントリーを楽に書けるようになった、と言うのはある。昔は1つのエントリーを書くのがものすごく大変だった。もちろん楽にブログを書けるようになったのはPCではなくスマートフォンを使い、布団の中で今のような短文ばかり書くようになったから、という理由が大きいが、文章を書くことに対する抵抗感はずいぶんとなくなったなあ、と思うとき、ずいぶんと長いことブログをやっているなあ、と感慨深い。

男性保育士

少し前、杉並区で保育士が殺害されたという話があったけど、犯人が逮捕されたらしい。変わっているのは、犯人が同僚の男性保育士だったということだ。男だって今の世の中、結構看護師をやっている訳だから保育士をやる男だっているにきまっているわけだけれども、男性と保育士と殺人という組み合わせは数十年に一度レベルの珍しさだと思う。ちなみに、日本に男性保育士は3%から4%存在していると信じられているから、30人に一人が男性保育士ということになる。男の保育士を雇用することにはそれなりのリスクもあるのだろうが、体力がある男がいるといろいろと助かるらしく男性保育士の需要は高いとネットに書いてあった。これからは看護ビジネスと同様、保育ビジネスの世界でも男が増えてきて、したがってなんかの弾みで人を殺してしまう保育士も増えていくのだろうか?