グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

またブログのアイコンの設定をし忘れた!

もう結構はてなでブログをやっているような気がするが、時々ブログのアイコンの設定を忘れる。

「編集オプション」(右のほうの歯車のアイコンのところね。なんで歯車なのか知らないが)の「アイキャッチ画像」で設定するやつだが、それを設定し忘れるのである。

そうなると、はてなブックマークのタイムラインにエントリーが乗った時に、「新」の文字が傾いているいつものアイコンではなくて、記事の下のほうで紹介しているCommon Lispの電子本の書籍の表紙のほうが乗ってしまう。

エントリーの内容とはぜんぜん関係ない電子本の表紙が乗るというのは、とても間抜けである。

 

それを後から修正できれば修正すればそれで済むが、一度ブックマークにのってしまったアイコンは修正ができない。

だから気を付けてアイキャッチ画像を設定し忘れないようにしないといけないのだが、しょっちゅう忘れる。

10回に一度くらいは忘れている気がする。

昨日も設定をし忘れた。

まあ、どうせホットエントリーに乗らないだろうから別にいいか、と思っていたら、これがたまたまホットエントリーのタイムラインに乗ってしまった。

みっともないことこの上ない。

 

アイキャッチ画像を設定し忘れたからと言って実害があるわけではない。

「新」が傾いたアイコンを見たら絶対にエントリーを読む、なんて人がそれほどいるとは思えない。

逆に、「新」のアイコンを見たら、このブログは自分とは関係ないね、とスルーする人の方が圧倒的だろう。

もちろん、あの「新」のアイコンはなかなかインパクトがあるアイコンだと思うので、あのアイコンが僕のブログを読むきっかけになる事もありえるが、ホットエントリーのタイムラインに載っても大抵は200アクセスとかそんな程度なので、なにか具体的な変化があるかというと多分ない。

だから、アイキャッチ画像の設定を忘れても実害はないだろうけれども、これの設定を忘れると、なんとも言えないモヤモヤが残る。

実害はないのだが、何というか、いつもの儀式?が正常に終わらなかったような気がしてしまうのだ。

 

これというのも、(本当の意味で)アイキャッチ画像のデフォルトがブログのアイコンになっていないのがいけないのである。

僕はアイキャッチ画像は全部「新」のアイコンで揃えたいのだが、これでは何か画像なりサムネを乗せた場合、アイキャッチ画像の設定を忘れるとアイコンが揃わなくなってしまう。

見たところこれを変える設定は無いようだし、本当に何とかならないものだろうか。

 

まあ、こんな注文をするユーザーは僕くらいのものであるだろう。

だから、この記事というのは、この記事を書くことでアイコンの設定を忘れることが減るとよいなあ、というだけの事でこれを書いている。

はてなのシステムがどうであろうと、自分の行動は(理屈の上では)変えられるはずだからである。

とはいうものの、出来ることならばそんな事はシステムのほうでどうにかしてほしい、というのが正直なところだ。

設定で、「アイキャッチ画像をいつも指定のサムネにする」というチェックボックスを作ればいいだけの話だと思うのだが・・

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。 

[山月記]無料で読める中島敦の作品まとめ

中島敦の作品は、とにかく「山月記」が非常に有名だけれども、その他の作品を読んだことがある人はそれほどいないと思う。

ネットでも、「山月記」の話題はたまに読むけれども、中島敦の他の作品についての議論はぜんぜん見かけない。

これは非常にもったいないことだと思う。

というのは、中島敦の他の作品は「山月記」と同じくらいか、それ以上に面白いからである。

その面白さというのは、ある種の文豪の作品のように、苦労して辛抱強く読み続けて初めて理解できる、というものではない。

谷崎潤一郎の作品のように、読み始めれば最後、話の中に引き込まれるようなおもしろさである。

まず、話そのものが面白いのだ。

そして、とにかく文章が美しい。

いわゆる文豪の中でも、ここまで美しい文章を書ける人はほとんどいないと思う。

驚異的な文章のうまさである。

だから、話が面白くて文章が美しい小説を読みたいなら、中島敦の小説を読んでみてほしい。

本当に、他の作品も「山月記」みたいに文章が美しく、話として面白いのである。

 

とはいうものの、中島敦の作品はある程度読者を選ぶ。

山月記」とは違い、多くの作品は内容が過激であり、差別的な表現もバンバン出てくる。

ポリコレが嫌いな人(もっと言うと、ポリコレ的なものを拒絶するような知性をもつ人)にはものすごい受けるだろうが、そうでない人には何が面白いかわからないかもしれない。

基本的には読書人のインテリが面白く読めるように書いてあるため、万人に向けて薦められるか、というと、よくわからない。

 

しかし、ありがたい事に、中島敦の作品で代表的なものは青空文庫で読むことができる。

作品が無料で読めるならば、万人向けとはとても思えない中島敦の作品も、万人に向かって、「とりあえず読んでみれば?」と薦めることができる。

そこで、ここでは青空文庫で読める中島敦の作品にどのようなものがあるのかを紹介しようと思う。

盈虚

中国の暴君の話。

親も子もない裏切りが繰り返され、暴君の子が暴君になる、というパターンが終わらない。

環境があまりに過酷で、皇帝になったらそれまでの埋め合わせをするかのように暴虐の限りを尽くす。

最後は気が抜けた終わり方をするが、中島敦は暴君の権力の虚しさを表現しようとしたのかもしれない。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/24438_11322.html

かめれおん日記

喘息を患う女子高の教師の日常の出来事や、考えたことが淡々と記される。

ひどい喘息を患うとどのような目に会うかが、かなり具体的に書かれている。

アドレナリンや塩酸コカインなど、過激な薬剤が当たり前のように使われており、医学史的にも興味深い。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/24443_15509.html

環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――

日本統治下のミクロネシアの様子が書かれている。

記述が非常に具体的で、ポリネシアの文化や歴史を理解する上で強力な足がかりを得ることができる。

非常に本質的な文明論が展開される。

とにかく文章が美しい。

個人的には、これが中島敦の最高傑作なのではないかと思った。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/46429_26617.html

牛人

魯の宰相が、数十年前にワンナイトラブで作った子供に自分の子供を殺され、続いて自分も殺される話。

陰惨なだけの話だが、救いは二人の子のうちの一人は助かった(少なくとも作中の限りでは)という事だろうか。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1742_14529.html

鏡花氏の文章

泉鏡花の文学を称賛したもの。

中島敦の文学に関する考え方の一端がうかがえる。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/24441_11320.html

悟浄出世

西遊記を現代風に完全に書き直したもの。

ほとんどギャグ小説である。

化け物だった悟浄が、哲学的な苦しみを克服するために妖怪の世界を旅した結果、三蔵法師の一行に加わる話。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/2521_14527.html

悟浄歎異

悟浄が三蔵法師の一行に加わった後の話。

悟空の知性と三蔵法師の知性という、二つの全く異なった知性が比較される。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/card617.html

山月記

改めて読むと、やはり古文漢文はもちろん、英語・ドイツ語・フランス語の本を膨大に読みこんでいる人しか書けない作品だなあ、と思う。

それから、中島敦の他の作品には多かれ少なかれ、権力(皇帝から学校教師まで)に対する批判があるが、これは珍しくポリコレ的に問題がない。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html

十年

1,000文字程度の掌編。

フランス文化に対する憧憬を書いているが、これが、いかにも仏文コミュニティーの周辺にいる人が書きそうな感じの文章なのである。

中島敦の文学はフランス文学の影響が非常に強いと思う(その文学の方向性は、澁澤龍彦の文学に似ている所がある)。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/58014_61337.html

章魚木の下で

戦時下における文壇の風潮を批判したもの。

1943年の新年に発表されたものだが、思ったよりものんびりしている。

まだ国民生活に余裕があったのかもしれない。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/56242_53066.html

罪・苦痛・希望・及び眞實の道についての考察

題名からして痺れるが、カフカ箴言の翻訳である。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/53047_42901.html

凡ての他の罪惡がそこから生ずる根元的な罪惡が二つある。性急と怠惰。性急の故に我々は樂園から追出され、怠惰の故に我々はそこへ歸ることができぬ。併しながら、恐らくはたゞ一つの根元的な罪惡があるのみであらう。性急。性急の故に我々は追放され、又、性急の故に我々は歸ることができない。

以前、少し似たようなことを書いた事があったのを思い出した。

急いでやってもゆっくりやっても、結果は変わらないような気がしてきた - グローバル引きこもりブログ

弟子

孔子と弟子である子路、およびその他の門弟についての話。

孔子らの政治活動を40年にわたって書く。

国語の教科書向け。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1738_16623.html

斗南先生

50才離れた「叔父」と、大学生の「三造」の交流を描く。

この叔父は、漢学者とも漢文教師とも文筆家とも分類できない、漢文関係者としか言いようがないような人物で、かつての弟子や親族から支援を受けて暮らしている(しかも、当然の権利としてこれを受け取っている)。

それで、他人に支援を受けて何をするかというと、漂泊の生活を送るばかりで何もしない。

そういう叔父の最晩年の様子が描かれる。

終わり方がすがすがしいのは、一つの偉大な(あるいは、少なくともユニークな)精神の大往生を、将来ある若者の視点から描いたものであるからだろう。

「こういうような事でも、やはり支那人は徹底的に懲して置く必要がある」という発言があるなど、当時の漢文コミュニティーの右翼思想がうかがわれる所が興味深い。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1741_17364.html

虎狩

日本統治下の朝鮮の旧制中学を舞台に、朝鮮人の親友「趙大煥」との友情を描いた作品。

趙は両班(朝鮮の貴族)の息子で、母親が日本人という噂がある。

プライドは非常に高いのに実力が伴わず、他の日本人に馬鹿にされながらどうする事もできない、という生徒である。

日本統治下における両班出身の朝鮮人の惨めさが冷静に描写される。

結構ひどい事を書いているのに、その筆致がどこか同情的なのは興味深い。 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/24439_11321.html

南島譚

これも日本統治下のミクロネシアをテーマにした作品である。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/619_14531.html

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/43044_16306.html

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/43045_16307.html

光と風と夢

ジキル博士とハイド氏」や「宝島」などの作品で知られるロバート・ルイス・スティーブンソンのサモアでの生活をテーマにした作品である。

白人による腐敗した植民地政策に対抗して、スティーブンソンは(弁護士の資格があった)原住民の側に立って奮闘する。

興味深いのは、たしかに白人は残忍だけれども、その残忍さには限度があることで、戦争状態になっても負傷した敵(原住民)は看護されるし、スティーブンソンと植民地の支配者たちとの交流も断絶せずに続いていく。

そういう所を今の日本社会の惨状と比較すると、なんだかんだで日本よりもヨーロッパ文明のほうが文明的なんだろうなあ、と思わなくもない。

白人の植民地支配、さらには白人文明そのものについて考えさせられる。

結末は悲しいが、限りなくハッピーエンドに近いともいえる。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1743_14532.html

名人伝

弓の名人が弓の道を究めるあまり、超能力的な力を発揮するようになる話。

ギャグ小説である。

道が極まると何もしていない人間と同じになってしまう、という結末は皮肉である。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html

文字禍

古代バビロニアを舞台に、文字がもたらす害悪について論じられる。

識字率100%の世界に住んでいると文字の害悪といってもよくわからないが、文字が発明された当時、文字によって人間の知性は劣化するのではないか、という懐疑論は実際に存在した。

過剰教育によって社会が閉塞しつつある(というか、もっとはっきり言うと破滅しつつある)今日の日本においては今日的なテーマなのではないだろうか。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html

妖氛録

50才になってもなお、万人を虜にする妖婦をテーマにしたもの。

そんな妖婦に夢中になるのは馬鹿馬鹿しいが、それでも虜になってしまうのが妖婦たる所以なのだろう。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/56243_53070.html

李陵

漢の将軍、李陵の数奇な人生を描く。

李陵の人生が数奇なものになったのは(小説では)匈奴に対する無謀な討伐計画が原因なのだが、そこから話はものすごい勢いで突っ走っていく。

終わり方はどこか寂しい。

そして、非常に自然である。

どんな物事でも、いずれは歴史の彼方に消え去る事になっているんだなあ、と考えさせられる、素晴らしい終わり方である。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1737_14534.html

狼疾記

病気のために女子高の教師という地位に甘んじる主人公の自己嫌悪が延々と綴られる。

この作品にも、「山月記」で有名な「臆病な自尊心」が出てくる。

終わり方は不思議と明るい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/42301_16282.html

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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「山月記」に出てくる謎の用語まとめ

山月記」は古代の中国を舞台にした作品なので、平均的な読者には調べなければ何のことだか分からない用語や地名が沢山出てくる。

中島敦 山月記

もちろん、「山月記」の文学的な内容は、小説が古代の中国を舞台にしている事だけ分かっていれば理解できるが、しかし改めて読んで見ると、このような用語や地名は結構ある。

山月記」は漢文調で書かれていることもあり、結構読み飛ばすような読み方をされるから、このような部分は多くの場合見過ごされてしまう。

つまり、普通の読者にとって、「山月記」は、いつ、どこで、だれが何をした話なのか、具体的なことが分からない。

それで何か問題があるか、というと特にないが、しかし「山月記」を一行一行読んでいくと、これらの調べないとわからない部分が気になってくる。

そこで、「山月記」に出てくる、中国史関係の用語や地名などを調べてみた。

僕は大して古代中国史には興味がないので(中国の近代史には大いに興味があるのだが)、ネットで適当に調べただけのものだが、「山月記」を理解する上で少しは役に立つと思う。

隴西・天宝・虎榜・江南・尉

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自から恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

隴西は中国のかつての地名で、今でいう甘粛省東南部に当たる。ここはイスラム教徒の回族が多いエリアで、他にもモンゴル族チベット族などの少数民族が住んでいる。日本人のイメージするチベットからはずいぶん離れているように見えるが、実はチベット族が暮らす地域の大半は中国にあり、したがってエベレストなどがある地域のほうが端である。とにかく、隴西という地域はこのようにいろいろな民族が暮らすかなりグローバルなエリアである事が分かる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/China_Gansu.svg/268px-China_Gansu.svg.png

甘粛省の東には、唐の首都であった長安(今でいう西安)がある陝西省がある。中央に乾燥地帯の黄土高原、北には砂漠、南には山岳地帯がある。なんだか暮らしにくそうな感じの所である。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a7/Xi%27an_location.png/250px-Xi%27an_location.png

天宝は玄宗が王様だった時代の後半の事で、742年から756年までの期間を言う。日本でいうなら墾田永年私財法が制定された頃から(743年)、正倉院ができた頃(756年)くらいの期間である。

玄宗の知世の前半は大成功で、この時代が唐が一番栄えた時代らしいのだが、天宝になると玄宗楊貴妃にうつつを抜かして政治をおろそかにするようになり、それが遠因となって唐は内戦に突入する(安史の乱、755年から763年)。李徴が虎榜(科挙の合格者)の名につらねたのは天宝の末年だというから、ちょうど内戦が始まった時期に当たる。

江南とは長江の下流域の事。長江は東西に流れる川なので、下流域の南側である。例えば上海などは江南である。今の中国では、まさにこのエリアこそ国の中心となっているが、唐の時代では江南は後進的な地域だと見なされていた。首都長安から遠く離れたド田舎だったわけである。ちなみに、このような田舎には内戦の影響が及ばず、生活は普段と変わらなかった。行政機構が普段通りに機能している事からもこの事がうかがえる。おそらく地方の官僚には相当の権限が与えられていたのだろう(このような時代だと多分、そうしなければどうしようもない)。

尉とは軍事や警察関連の官職を示す。今でも自衛隊の将校の最下級の階級は尉であるが、これはこの時代の名残である。近代社会とは違って、古代中国では漢詩を作ったり、水墨画を描くなど教養があることが重要視され、軍事や警察の役職は尊敬されなかった(これが中国の発展の妨げになったことは間違いない)。いろいろな役得に関するうまみも少なかったのであろう。

つまり、李徴はこのような遠く都(首都長安)からはなれたド田舎の、世間では軽んじられた役職(賤吏)についたわけで、おそらく上司の質も高いものではなかったのだろう。詩人として名を成そうなんて考える李徴のような人間には耐え難い生活だったのかもしれない。

故山・虢略

いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交りを絶って、ひたすら詩作に耽けった。

故山とは故郷の事。虢略は今の河南省の西部に当たる。地域全体に川がたくさん流れる平野で、農業が盛んである。李徴がこのように隠遁生活を送ったのは、科挙にパスすることを目指す者は長い年月、そのような生活をしていることも影響しているだろう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b3/China_Henan.svg/268px-China_Henan.svg.png

進士・登第

しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴はようやく焦躁に駆られて来た。この頃からその容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒に炯々として、曾て進士に登第した頃の豊頬の美少年のおもかげは、何処に求めようもない。 

登第とは合格すること。唐の時代、科挙には何種類か種類があった。進士はその内で最も難しいもので、全国で30人ほどしか合格者がいなかった。科挙の試験は3年に一度だから、年にすると10人である。科挙を受験するにはいくつかの学校を卒業する必要があり、卒業生はそれぞれの段階に応じて学歴が得られた。虢略出身の李徴が「隴西の李徴」と呼ばれるのは、隴西で学生生活を送ったからかもしれない。

科挙というのは難関のため、当然合格するにも長期間を要することが多く、合格するのは普通オッサンになってからであった。それを「豊頬の美少年」のうちに合格するのだから、自分ならば何でもできる、と思うのは無理もない。

科挙というのは働かずに勉強するための経済的な基盤がいる。だから、李徴の家もそれほど貧乏ではなかったのだろうが、一生詩作だけをしていられるほど裕福ではなかったのだろう。

如水

一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或る夜半、急に顔色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下にとび下りて、闇やみの中へ駈出した。彼は二度と戻って来なかった。

 如水とは今でいう撫河のこと。江西省の北部を流れ、長江に流入する。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/China_Jiangxi.svg/268px-China_Jiangxi.svg.png

観察御史・陳郡・嶺南・虎

翌年、監察御史、陳郡の袁参という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未まだ暗い中うちに出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜よろしいでしょうと。袁參は、しかし、供廻の多勢なのを恃み、駅吏の言葉を斥しりぞけて、出発した。 

監察御史は全国を回りながら行政腐敗を発見して、これを処罰する役職である。行政腐敗が中国の深刻な問題であるのは、今も昔も変わりがない。観察御史にはその他に、地方で不穏な動きがないかを中央に報告するスパイとしての役割もあった。

陳郡は江南省東部を指す地名である。袁参がこの地で生まれたのかは分からないが、李徴の出身地は江南省の西部なので、広い意味では同郷人といってもよいかもしれない。

嶺南は中国の最南部で、たとえば香港は嶺南である。南にすぐ行くとベトナムである。気候は雨が多く、トロピカルである。

昔、中国の南部にはアモイトラという虎がたくさんいたが、環境破壊の影響で絶滅した。

商於がどこであるかはよくわからなかった。おそらく如水付近であろうが、まあ、虎がたくさん生息するような地方とでも考えればよいだろう(嶺南の北部には山岳地帯がある)。

まとめ

中国というのは近くて遠い国である。

21世紀になっても、僕も含め日本人は中国の事をほとんど知らないのだなあ、と改めて思った。

中国というのは広大で、一つのエリアが国ほどもあり、それぞれの地域によって文化が全く違う。

そして、何千年にもわたる歴史がある。

山月記」をきっかけにして中国について学ぶのも悪くない。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

「山月記」を読み飛ばさずに読んでみた

改めて「山月記」を読みとばさずに読んでみた。

どうも国語教育の世界では、まず「山月記」が生徒にとってとっつきにくい事が問題となっているようで、そんなに難しいかなあ、と文章を確認してみた所、いままで「山月記」を読み飛ばす形でしか読んでない事に気づいたのである。

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自みずから恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。

例えば、山月記の出だしはこのような一文で始まるが、普通の読者が隴西がどこなのか、天宝がいつなのか、虎榜とは何か、江南尉とはどのような地位なのか(それが李徴にとって「賤吏」であることは分かるのであるが)を疑問に思わずに読み進める事が出来るのは、読者がこの部分を読み飛ばしているからである。

そういう意味では、ある意味、初読で山月記の意味を完全に取ることができるのは中国史の専門家だけとも言えるが、ともかく、考えてみたら僕は「山月記」を一行一行読んだことがなかった。

それで、今度は「山月記」を一行一行読んでみたが、まずその文章の美しさに圧倒される思いがした。

とにかく圧倒されたし、深く感動した。

山月記」の文章が美しいことは分かっていたが、いままで僕はその美しさの十分の一も理解していなかったなあ、と思った。

もちろん、「山月記」の文章はある程度、読者受けを狙って書かれたものだろうが、それにしても強烈な印象を残す文章である。

其処では醜悪な現実はすべて、氏の奔放な空想の前に姿をひそめて、ただ、氏一箇の審美眼、もしくは正義観に照らされて、「美」あるいは「正」と思われるもののみが縦横に活躍する。

中島敦 鏡花氏の文章

中島敦泉鏡花の文学をこのように評したが、改めて「山月記」を読み飛ばさずに読んでみると、「山月記」もかなり(鏡花のものとは違い、多いに俗受けする形であるが)芸術至上主義的な立場に立って書かれていることが分かる。

山月記」に書かれていることは、とにかく、何からなにまで美しい。

そう考えると、僕が「山月記」について書いた過去のエントリーはずいぶん見当違いな事をかいているなあ、と改めて思う。

globalizer-ja.hatenablog.com

globalizer-ja.hatenablog.com

globalizer-ja.hatenablog.com

これらのエントリーの内容が完全に間違っているというわけではないだろう。

しかし小説を読む上で、文学というものはまず第一に芸術である、という事を忘れてはならないのは間違いない。

 

その一方で、「山月記」を読むと、感動する一方で少々不安になるのも事実である。

氏の芸術は一箇の麻酔剤であり、阿片であるともいえよう。・・読者は、それが、つくりもの――つくりものもつくりもの、大変なつくりものなのだが――であることを、はじめは知っていながら、つい、うかうかと引ずりこまれて、いつの間にか、作者の夢と現実との境が分らなくなって了う。・・それが、鏡花氏の作品だと、読者は何時の間にか作者の夢の中にまきこまれていて、巻を終って、はじめてほっと息をついて、それが現実ではなかったことに気付くのである。

この泉鏡花の文学の特徴は、ある程度は「山月記」にも当てはまる。

山月記」は文章にものすごい力があるので、読者が作品に飲み込まれてしまう。

そして、作品に飲み込まれてしまうと、もう何も考えることはできない。

「李徴は単に少し運が悪かっただけなのでは?」
「李徴の子供時代はどのようなものであったのか?」
「なぜ、李徴には精神的、あるいは経済的な支援を与える理解者が一人もいなかったのか?」
「普通とは違ったことをする人は、少しくらいは性格的な欠陥があるのが普通ではないのか?」
「李徴のように、才能はあるが迷惑な性格をもった人を、社会はどう扱えばいいのか?」

このような疑問点は、「山月記」を真剣に読むほど出てこない。

確かにそれは芸術の勝利である。

読んでいる内にこのような問いが出てくるのなら、それは芸術として完璧ではないともいえるからである。

しかし、このような問を排除した世界、「つくりもの」の世界を真に受けるのは、とても危険な事である。

「なぜ、李徴には精神的、あるいは経済的な支援を与える理解者が一人もいなかったのか?」

それは李徴が元々狷介な性格だった上に、その狂悖の度がますます著しくなったからだが、そうでなければ作品の美しい世界が成り立たないのだ。

ある意味、李徴というキャラクターは「つくりものもつくりもの、大変なつくりもの」なのである。

そして、「つくりもの」の世界に感動するのと、「つくりもの」の世界を真に受けることは、常に隣り合わせなのだ。

僕は「山月記」を読み飛ばしたので、かえって「山月記」について考えることができた。

その考えがどれほど正しいかはともかく、とりあえずそれは自分の頭で考えたものである。

そう考えると、僕が「山月記」を読み飛ばした事にも少しは利益があったのかもしれない。

ある種の文学は、それが「つくりもの」であるにも関わらず(あるいは「つくりもの」であるからこそ)読む人間を飲み込んでしまうところがある。

それは、とても怖いことだと思う。

ここに氏の作品と、漱石の初期の作品――倫敦塔・幻影の盾・虞美人草等――との相違がある。これらの漱石の作品を読みながら読者は最後まで、それがつくりものであることを忘れないでいることができる。・・思うにこれは、この二人の作家の才能の差ではなくして、その自らの夢に対する情熱の相違のしからしむるところであろう。

漱石と鏡花を比較して、中島敦はこのように記したが、もしかして漱石は文学における芸術至上主義に対して警戒心を持っていたのかもしれない。

そして、この問題を考えることは、国語教育とは何か、を理解する上でも有益であろう。

ある種の薬剤と同じように、ある種の文学はそれが効き目が強いものであるだけ害も大きい。

そのような作品を教室という場で(作品に出てくる隴西やら虎榜などの単語に関する解説を聞きながら)作品に飲み込まれることなく読み進めていくという事にも、国語教育の意義がある、とされているのかもしれない。

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国語の授業で「山月記」をどう取り上げるべきか

先ほど「山月記」関連に関するエントリーを2つ書いたが、山月記というのは国語の授業でどのように取り上げられているのか気になったので調べてみた。

ものを書くことを好む人が多いのか、どうも国語教師というのはネットをやる人が多いようで、検索をすると「山月記」の授業に関しても膨大な量のエントリーが見つかる。

それを見ていて改めて思うのは、「山月記」を授業で取り上げるというのは結構難しいなあ、ということだ。

 

まず、「山月記」が李徴のような人間を煽りまくる目的で書かれたという側面があるのは間違いないだろう。

文学の世界では、今も昔も李徴のような人間には事欠かないわけで、中島敦に李徴のような生き方を批判する意図があったのは間違いない。

中島敦には書くことがなくなったのに作家という肩書にしがみつく職業作家を批判した一文があるが、職業作家に対する認識がこれなのだから、李徴のような生き方をしている者に対する認識はより厳しいものであっただろう。

だから、「山月記」を俗人受けする説教と考えるのはある意味では間違っているとは言えない。

globalizer-ja.hatenablog.com

その一方で、「山月記」に出てくる虎の置かれている状況と、中島敦が置かれている状況との間には対応関係がある。

「格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるもの」だが「第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがある」未発表の作品を「長短およそ三十篇」書き溜めているのは李徴も中島敦も同じである。

李徴は「進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたり」することなく詩作を続けたが、中島敦も文学コミュニティーからは距離をおいて創作活動をつづけた人物で、人生の大半は無名であった。

さらに、李徴は完全に虎になりつつある事で創作活動を終えようとしているが、中島敦も持病である喘息のために、「山月記」を発表して10か月で亡くなっている。

山月記」の虎は洞窟で横になって「長安風流人士」によって作品が読まれる夢をみているが、中島敦も病床にありながら文学で名を成すことを願っていた。

李徴は袁参の一行に自らの作品を口述するのも、中島敦が亡くなる前にこれまで書いたものを知人にまとめて委託することに相当するし、妻子を心配する前に作品がどうなるかという心配をしてしまうところまで一緒なのである。

そう考えると、「山月記」には中島敦の自己総括という側面もあることは間違いない。

globalizer-ja.hatenablog.com

もちろん、中島敦は概ね李徴よりもハッピーな人生を送った人であったということには注意が必要であるだろう。

中島敦は大学卒業後の人生の大半を女子高の教師として過ごしたが、その職業生活は(喘息による体調不良を除き)全く順調なものであったと伝えられる。

大学院を中退して女子高の教師になったのも、雀荘に入り浸った挙句に雀荘の女性店員と出来婚をしたからで、文学の才能に絶望していたわけでもなんでもなかった。

hamarepo.com

しかしながら、中島敦には教員生活を楽しむ一方、どこかで「こんなことをしていていいのかなあ」という気分もあったのだろう。

山月記」の後半は恥も外面もなく泣き叫ぶような感じになっていて、これは受けを狙って悪乗りをして書いたのか(ある種の本当なのかわからない匿名ダイアリーのエントリーのように)、それとも精神的に弱っていたからそのような調子になったのかは分からないが、それでも自分の文学者としての生涯を振り返った時、多少の後悔はあったのかもしれない。

だから中島敦は、李徴のような人間を批判しながらも、自分にも李徴のような部分があるなあ、と内心考えていたのではないだろうか。

 

李徴はどうして虎になったのか?

 李徴を猛獣のように支配する羞恥心や自尊心が、李徴の外面をも猛獣のように変えたから(40字)

まあ、正解であろう(たぶん)。

しかし、本当のことを言えば次のような回答のほうがより真実に近いような気がする。

「虎人伝」という中国の古典をネタ元にしているから(25文字)

ある意味、「李徴はどうして虎になったのか?」という問いは全く見当違いのものといえる。

李徴が虎になったのはそのほうが話が面白くなるからで、それ以上の意味はない。

重要なのは、虎の置かれている状況と中島敦が置かれている状況は同じようなものだったということで、このことを理解しないと「山月記」の内容は良く出来た作り物のように思えてしまう。

 

国語というのは、基本的には作品に書いてあることだけに基づいて成り立つものである。

だから、国語の授業が「李徴はどうして虎になったのか?」というような問に答えるためのものになるのは仕方がないし、ある程度はそうあるべきだ。

しかし、問いに正解することと作品の内容を理解することは別の話である。

そして「山月記」を「山月記」に書かれた内容だけを考えて読んだ場合、大したものは出てこない。

そこに「山月記」を扱うことの難しさがあると思う。

 

山月記」の授業に関するエントリーを見ると、作品の理解と正しく文章を読む技術を教えるという2つの目的を同時に達成しようとして、どちらも中途半端になっている授業が少なくないように思える。

僕が国語教師ならば、「山月記」の授業は「このような作品を読むと、国語教師はこの点とこの点に注目して、このような問題を作ります。回答がここを押さえていれば何点、ここを押さえていれば何点です」という風に授業を進めると思う。

おそらく、作品の仕組みよりも国語という教科の仕組みを教えることに重点を置いた方が間違いなく役に立つ。

その一方で、「山月記」を執筆中の中島敦は虎のような状況にあった、というような、作品の内容の理解に役に立つことをオマケとして話せばいいのではないかなあ、ということを無責任に思った。

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「山月記」はバズを狙って書かれた作品だと思う

先日、僕は「山月記」は「働かざるもの食うべからず」というような俗人道徳を夢にも疑わないような俗人向けの作品であると書いた。

そして、このような作品は、李徴のような傾向のある人間を無条件的に排除することの肯定につながるもので、これからの学校教育で取り上げる事は不適切であると批判した。

globalizer-ja.hatenablog.com

しかしある意味、このような指摘は全くの見当違いであると言うこともできる。

なぜなら「山月記」は、ある意味、中島敦が自分を批判した作品であるからだ。

 

山月記」が発表された10か月後、中島敦気管支喘息のためになくなっている。

中島敦が「山月記」を執筆中に、ある程度死を覚悟していたことは間違いない。

山月記」には

他でもない。自分は元来詩人として名を成す積りでいた。しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立至った。曾て作るところの詩数百篇、もとより、まだ世に行われておらぬ。遺稿の所在も最早もはや判らなくなっていよう。ところで、その中、今も尚なお記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録して戴きたいのだ。何も、これによって一人前の詩人面をしたいのではない。作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。

とあるが、自分が今まで書いてきたものが今まさに完全に失われようとしている、というのは、まさに当時の中島敦が置かれていた立場なのである。

そう考えれば、中島敦というのは、外面的にはともかく、内面的にはかなり李徴のようなところのある人物であると言えないこともない。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

とあるが、たしかに中島敦は誰かの弟子になるわけでもなければ、同人を作るなどして積極的に作品を発表するという事をしたわけでもなかった。

結果として、中島敦の文名は一向に上がらず、中島敦よりもはるかに才能がない人間に対しても遅れをとる結果になった。

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。

という下りは中島敦自身の後悔がある程度は反映されているだろう。

山月記」で李徴は自身が虎になりつつあることでゆくゆくは創作が不可能になることを覚悟するが、これも病状が進行するばかりの中島敦の置かれた状況と対応しているのである。

袁參は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随したがって書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。

という部分は、まあ自虐ギャグであろう。

作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか、と。

自分でいうのもなんだが、自分は素質はあったと思っている。でも、センスに頼り切ることをせずに、もっといろいろと努力をしていればもっといいものが書けたかもしれないなあ。結局は自信がなかったのかなあ、というのが中島敦の自己総括だったのかもしれない。

そういう意味では、「山月記」にはある種の匿名ダイアリーのエントリーを連想させる所がある。

 

中島敦には時間がなかった。

なにせ、第一流であるかはともかくとして、自分がこれまで書いてきたそこそこ出来のよい作品が完全に散逸し、忘れ去られる瀬戸際なのである。

それで、中島敦は思いっきりバズを狙った「山月記」を投下して、手っ取り早く文名を高めようとしたのだろう。

結果として「山月記」は、ほとんどの国語の教科書に採用されるという文学として考える限り最大のバズを起こし、大抵の日本国民にその名が知られるようになった。

そして、その作品は全集にまとめられ、今に至るまで容易に入手が可能である。

中島敦全集〈1〉 (ちくま文庫)

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中島敦全集〈2〉 (ちくま文庫)

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中島敦全集〈3〉 (ちくま文庫)

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平均的な読者は中島敦の生涯についての知識がないので、虎と中島敦との間に対応があることが分からない。

だから、「山月記」は単に「働かざるもの食うべからず」のような陳腐な説教をうまく形にしただけの、李徴のような人間を煽りまくるために書かれた作品のように思えてしまう。

しかし、一度この対応に気づくと、「山月記」の印象は全く違ったものになる。

そして、「山月記」を中島敦の自己総括としてみた場合、「山月記」の不自然に感じられる部分がなぜそのように書かれたのかが完全に理解されるのである。

山月記」は基本的には、ある種の増田が匿名ダイアリーにアップロードする、自分は失敗した!もう取返しがつかない!みたいな感じのエントリーのようなものだと思う。

そのような作品が、ある種の教育者が歓喜して飛びつくような説教として流通する事になったのは皮肉だが、ともかく、文学者として名を成し、「風流人士」に広く作品が読まれるという中島敦の夢は意外な形で実現したのである。

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「山月記」はそんなに優れた作品なんだろうか?

言うまでもなく、「山月記」というと中島敦の作品の中で最も有名な作品である。

中島敦 山月記

戦前の小説には漢籍をアレンジしたものが多く、これも「人虎伝」という作品のアレンジなのだが、国語の教科書で取り上げられているからみんな知っている。

『人虎伝』まとめ | フロンティア古典教室

実際の所、国語の教科書の内でどれくらいのものが「山月記」を取り上げているのかは知らないが、世間の「山月記」に対する反応を見ると、おそらく大抵の教科書に載っているのだろう。

そして、「山月記」の内容の方も、それなりに好評をもって国民に受け入れられているのではないだろうか。

 

しかし、僕は、「山月記」が文学作品として本当に優れているのかについてかなりの疑問を持っている。

 

とりあえず、「山月記」の前半部分は文句なしに素晴らしい。

美しい文章が澱むことなく、するすると流れる。

膨大な情報が一切の無駄なく、しかもいささかの不自然さもなく展開される様は驚異的で、漢文調の文体を採用したことが大きな効果を挙げている。

内容としても、

一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。

という身も蓋もない言い方をしているのはこの時代の文学ならではだし、

しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判わからぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。

という所も、なかなか深いものがある。

今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。

という下りも、深刻なのにどこか滑稽な所があって、中島敦らしくてとても良い。

 

しかし、

しかし、袁參は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがあるのではないか、と。

という記述が出てきてから、小説の流れがおかしくなる。

読んでの通り、この後はひたすら李徴の泣き言が続くのだが、これを泣き言にしてしまった事でこの小説の価値はものすごい低下をしたと思う。

なんで泣き言にしてはいけないのか、というと、これを泣き言にしてしまうことで「山月記」は人々の思考を完全に停止させるものになってしまっているからである。

もっというならば、この山月記の後半は人々の持つある種のルサンチマンに強く訴えかけるものになっており、それが非常に問題なのだ。

 

一見、「山月記」の説くところは、何の疑う必要もないこの世の真実のように思える。

しかし、世の中というのは本当に「山月記」が言っている通りなのだろうか?

 

山月記」の舞台となっている時代の中国の社会とか文化的な状況は分からないが、しかし李徴のような高学歴で相当のセンスを持っている人間ならば、いくら狷介な性格でもある程度の理解者が出てくるのが普通であるような気がする。

李徴のような人物でもなんとかやっていけるのが、実際の世の中なのではないか、と思うし、だいたい芸術のような事をしている人というのは、どこか李徴のような所があるのではないか?

山月記」では李徴の失敗を性格的欠陥に求めているけれども、この性格だって本人にはどうすることも出来ない場合がほとんどである。

性格というのは、円満家庭でのびのび育てば人格円満になるし、そうでない家庭でそだてば欠陥が満載された性格になる。

そういうどうしようもなさを泣き言にしてもどうしようもない。

物事というのはほんの少しの違いで、成功するか、失敗するかどうかが決まるものである。

李徴だって、少しめぐり合わせが違えば、大成功するかはともかくとしてそこそこ成功していたかもしれない。

その場合、李徴の人生に対する評価は全く異なったものになるだろう。

 

「李徴は単に少し運が悪かっただけなのでは?」

「李徴の子供時代はどのようなものであったのか?」

「なぜ、李徴には精神的、あるいは経済的な支援を与える理解者が一人もいなかったのか?」

「普通とは違ったことをする人は、少しくらいは性格的な欠陥があるのが普通ではないのか?」

「李徴のように、才能はあるが迷惑な性格をもった人を、社会はどう扱えばいいのか?」

 

冷静に「山月記」を読むと、いろいろな疑問が浮かんでくる。

しかし、「山月記」は、このような問題を提起するような書き方はしていない。

それは単に、世間が信じる「働かざるもの食うべからず」みたいな道徳に挑戦した者が当然のように敗北する、というだけの話になっている。

俗人にとっては完璧なハッピーエンディングである。

せっかくのハッピーエンディングなのに、これ以上何を考える必要があるというのか?

 

せっかく面白いテーマを見つけたのに、中島敦は「山月記」を下らない道徳の問題にしてしまった。

その結果として、「山月記」は教育関係者が歓喜して飛びつくような内容になっている。

しかし、世の中を進歩させてきたのは、むしろ李徴のように少し頭のネジが飛んでしまっている人間ではないだろうか。

李徴のような人間と袁参のような人間の両方がいる事で世の中は成り立つ。

そのような問題を読者に考えさせるのが文学の役割であるとすると、「山月記」は文学になっていない。

せめて後半の部分が淡々とした突き放したものになっていればまだいいが、あのように甘ったるくなってしまってはどうしようもない。

 

結局、「山月記」は、李徴のような人間を無条件で排除する事を肯定するだけの影響しかないような気がする。

それは、教育関係者をはじめとして日本国民に大うけする作品であるが、そんなことでいいのだろうか。

中島敦の作品のなかで「山月記」だけが読まれている事は問題だと思う。

中島敦の作品にはもっと優れたものがある。

中島敦 章魚木の下で

中島敦 鏡花氏の文章

もうそろそろ、「山月記」以外の作品を取り上げる時期であると僕は考える。

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