経産省の「不安な個人、立ちすくむ国家」という資料を読んだ
経産省の二十代、三十代の職員が日本の将来像を論じたというプレゼン資料が話題になっている。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
日本をダメにした戦犯の一つと広く見なされている経産省からこのようなものが出てくるというのは興味深いことで、ネットでは「また経産省か!困ったものだ」という意見も聞かれるが、しかしその内容はいろいろ考えさせられるものがある。
女性職員が多く関わっているのか、レポートに高学歴女性の問題意識(あるいは利害)がストレートに反映されているのも興味深い。
プレゼン資料もいかにも可愛らしい感じで、良くも悪くも、女性の「活用」が大きな効果を上げた事例であると言えるだろう。
それでその内容だが、どうも「大躍進」レベルに評判が悪くなった「構造改革」(経産省もそれなりにこれに関わったはずだ)を反省し、新自由主義の原点に戻って日本を再生しよう、という提言のように思える。
この失われた20年(あるいは30年)の間、日本の政治・行政は新自由主義の強い影響下にあったわけだが、しかしながらその結果というと、プレゼン資料にもあるように、これはいわば旧制度とネオリベの悪いとこ取りとでもいうべきもので、今はごまかせてもそのうちに清算する必要があるのはだれでも分かることだ。
そのような腐敗した制度は解体し、
・これからはセーフティーネットになっていない福祉政策を見直し
・必要最低限のセーフティーネットを徹底的に強化する一方で
・大して効果がないどころか、結果としてありがた迷惑になっているような福祉制度は解体し
・節約できたカネを将来に向けて投資するべき
というのがレポートの主張するところである。
過剰福祉は国民が福祉に完全に依存するようになる一方で、現状をみても分かるように弱者の救済が極めて恣意的に行われるという問題点がある。
これは穴の空いたバケツに水を注ぐようなもので、いくら福祉を拡大しても目的は達成されない。
しかも福祉にカネを取られて、将来に向けた必要な投資ができなくなるから、社会はジリ貧状態になって疲弊するばかりとなる。
国民ができることを国がやってしまうのは非効率で、しかも国民のほうもやることがなくなってしまうので孤立化するから手厚い福祉が国民の幸福に繋がらない。
これらの主張は新自由主義としては典型的なもので、一言で言えば、再配分する小さな政府というのがこのレポートの方向という印象を受ける。
このレポートでまず注目されるのは、いま時代は、
・保護主義・ナショナリズムに代表される封建主義的な社会か
・安心して自由な選択ができるリベラルな社会か
を選ぶ分岐点に差し掛かっている、といったあとで、封建主義的な問題の解決手法が全く無視されていることである。
どうも、封建主義的な社会というのは間違った社会であるとかんがえているようだ。
ところが、資料のはじめのほうに列挙された国民の不安のかなりの部分は、まさに自由主義の帰結として生じたもので、セーフティーネットを整備してどうにかなる、というわけでもない。
立ちすくむ人はセーフティーネットがあっても立ちすくむというか、問題が個人個人の精神的なものなので(精神的にダメージを食らいたくないとか)、セーフティーネットとはあまり関係ない。
少子化問題なんかはその典型で、仮にこのレポートの提言を全部実行したとしても少子化問題が解決しないのは明らかである。
人間というのは昔からそういうもので、要するに、立ちすくむ個人の背中をヤキモキした周りが強引に押しだす、というのが封建社会だった。
それがどんなものであれ、一応それは前進なのだから永遠に立ちすくんでいるよりマシ、自分で自分のことを決められるほど人間は強くない、というのが封建主義的な価値観である。
福祉の制限についても、封建主義的な社会では共同体に著しい負担や危険をもたらす者を排除、抹殺、隔離するための仕組みがある。
ところが、自由主義に基づく社会ではこのような手段を講ずることができない。
結果として生じた負担のかなりの部分を社会に押し付けることになり、負担を恐れる結果として社会がたちすくむことになる。
もし社会を
・封建主義的な小さな政府
・自由主義的な小さな政府
・封建主義的な大きな政府
・自由主義的な大きな政府
の四つに分類するとすれば、このレポートで封建主義的な小さな政府について全く論じられていないのは不自然に感じる。
たとえば少子化についていえば、存在する選択肢は性的分業か少子化かの二つに一つで、これは動かしようがない。
このレポートがいうように、個人個人が(たとえば女性が)自由な選択ができるほど社会は最適化される、という考えは疑わしい。
おそらく、封建主義的な発想なしでは今日の社会が直面する問題を解決することはできない。
なぜそれを言わないのというと、それはもちろん経産省の職員にとって都合が悪いからで、子供一人あたりを支える大人は増加する、というのはそれ自体は重要な指摘であっても、やはりごまかしにすぎない。
ネットで「経産省らしいよね」という冷ややかな声が聞かれるのは故のない事ではない。
「構造改革」の悲惨な顛末を体験して、国民は新自由主義の気配がするものに強い猜疑心を持つようになっており、経産省もそこらへんはかなり意識している様子が伺える。
たしかに、このレポートにかいてあることはいかにもネオリベ政治家が選挙中にいいそうなことで、実際にどのような形で政策が実行されるかに不安があるのだ。
財務省の職員ではないが、この経産省のリポートを「忖度」して、これは新手の「構造改革」なのではないか?と疑う声があるのは無理もない。
結局、この路線が成功するかは、エリートにうれしい♡政策をいかに後回しできるかにかかっている。
「構造改革」が頓挫したのは、エリートがエゴをむき出しにし、国家のことは御構い無しに火事場泥棒的な利益を得ようとしたからだった。
「二度目の見逃し三振は許されない」と煽るからには、このようなことを繰り返すのはナシにしていただきたいものだし、レポートにこの点からの反省が見あたらないのは気にかかる。
とはいえ、それが現実的であるかどうかはともかくとして、僕は今の時代に明るい未来像を提示しようと試みることには非常に大きな意義があると考える。
もちろん、こういうレポートを両手を挙げて称賛するというのは論外であるが、論点を提示するという意味でこのレポートは非常によくできていると思う。
再配分する小さな政府、というのは方向としては(少なくとも一時的には)正しいので、この方向でさらなる議論がなされることを期待する。
続き
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