グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

AIと大学無償化

最近、大学無償化の話をあちこちで聞くようになってきた。

自民党悲願の憲法改正との抱き合わせという意味もあるんだろうが、ともかく自民党・非自民党問わず大学の無償化を支持している国会議員は少なくないようなので案外あっけなく無償化になるかもしれない。

 

僕はこれまで大学の無償化というか、今の教育システム自体に懐疑的だった。

なんか世間では教育を充実させるといい事があるかのように言っているけれども、今の日本で本当に問題なのは過剰教育であると思っていた。

つまりいらない教育があまりにも多すぎるために教育が社会の停滞のもとになっていると思っていたのである。

いまの教育というのはムダのかたまりで、必要な事は適当に済ますのにどうでもいいことを長々と時間を掛けてやる。

学校が学校であるためにはムダが必要なのでムダというのは一向になくならない。

だからこれからの社会では学校の機能をどんどん削減していって、学校では本当に重要な事を徹底的にやる一方でその他に必要な事があるならば個人の自己学習にまかせるような社会にしていかなければいけないと考えていた。

大体にして、勉強というものはすればするほどよい、というのが世間での一般的な建前だが、実際はぜんぜんそうではない。

社会が必要としているのはある程度以上に根気強く勉強できるというメンタリティーだけで、勉強の内容に関しては大した価値を認めていないのはオーバードクターの問題を見ても明らかである。

 

そういうわけで僕は大学の無償化についても懐疑的だったのだが、しかし最近は一概にはそうはいえないかな、とも思い始めている。

産業構造が変わるにつれて、もしかしたら人間に求められる能力が変わってくるかもしれないからだ。

人材の流動化

大学無償化の一つのメリットとして、人材の流動化の促進につながる事が期待できる事があげられる。

無償化というのは普通、裕福な人は何不自由なく進学が出来るのに貧乏な人は進学をあきらめないといけないか、進学をしたとしてもものすごい苦労を強いられるので不公平ではないか、という観点から論じられるが、僕は社会人の再教育において大学無償化がどのような意味を持つかという事に関心を持っている。

つまり、いままでの社会というのはある程度キャリアというものが決まってしまったらよほどの事が無い限りキャリアを変更できない社会だった。

ようするに、なにか別のキャリアを目指すにしてもキャリアを変えるとっかかりがなかなかない。

なので、たとえ他の方向に進みたいと思っていても基本的には今までやってきた事にしがみつくしかない。

これがもう一度タダで大学に再入学できるとなると、キャリアはだいぶ変えやすくなるだろう。

もしAIが言われるようなペースで発達していくとすると、キャリアの流動化はますます重要になってくる。

これからは機械化の進行によってぜんぜん成り立たなくなるような産業が出てくることが予想されるが、必死になって旧産業にしがみつかれるよりはタダで大学に入ってもらい、他のキャリアを目指してもらった方がまだマシなのだ。

役に立たなそうな勉強がしやすくなる

僕は機械化が進むにつれて、働くことよりも考える事のほうが重要になってくるのではないか、と考えている。

globalizer-ja.hatenablog.com

これまでの日本社会は考える暇があったら働け、というのが基本の社会で、あんまり考える事が重視されてこなかった。

そして考える事なく働いてきた(あるいは働くフリをしてきた)結果が今の日本の惨状である事はいうまでもない。

ところが、それではいままでとは違う発想を学ぶ事が出来るような学問が重要だということになったとしても、そういう学問というのは一般にカネを掛けて勉強するには気が引けるようなものが多い。

法学とか経済学ならば就職はバッチリだから何百万も払えるだろうが、文化人類学とか宗教学、哲学などの学問に何百万を投じるというのはなかなか気が引ける。

もしそういうマイナーな分野の勉強をして失敗したら再起不能になるかもしれないからだ。

しかし、これからのビジネスを考えた場合、本当に役に立つ学問というのはどっちだろうかというと、まだしも文化人類学とか宗教学、哲学のような進学を反対されるような学問のほうがビジネスのヒントになるような気がする。

そういう意味で、これからのビジネスとか社会に本当に必要とされる知識を学びやすくなるという点で大学の無償化の意義は少なくない。

考える時間ができる

考えてみれば、大学に在籍することの価値のかなりの部分は考える時間がある程度出来るという事で、勉強そのものはオマケとも考えられる。

一度社会人になるといそがしくなってしまい考える時間がなかなかないが、その一方で社会人こそ考える時間に価値がある、ともいえる。

忙しくて取り組めなかった事に取り組むのもいいし、なにか人生につまづいたら、大学にいってのんびり自分の人生を考え直す、という事があってもいい。

もっといえば、大学がタダになれば大学が最後の逃げ場になるというか、いざとなったら大学に逃げればいいか、と考える人が多くなれば社会の閉塞感も改善されるのではないか。

ダブルメジャーが身近になる

アメリカと日本の教育システムで大きく違う事はいろいろあるけれども、アメリカではダブルメジャーが一般的だというのは日本と大きく違う所の一つだろう。

ダブルメジャーというのは学士号を二つ持っているということで、例えばアメリカでは音楽の学士号とコンピューターサイエンスの学士号のどちらも持っているとか、そういう人が普通にいる。

そうすると、音楽の才能を生かしてITビジネスを立ち上げたり、プログラマーとして生計を立てながら音楽活動をするという事ができる。

学部と修士課程、博士課程とで専門が違う、という事も一般的で、専門を変える事による差別もない。

アメリカの経済が好調なのは、このように才能を無駄遣いしないような教育システムになっている事が非常に大きい。

僕は日本でもダブルメジャーは非常に重要になってくると思うが、今の教育システムでダブルメジャーを取ろうとしても現実問題としてなかなか無理がある。

ここで大学がタダになれば、流れとしてはダブルメジャーが一般的になる方向に大きく傾くだろう。

新卒主義の破壊

経歴が多様化するので、失敗ゼロで最短ルートで就職活動する人間が一番優秀と言えなくなる。

まとめ

僕は今の教育システムははっきりいってものすごい社会的コストになっていると思う。

まちがった選択をしたら教育を受ければ受けるほど損をするし、こけたら自己責任で再起不能になる。

おかしな教育システムのせいで、膨大な才能が無駄遣いをされている。

大学教育の無償化はこのような状況を変える可能性を持っている。

すくなくとも、今の教育システムがもたらす社会的コストがうまく削減された場合、おつりがくるんじゃないだろうか。

大学無償化には懐疑論も多いし、今の腐った大学ビジネスに公金を投入するのは恐ろしいが、しかし大学教育が無償化に向かうというのはある程度の必然性があると思う。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

AI時代に有利になる学部はどこか?

日本ではあまり知られていない大富豪であるMark Cubanの動画を見た。

今後の教育についてなかなか面白い事を言っていた。

どうもCubanはトランプと何回か話した事があるらしくて(自分の事をIndependentと言っているから選挙の時に献金をしたのであろうが)、動画でもトランプ政権の話がほとんどなのだが、今後の教育の在り方についてかなり問題意識をもっているようだ。

「ファイナンスは不要、リベラル・アーツにこそ未来がある」 マーク・キューバン氏 | BUSINESS INSIDER JAPAN

Mark Cuban: Liberal arts is the future - Business Insider

Cubanによると、これから人間のやっている仕事がAIによって置き換わっていくにつれてリベラルアーツの重要性が増えていくだろう、という。

たとえば、金融関係なんてコンピューターが出すデータを少しみて判断すればいいだけになるので金融関係の学問をやるのは下らない、これから重要性が増すばかりだと思われているプログラミングの勉強さえ、人工知能がプログラムを書くようになるので数年のうちに重要でなくなるだろうと予想しているようだ。

その代わりに重要になってくるのが外国語や哲学、英文学(English)などのリベラルアーツ(一般教養)なのだそうで、これらの学問はあと10年もすればプログラミングや工学よりも重要になるらしい。

なぜ一般教養が重要になってくるかというと、これからはAIで出来るような仕事をすることが重要なのではなく、AIが吐き出すデータを深く理解する事が重要になってくるからだという。

 

個人的には人口知能がそんなに簡単に実現できるものなのか疑問だし、経済学やプログラミングにもリベラルアーツの側面があると思うのだが、しかし人工知能が発達するとどのような学問が重要になるか、という話は興味深い。

 

いつも思うのだが、実学というのはたしかに役に立つけれども、それを使って何をするか、までは教えてくれない。

たとえばプログラミングなんかもそうで、プログラミングを勉強したらプログラムの組み方は分かるけれども、ではコンピューターで何をするのかというのはプログラミングの勉強自体からは出てこない。

Facebookのシステムを設計・運営する技術を持つことと、ハーバードに入学してSNSを立ち上げ、ハーバードブランドを使って世界的なウェブサービスにまでもっていって何兆円もの収益を上げることでは話が全く別である。

これはCubanのいう、これからはデータを解釈する能力が重要になる、という話と少し似ている所がある。

もし、会計やプログラミングというものがどんどん進歩して電卓のように簡単に使えるようになれば、会計やプログラミングの知識そのものよりも会計やプログラミングで何をするか、という事が問われる事になるのであり、その問いに答えるために重要になるのがリベラルアーツということなのだろう。

 

もちろん、人工知能が言われるように進歩するという保証はどこにもない。

しかし、ITの分野で世界の先端を突っ走るアメリカの大学教育がリベラルアーツを非常に重視しているという事実は注目に値する。

例えば、アメリカのIT業界の大物には哲学科の出身者が何人かいる。

ピーター・ティールはスタンフォードの哲学科を卒業した後でロースクールに進学しているのだが、ティールがこれほどの成功をしたのは哲学を専攻していたという事実と無関係ではないだろう。

ビジネスをするには常識を疑って真実を見抜くことが大事で、そのためには他の人とは違った発想をする必要がある。

実際、ティールの発言は非常に哲学的であり、普通の人とはぜんぜん発想が違う。

 

外国語を勉強するというのも、普通の思い込みから抜け出すには哲学と同じような効用がある。

言葉が違うと発想も全く異なったものになるからである。

これからは機械翻訳が発達するから外国語は勉強しなくてよくなると言われることがあるが、いくら機械翻訳が発達しても外国語の重要性はなくならない。

他の言葉を話している人を理解するには外国語を理解するしかないわけで、それはこれからの時代にますます重要になる。

グローバルなビジネスをやろうとする場合は特にそうである。

 

そういう意味で、AIの時代には哲学や外国語が重要になるというCubanの主張はそれなりにもっともな主張だと思う。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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アメリカでの東アジア人に対する反感

どうもアメリカで東アジア人に対する反感が高まってきているらしい。

東アジア人にはもううんざり、なんとかしてアメリカから叩き出せないものだろうか、というような事を考えているアメリカ人が増えてきているのだという。

 

僕はこれは単なる排外主義だといって片づけられない問題があると思う。

 

アメリカとかアングロサクソン文明というのは、基本的に助け合いというものを非常に大事にする文明だという話をよく聞く。

困った人がいたら助けるのが当たり前、という文化が浸透している。

実際、アメリカに行った人の話にはアメリカ人がすごい親切でいろいろと助けてもらったという話が沢山出てくる。

どのような人間であっても最低限の助けを求める権利があるというのがアングロサクソン文化の考え方で、それが何があってもなんとかなるだろうと考えるアメリカ人や英国人のアイデンティティーの一部になっている。

だからコミュニティーの力も強い。

たとえばアメリカでは、選挙になると共和党支持者と民主党支持者がそれぞれホームパーティーを開いて地域の人を招いて、政治について議論をする。

自分の生活に直接的には関係ない政治の話をホームパーティーを開いてするというのはなかなかできない事ではないだろうか。

もしかしたら多少の利害関係もあるのかもしれないが、大統領選挙の度にそういう話をテレビで見ると、アメリカの助け合いの精神というのは本当に強いんだなあ、と思わずにはいられない。

 

ところが、東アジアではどうだろうか?

東アジアの社会を見ると、助け合いの精神というのはあまり見られない。

困った人がいたら自己責任、そんな連中に関わり合いになりたくないし、そんな連中のためにカネをびた一文使いたくない、というのが東アジア人の考えかたなのではないだろうか。

それは何か失敗をした人に対してもそうで、失敗をしたのは悪い事をしたのが原因なんだから社会から罰を与えないといけない、と考えるのが東アジア人の考え方である。

失敗した人には助けが必要なのだと考えて、実際に自分がコストを負担する覚悟を持っているアメリカ人とは全く正反対だ。

 

そういう東アジア人がアメリカに移り住んだらどうなるだろうか。

 

 少し前の話になるが、エイミー・チュアという中国系アメリカ人が書いた「タイガー・マザー」という本が話題になった。

 エイミー・チュアは法律の世界では全米ナンバーワンらしいイェール大学ロースクールで教授をしているのだが、これは自身の子育ての方法を書き記した本である。

それによると、エイミー・チュアは子供に対して

・友人宅の”お泊り”に参加すること
・友達を呼んで遊ぶこと
・学芸会に出演すること
・学芸会に出演しないことに関して不平を言うこと
・テレビ鑑賞やコンピュータ・ゲーム
・自分で課外活動を選ぶこと
・A未満の成績を取ること
・体育と演劇以外の全教科で1番にならないこと
・ピアノとバイオリン以外の楽器を弾くこと
・ピアノやバイオリンを弾かないこと

を禁止するなど(法律家的なキチガイさが伝わってくるようなリストだが)ものすごい教育の仕方をしたという事で、その苛烈な教育は全米で大きな話題を呼んだ。

タイガー・マザー - Wikipedia

世間の予想に反して、このように教育された2人の娘は社会的に成功しながらハッピーに暮らしていて、母親との関係も良好だというから、エイミー・チュアもそれなりに娘が人間的にもまともに成長するよう配慮をしていたのだろうが、どうも自分の成功ばかりを優先している印象は否めない。

他の親からすれば、自分たちの子供を色々な社会活動に参加させている間に勉強だけ猛烈にしているような東アジア系の子供がどんどん有名大学に入っていくのは納得できないだろうし、子供にこんな教育をするような人間がイェールの教授になっていいのかと思うだろう。

 

白人のアメリカ人は、東アジア人を寛容な社会の恩恵を受けながらおいしい所ばかりを取っていく一種のフリーライダーとみなしているのではないだろうか。

もし東アジア人が白人のアメリカ人から受けた親切に対して何もせず、自分と身内の成功にしか関心を持たなかったとしたら、東アジア系の人間を排斥しようという動きが出てくるのは避けられない。

東アジア人のせいで社会が無茶苦茶になったと怒っている白人系アメリカ人は少なくない。

アメリカの排外主義を批判する前に、東アジア人がアメリカ社会に悪い影響をあたえていないかどうか考える必要があると思う。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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学生が勉強するようになると何かいい事あるの?

よく、海外の学生はものすごい勉強をするのに、日本の学生はぜんぜん勉強しないから日本の大学には問題がある、というような話を聞くけれども、僕はどうも日本の学生がもっと勉強しないといけない理由がわからない。

そして、日本の学生の勉強不足を批判する人から、学生が勉強するようになったら具体的にどういういい事があるのかという説明を聞いた事もない。

日本の学生が今よりも勉強するようになると何かいい事があるんだろうか。

もし学生が今の2倍勉強するようになれば、日本の大卒の頭の程度に何か根本的な違いが生じるのだろうか?

正直、僕は今の大学で教えられているような事をどれほど熱心に勉強をしても結果は大して変わらないんじゃないかと思う。

 

日本の学生の勉強不足を指摘する人たちをみると、僕は「勉強しなさい!宿題はやったの?」とかひっきりなしに子供を急き立てる愚かな親を連想する。

そういう人は無条件で、なにか勉強すればするほどいい事があるとでも考えているのではないだろうか。

 

勉強をすればするほどいい事があるというのは自明ではない。

たとえば、日本のマイナーでない大学で(マイナーでない大学というのも曖昧な表現だが)もっとも学生に勉強をさせる大学はおそらく東京大学であるだろう。

僕は東京大学の出身者でもなんでもないが、イメージとして東京大学の学生はものすごい勉強をしているという印象がある。

進振りがあるし、カリキュラムや学風という点からもいかにもたくさん勉強をしないといけなそうな感じがする。

もちろん学生はラクな講義を受講するとか過去問などの資料を入手するなどしてうまくリソースを配分していくのであろうが、少なくとも他の有名大学よりも学生が勉強しないという事はないと思う。

しかし東京大学を教育機関として見た場合、まともな見識を持った人で問題ないと考える人はあまりいないのではないだろうか。

東大閥が力を持つ組織というのはおかしなことになりやすいと言われる。

日産、東芝三菱自動車などがそうだし、霞が関などというのはそのもっとも極端な例であるだろう。

 

戦前の日本の例でいうと、陸軍士官学校とか海軍兵学校とかの学生はものすごい厳しいカリキュラムをこなしていたはずだが、結果はあのようなものだった。

日本だけではなく、今のEUの体たらくやアメリカの政治の現状を見るにつけても、熱心に勉強をすればするほどいい結果が出るという議論にはホントかよ、と言いたくなる。 

 

どうも学生に熱心に勉強をさせるという文化は必然的にある種の硬直化を招くような気がする。

多分、学生が勉強をさせられているうちに鬱になり、脳の機能が低下するからだと思う。

学生を猛烈に勉強させる社会というのは、頭はいいけれども無能な状態になっている人を大量に生み出すシステムでもある。

それではどうすればいいのかと言われると僕にも答えがあるわけではないが、学生に勉強をさせればさせるほどいい結果が生じるだろうという考えは疑わしい。

 

僕は学生というのは本来、本当に重要な事を少し学ぶだけでいいと思っている。

学生が勉強しないというのは結構だが、これからは学生が勉強する内容をリストラしていくことも重要だと思うのだが。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

3,000語でどこまで英語が話せるか

きのう次のような記事を書いたのだが、実はこれも現実的には正しいはずだけれども細かい所は相当に不正確というか、大雑把な議論をしているのでもう少し詳しく説明をしようと思う。

globalizer-ja.hatenablog.com

「3,000語で英語しゃべれるの?」といっておいてなんだが、本当のことを言うとある意味、英語というのは英単語を3,000語知っていればほとんどの事を話す事ができる。

3,000語といっても多いか少ないかわからないし、まあせいぜい言葉の表現の膨大さを考えるとずいぶん少ないかな、と思うくらいだと思うが、3,000語というのは相当に多い。

僕が前回の記事を書いたときにまず考えたのは今の時点で2,136字ある常用漢字のことだった。

常用漢字一覧 - Wikipedia

常用漢字というのはつまり日本人が日常的に使っている漢字の事だから、上の一覧表を見ても分かるように相当に難しい字も入っている。

曖昧の「曖」、語彙の「彙」、謁見の「謁」、才媛の「媛」、諧謔の「謔」など平均的な日本人はまず書けないだろうし、漢字一文字を取り出してみたら何の事か分からないような漢字までこの2,136文字の中に入っているのだ。

つまり日本語というのはすべて、漢字2,136字に平仮名50字を合わせた2,186文字で表すことができるのである。

もちろん日本語の単語はこの2,136文字から2,3文字を取って組み合わせる場合が多いから、日本語を使うのに必要な語彙は2,136を大幅に上回るが、それでも2,136語を知っているだけで相当な事が表現できそうだという感じはする。

だから、漢字でいうと「彙」とか「謔」のような文字を考えても2,136文字にしかならない事を考えると、英単語で3,000語というのは決して少ない語彙数ではない。

実際、オックスフォード学習英英辞典(OALD)の定義は'The Oxford 3000'という3,000語ほどの基本的な英単語で記述されている。

【DVD-ROM付】オックスフォード現代英英辞典 第9版

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なので、ある意味英語というのは3,000語あればほとんどの事を表現できるし、実際に英語を使う上で絶対に必要不可欠だと思う語彙をいくつか考えて'The Oxford 3000'のリストを見てみると、大抵のものは載っている。

http://www.oxfordlearnersdictionaries.com/wordlist/english/oxford3000/

一方、3,000語に載ってない単語は3,000語にある語彙を使って言い換える事ができる。

例えば、OALDでprovokeという語を引くと次のような定義がある。

to cause a particular reaction or have a particular effect(何らかの反応を引き起こすこと、または何らかの効果を及ぼすこと)

http://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/provoke

だから、provoke a violent protest(暴力的な抗議行動を引き起こす)という代わりにcause a violent protestと言っても意味は通じる。

provokeよりcauseのほうが使用範囲が広いから、causeを使ってもいいわけである。

 

それじゃあ、英語を話すにはcauseのように基本的な3,000語程度の単語の使い方を勉強するだけでいいじゃないか、と思うかもしれない。

実際に英語教師は年がら年中そんな事ばかり言っているわけだが、しかしこれは実際にはうまくいかない。

問題は、こういう基本的な単語を使って英語を話すにはそれなりの英語力が必要になるという事だ。

 

たとえば「無口である」という意味のreticentという単語がある。

もちろん、「無口である」という事はreticentという単語を使わなくても言い表せる。

「彼は無口である」といいたいならば'He does not talk a lot'とでも言えばいいだろう。

しかし「彼は多く話さない」という英語的な表現は英語初心者にはすぐには浮かばない。

talkとかlotという単語を知っていても表現が思い浮かばなければどうしようもない。

ところがreticentという言葉を知っていた場合、「彼は無口である」と言いたい場合は「ヒー・イズ・レティセント!」と言えばいい。

日本人にとって「彼は無口である」といいたい場合、reticentという単語を使った方が基本的な単語を使うよりも圧倒的に簡単なのである。

基本的に、高級な語彙は使うのが簡単である。

たとえば「イベントは無期限延期になった」と言いたい場合、日本人にとって一番簡単な言い方は'The event is postponed indefinitely'であるだろう。

ここでpostpone(延期する)とindefinitely(無期限に)という単語を知らないと、同じことを言うのは相当難しくなる。

'The event is cancelled and we do not know when it will take place'とでも言えばいいだろうが、どう考えても「イベント・ポストポーン・インディフィネイトリー!」と単語を並べる方が英語初心者にとっては現実的だ。

高級な語彙が表す内容を基本的な単語を使って言い表すのは、高級な語彙を覚えるのとは比べものにならないほど難しい。

英単語というのは簡単に覚える事が出来るが、基本的な単語の使い方を覚えるというのはとりとめがなく、単語を覚えるよりもはるかに困難な作業である。

だから「3,000語で英語を話すなんて無理」という主張は、ウソのようでウソではない。

もちろん、アメリカの貧困地区に住んでいる高校中退みたいな感じの人々は3,000語の世界に住んでいるのだろうが、日本人が同じ事をしようとしても仕様がない。

会話力の欠如は語彙を増やすことで補うほうが、特に英語初心者の場合はどう考えても現実的だと思う。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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3,000語で英語しゃべれるの?

「6年英語を勉強しても話せない」みたいな事をいっている人を見ていて不思議に思う事がある。

一体、高校までに学習することになっている語彙数でどうやって英語を話すというのか?

日本人が高校を卒業するまでに平均してどれくらいの英単語を知っているのかは分からないが、文部省によると高校を卒業するまでに3,000語を学習するということになっているらしい。

3,000語で英語を話すなんてどう考えても無理である。

それでは一部の限定的な話題については話せても、それ以外の事になると立ちどころにどう話せばいいか分からなくなる。

今の日本人に英語を話せというのは3,000語で言いたい事をなんでも話せというようなもので、そう考えると今の英語教育の現状というものがいかに気違いじみたものであるという事が分かるだろう。

日本人だって、もし日本語を3,000語だけで話せと言われたら話せる事はほとんどなくなる。

語彙が3,000語しかないのに言葉が話せないのは当たり前の話で、逆にその程度の語彙しかないのに意味のある言語活動が出来ると考える事自体がおかしい。

しかも、学校で勉強する単語なんて毒にも薬にもならないような全然使えない単語が多いから、英語を話すのはなおさら無理である。

僕がよくわからないのは、英語英語と言っている連中で日本人の語彙数が少なすぎる事を問題にする人が全く見当たらないという事だ。

英語の語彙を増やすというのはやれば確実に出来る事なのに、なぜこの問題に全く無関心でいられるのか僕には全く理解できない。

もし日本人がみんな英単語を10,000語知っていたら、英会話の経験など一度もなくても日本人の英会話力は劇的に改善するだろう。

まともに英語を話せるようになるにはもちろんそれなりに時間がかかるけれども、その一方で言葉というものは知っている単語を並べるだけで意味が通じるというのも事実である。

たとえそれが単語を並べるだけの片言の英語だったとしても、どうすればいいのか全く分からずに作り笑いを浮かべて黙り込むのとでは比べものにならないほどの違いがある。

日本人が英語ができないのは語彙が足りないからで、ほかの問題ははっきり言ってオマケにすぎない。

日本の英語教育に関しては語彙力の向上をなによりも優先するべきだ。

英会話などいくらやっても曖昧な成果しか得られないが、語彙数が増えればそれだけで確実に語学力は向上するからである。

続き

globalizer-ja.hatenablog.com

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英単語10,000語を覚えるのにはどれくらいかかるか

先日、英単語10,000語覚えるのには100時間もかからない、というような事を書いたのだが、それに対して1時間あたり100語も覚えるのは無理なんじゃないか?というようなコメントがあった。

globalizer-ja.hatenablog.com

これについてまず言っておかないといけないのは、100時間で10,000語というのはある意味スローガンみたいなものだということだ。

スローガンというのはシンプルなものにしないとメッセージがぼやけてしまうので、あえて非常におおざっぱな表現を使っている。

どんな場合でも100時間あればぜったいに10,000語覚える事ができると言いたいのでもない。

たとえば、英語が分からないという人がいたとしても、早慶上智当たり前、というような感じの進学校の出身者と勉強が嫌い過ぎて高校中退、という人を同じと考えるわけにはいかないだろう。

英語の勉強を始めるにしても人によって出発点は全然違うから、10,000語を覚えるのにかかる時間も人それぞれ違うのは当たり前である。

しかし、それでも僕は10,000語を覚えるには100時間、というのは目安としては絶対に正しいと思っている。

僕が英語を勉強した時の事を思い出しても、10,000語くらい覚えるのに100時間を大幅に超える量の勉強をしたとは絶対に思えない。

怠けもので集中力がすぐに消え去るタイプの僕がいうのだから間違いではない。

しかしそんな事をいっても仕方がないので、以下にどうして10,000語を勉強するのに必要な時間が100時間くらいで済んでしまうのかを説明しようと思う。

英語が分からない人でも、すでに数千語の単語を知っている

日本語には大量の外来語が入っているから、英単語を覚えるといっても外来語になっている単語は覚えなくてもよいし、新しく覚えるにしても外来語の派生語になっているものは楽に覚える事ができる。

たとえばaccelerate(加速する)という単語があるけれども、日本語にも自動車のアクセルという単語があるからこれを足掛かりにすればaccelerateという単語を覚えるのは簡単である。

映画でも「ターミネーター」という映画があるけれども、これはterminate(終結させる、転じてとどめをさす)という英単語に相当する。

だから、日本人はある意味では英語を勉強していなくてもaccelerateとかterminateというような英単語を半分知っているようなもので、その分10,000語を覚えるコストが軽減される。

何となく覚えている単語が大量にある

日本の大学を受験するのに必要な語彙数といのはおよそ5,000語ぐらいと言われているけれども、大学受験が終わって何十年たってもそういう単語はなんとなく覚えているものである。

よくあるのは、単語のスペリングとか発音は大体覚えているけれども意味をわすれているというケースで、こういう単語の意味を覚えるのはこれまで聞いた事もない単語を覚えるよりもかなり楽である。

もちろん、今でも意味を覚えている単語は新しく覚える必要がない。

一度使った単語は覚えやすい

先ほどの記事ではあっさり書いたが、僕が英単語を覚えていた時はネットでイギリスの新聞の記事を読んで覚えなければいけない単語をリストアップして覚えていた。

新聞でよくでてくる単語も知らないようではどうしようもないし、このようにすれば下らない単語を覚えずにすむからだが、この方法には他の利点もあって一度読んだ文章に出てくる単語というのは記事の印象がある分記憶に残りやすい。

もちろん必要な単語のリストを作成する作業は時間がかかるが、リストが一度できてしまえば非常に効率的に単語を覚える事ができる。

というか、リストを作っている過程ですでに内容を半分くらい覚えてしまっているので、リストにある単語を覚えるのには100時間もかからない。

もっとも、これは個人的な印象だが、リストを作成する時間がないなら分冊になっているような10,000語レベルの単語集を使っても大幅に時間がかかるということはないと思う(だから10,000単語を覚えるには100時間あればよいという主張をしている)。

1時間で繰り返せる回数はかなり多い

説明のためにたとえ話をするとすると、もし50単語を覚える必要があるとしたらこの50単語を1時間にどれくらい回せるだろうか。

もし一つの単語につき5秒づつ見ていくとしたらこの50単語を見るのに250秒くらい、つまり4分くらいになる。

5秒というと短いようだが、実際にカチカチ音がする時計の前で数えてみると(まあ、心の中で数えてみてもいいが)結構な長さである。

これを一時間に15回繰り返せば、ある程度は忘れるにしてもかなりの部分が記憶に残る。

真面目にやると1時間というのは結構長い。

やってみたらわかる。

まとめ

正直あの記事がこれほど読まれるとは思わなかったのでちょっと適当に書きすぎたかな、という感じはするが、基本的には間違った事は言っていないと思う。

英語を勉強する人は騙されたと思ってやってみてほしい。

英単語を10,000単語覚えるのは、想像するよりも100倍くらい簡単である事がわかるはずだ。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。