グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

インターネットと無くならないコンテンツ

ネット以前の世界においては、コンテンツというのはモノであった。コンテンツを買うということはモノを買うということだったのである。本でもCDでもDVDでもVHSテープでもLPレコードでも、なんでもそうだ。少なくとも、消費者の意識の上では、明らかにコンテンツを買うというよりもモノを買っているという意識のほうが遥かに強かったと思う。

ところが、インターネットによってコンテンツはモノではなくなった。コンテンツがモノではなくなった、ということは、コンテンツが無くならなくなった、ということである。例えば、本というのは一部の例外を除いてあっという間に絶版になってしまうが、本がKindle化されていればそれは無くならない。その本を読みたければいつでもダウンロードして読むことができる。

これはコンテンツ産業にとってはゆゆしき事態に違いない。思うに、いままでのコンテンツ産業というのはかなりの部分、物欲によってドライブされていたと思うのだ。それで、物欲というものは、ほしいモノがその内に二度と入手できなくなる、という恐怖と大体イコールである。ところがデジタルデータというのはネットでいつでも購入できるので、消費者は少しくらい高い値段がついていてもあせって購入する、なんて事はない。

もちろん、コレクターズアイテムとしてのモノは今後も残るだろうし、ゲームやアニメの設定画集などはこれからも本として売れていくだろうが、それ以外のものはデジタルデータでいいんじゃないか?ということになって消費者はどうしても冷静にカネを使う事になる。

コンテンツ産業におけるコンテンツのデフレが問題になって久しいけど、それにはネットで売られているデジタルデータがいつまでもマーケットにある、というのも少しは関係があるのかな、と思った。もちろん、この問題で一番大きいのはネットで怒涛のごとく流れる無料コンテンツの存在だろうが、そういえばコンテンツがモノだった時代はコンテンツはいつ無くなってもおかしくないものだったな、と思ってこれを書いている次第である。