グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

AIと民主主義

最近、AIなどの情報技術の発展によって、人々は「高度」なスキルを持った高収入の労働者と、やりがいもなくきついが機械ではできない低賃金労働者に二極化する、という意見をよく聞くようになった。低賃金労働者の仕事が本当に過酷でやりがいがないか(というのは、やりがいとか仕事のつらさは仕事のやり方によって大きく変化するから)、あるいはそもそも情報技術が社会の構造をひっくり返すだけ進歩するか、など疑問はあるが、それはさておき、僕が気になるのは、もし労働者が二極化したら、数的には「頭脳労働者」が何割で「単純労働者」は何割になるか、ということだ。なぜ気になるのかというと、年収100億の頭脳労働者も年収100万の単純労働者も、持っている票数は1人一票だからだ。もし、頭脳労働者一人につき単純労働者が99人、みたいな世の中だと(このような想定をするだけで、本当に二極化なんてするのか?と懐疑的になってしまうが)、いま信じられている道徳観は根底からひっくり返るだろう。さらに、テクノロジーが単純労働そのものに与える影響はどのようなものか、という問題もある。単純労働を機械の支援を受けて行うようになると、単純労働はますます頭脳労働みたいになっていくだろうし(それは実は今までもそうなのだが)、テクノロジーによって効率が極限まで高まった結果、ついには労働が(職場での人間関係はともかく、労働そのものは)楽になっていく、ということもありうるだろう。テクノロジーは政治のあり方に影響を与える。政治のあり方が変わらずにテクノロジーだけが進歩する、ということはあり得ない。だから、長期的には、言われるような極端な二極化は起きないのではないかと思う。

アクセス数が少し増えているような気がする

このブログのアクセス数は始まった当初から平均すると1日180くらいで何をやってもほとんど変化がなかったのだが、以前に比べてアクセス数が増えているようで最近は平均アクセス数が200台前半くらいある。長文を書くのを完全に放棄して(まあ、書きたいときには書くけれども)140文字のTwitterのエントリーに毛が生えた程度のエントリーを書くようにしてから増えたような気がする。検索エンジン会社は検索エンジンの使用者がエントリーをよむ時間をレーティングに反映させている、と聞いたことがある。僕は今、エントリーは読みやすさより書きやすさを優先させているので、記事の分量の割には読まれている時間が長いな、みたいな感じになっているのかもしれない。それから、なんだかんだでこのブログのエントリーは350くらいあるから、さすがに量的な要素が効いてきている可能性もある。アクセス数が50増加するだけでも精神的にはだいぶ違う。まあ、こんな感じでひたすら楽に書き続けることを優先してブログをやっていこうと思う。

検索エンジン会社・民放・スマートフォン

https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/googleaaaaaaaaaaaaa

例の検索エンジン会社は民放に似ていると思うのだ。つまり、広告収入により価値のあるものをタダで(実質的には、それは消費税のように物価に転嫁されているのだが)提供している、というのが似ている。そして、このような会社である以上、そのビジネスの手法には必然的に制限が生じるだろう。いま、検索エンジン会社が開発したスマートフォンのカメラがすごいと話題になっている。確かにすごいのだろう。しかし、例の検索エンジン会社がやっていることは、例えばフジテレビや日本テレビテレビ朝日などが非常に質の高いドキュメンタリー映画を制作して、そのチケットを2,800円で売り出すようなものではないだろうか。いくらカメラが素晴らしくても、iPhoneくらいの値段ならば仕方がない。せいぜい、一部のマーケットでAppleのカウンターになる程度のことだろう。テクノロジーの力でとんでもない性能のカメラを搭載したスマートフォンを12,800円で売りだす、というようなのが検索エンジン会社の向かうべき方向だ。

長文ブログを続けるって無理ゲーじゃないか?

ブログを書き始めてしばらく経つけど、長文ブログを続けるのって結構、無理ゲーじゃないかと最近思う。なぜかというと、長文ブログは書くのに時間がかかる。そして、その割にぜんぜん読まれない。短文のエントリーなら読まれなくても別になんとも思わないけれども、長文のエントリーを書いて読まれないとがっくりくる。エントリーをアップロードするたびにがっかりしていると、段々嫌になってくる。それだけではない。読まれてそれなりに収入がある場合でも長文ブログは簡単に消える。長文ブログを書くのは大変すぎる。成功している場合でも継続が大変なくらい大変なのである。僕はもう、長文のブログを書くことに興味はない。向いてないし、あまりにも割に合わない。結局、ブログなんて楽でないと続かない。無理してブログを書くことほどばからしいことはない。

賃金が上がってないのに、なんで移民が必要なの?

本当に人手不足なら賃金が上がるはずなのに、人手不足のおかげで収入が増えて生活が楽しくなった、という話はあまり聞かれない。どう考えても、本来働いてしかるべき経済メカニズムが働いていない。それなのに、なんで移民なのだろうか?移民などに頼っていれば国が腐る。

嫌韓・反日エンターテイメント

防弾なんとかというBoys Bandの反日が話題になっている。日本でもそれなりのセールスがあるはずなのになんでこのようなことをしたのかよく分からないが、それで思ったのは、やっぱり反日って面白いんだろうな、ということだ。端からみれば、地政学的な条件が不利すぎたのだから民族の歴史が惨めなものであるのは仕方がない、といえばそれで済む話だし、いくら日本人に謝罪させたところで民族の歴史が惨めなものであることには変わりがない。それでも反日を止められないのは、反日が面白すぎるからだろう。過去の歴史を持ち出せば、日本人は頭を下げる。欧米のネオリベメディアも、欧米諸国がしてきたことを棚に上げて韓国の味方をしてくれる。面白くないはずがない。一方の日本側でも、嫌韓がエンターテイメントとして定着して久しい。日韓関係で問題が持ち上がるごとに、日本人特有の残酷さをもって韓国人の愚行がこれでもか!というくらい徹底的に分析され、全てがお笑いとして消費される。話が現実問題であるだけ、これらの話題はコンテンツとして盛り上がる。嫌韓反日はどちらもなくならないだろう。日韓友好などよりも、そちらのほうがよほど面白いのだから。

情報と食い物

情報と食い物は似ている。人は食い物でできているわけだれども、人の精神は情報でできている。だから、どのような情報を摂取するか、あるいはどのような情報を摂取しないかによって人としての在り方は変わってくるだろう。