グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

駒大苫小牧高校と横浜高校

先日、スポーツ情報番組で駒大苫小牧高校野球部が取り上げられていたのをみたが、なんだかどうして駒大苫小牧が低迷しているのかよく分かるような内容だった。

普通、野球部というとイメージされるような活気というものはあまり感じなかった。

逆に、生徒は山ほどある不満をぐっと呑み込んでいるように見えた。

少なくとも、駒大苫小牧の野球部がうまくいっていないということは画面からはっきりと伝わってきた。

 

佐々木監督には、駒大苫小牧が強かったころのイメージがあると思う。

 

駒大苫小牧の佐々木監督は駒大苫小牧が初優勝したときの主将で、最後のフライも佐々木監督がとった。

駒大苫小牧を卒業後は駒澤大学に進学し、卒業後はもう一度香田監督のもとで野球がやりたいと駒大苫小牧に赴任した。

香田監督のもとで20年、30年と野球をやるつもりでいたのに、赴任したとたんに香田監督は解任され、自分が監督をやることになってしまった(さらにいえば、佐々木監督が赴任したことが香田監督の解任のきっかけとなった)。

佐々木監督は、香田監督が残した伝統を守ろうと必死なのだと思う。

 

香田監督の指導は基本的にスパルタである。

スパルタ指導が成果をあげるには条件があって、それは指導者に強烈なカリスマがあるということだ。

香田監督にはそれがあった。

香田監督が駒大苫小牧の監督をしていたころ、選手は香田監督についていけば甲子園に行って全国制覇できると本当に信じていた。

そして、本当に全国制覇してしまったのだ。

信じるというのは恐ろしいもので、本当に信じることができた場合には信じたことが実現してしまうことがある。

 

しかし、佐々木監督には、香田監督にあったカリスマがない。

生徒は口では全国制覇云々と言うだろうが、佐々木監督についていけば全国制覇できると心の底から信じている選手はただの一人もいないだろう。

そういう中でスパルタをやってもうまくいかないのは当たり前の話だ。

生徒が不満をため込むだけで終わるはずだ。

 

佐々木監督とはまったく逆のタイプの野球指導者として、横浜高校野球部の平田徹監督がいる。

平田監督は2001年に横浜高校が四強入りしたときの主将なのだが、実は本人は形式的に一試合試合に出ただけである。

香田監督や佐々木監督のように、アマチュア野球選手として大成功した人ではないのだ。

そのためもあってか、平田監督は成功体験からくる思い込みがまったくない。

だから、どんどん新しい手法を取り入れることができるし、時代の変化にも対応できる。

実際、平田氏が監督になってから横浜高校野球部のキャラクターは完全に今風になっていて、以前とはまったく違ったものとなっている。

 

野球指導者にとって、選手としての実績は深刻なハンデになりうる。

香田監督や佐々木監督みたいに選手として大成功した野球指導者は、往々にして選手を信じることができない。

どうしても選手の欠点から気になってしまうから、結果指導方法もスパルタになりがちだ。

スパルタ指導というのは選手に対する不信感が根底にあるので、チームが崩壊しやすくなる。 

あれほど強かった駒大苫小牧も、「ハンカチ王子」との対戦から3年もせずにチームが崩壊している。

香田監督の強烈なカリスマをもってしてもそうなのだから、いかにスパルタ指導が難しいかがわかろうというものだ。

 

一方、平田監督のように現役時代無名だった野球指導者はまず、選手の欠点ではなく選手の長所から目に入るので本当に選手を信じることができる。

そうすると選手の方も気分がいいし、何も言われなくても真面目に練習しないと申し訳ない気がしてくるだろうからチームの運営もうまくいきやすいだろう。

 

平田監督の勝利を二の次にした采配には当然ながら批判もある。

しかし、2017年度入団の高卒ルーキーでもっとも活躍したのが横浜高校出身の藤平尚真だったことは注目に値する。

去年の甲子園では、笑顔がチャームポイントの増田珠が話題になった。

生徒との距離を近くにとるという指導には難しさもあるだろうが、平田監督がチーム運営において大きな成果をあげていることは間違いない。

 

野球指導者として、佐々木監督は全国制覇というとてつもない重荷を背負う。

佐々木監督は2004年のあの夏を乗り越えることができるだろうか?

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

駒大苫小牧高校野球部の無理してる感がハンパない

駒大苫小牧の選抜出場を受け、スポーツ情報番組で野球部の特集をやっていた。

なんだかおかしなことになっているなあ、という印象をもった。

 

おかしいところはいろいろあるが、たとえば佐々木監督が生徒に激を飛ばすときはこんな感じだ。

 

佐々木監督「楽しくエンジョイベースボール、ないってそんなの!楽しくやるのはいつだ?(生徒沈黙。語気を強め)いつだ!?」

生徒「甲子園です!」

佐々木監督「試合でやるんだろ?」

 

言わされてる感がハンパない。

 

番組では、駒大苫小牧野球部の挨拶の時に人差し指を顔の前で掲げる独特なジェスチャーを紹介していた。

これは

・常に一番を意識する

・チームが一つであることを意識する

という意味があって、野球部の生徒は挨拶するごとにこれをやっているのだという。

あんまりいいことだとは思わない。

「一番」のジェスチャーというのは本当に特別な状況で使ってこそ意味を持つ。

ひっきりなしに使っていたのではジェスチャーの意味がまったくなくなってしまう。

そもそも平常心を保つという意味では一番のジェスチャーはマイナスだろう。

しんどいときにジェスチャーにすがるという逃げにつながると思う。

このジェスチャーをいつ、誰が始めたのかはわからない。

しかし、全国制覇する前に冗談半分でやるならまだしも、落ちぶれた今となってやるべきことではないと思う。

 

主将が檄を飛ばす場面も放送されていたが、声がうわずっていて貫禄とか凄みがぜんぜんない。

沢山しゃべるけども言葉に重みがない。

これは佐々木監督もそうで、見ていても貫禄とかすごみを感じない。

強い言葉には貫禄とか凄みが伴わないとバランスしないのに、それがないからちぐはぐな感じになる。

全体的に雰囲気が不自然である。

いろいろと不自然な押しつけをしているからだと思う。

 

駒大苫小牧対静岡高校の録画を少し見てみた。

駒大苫小牧の生徒の表情はどことなく弱々しいというか、エネルギーとか元気さが感じられないと思った。

静岡高校の選手のほうが表情に力強さがあった。

まあ、直前に主力が負傷するというトラブルもあり試合は7-0で駒大苫小牧が負けたのだが、メンタル面での差は相当ある感じだった。

 

佐々木監督は駒大苫小牧が初優勝したときの主将である。

数ある野球部のなかでも、甲子園で優勝経験のある監督は佐々木監督だけだろう。

佐々木監督に2004年頃の駒大苫小牧野球部のイメージがあることは間違いない。

しかし、いまの佐々木監督の指導のスタイルは佐々木監督のキャラにぜんぜんあっていない。

キャラにあわないことをして虚勢を張っているように見える。

もしかしたら、これも香田監督の存在があまりにも強烈過ぎたということなのかもしれない。

 

香田監督はいまの駒大苫小牧について、「孝介は俺を超えられない」といったと伝えられる。

結局、過去の栄光に執着しているからおかしな事になっているんだと思う。

これまでのやりかたでいい部分を2割のこして8割変える、という事ではなく、なにからなにまで変えてゼロからスタートするくらいでないと駒大苫小牧の復活はないだろう。

だいたい、今回の番組を見て駒大苫小牧に教え子を送り出そうと思う野球指導者がどこにいるというのか?

エンジョイベースボールの要素をうまく取り入れながら甲子園に来ているチームなんていくらでもあるわけで、才能がある子はそっちの方にいくに決まっている。

 

駒大苫小牧野球部が未来永劫弱いか、というと、僕はそうは思わない。

2004年から2006年までの3年間で、駒大苫小牧野球部は伝説のチームになった。

ユニフォームのセンスもいいし、佐々木監督の考えが変わるか、佐々木監督を追放するかすればいい選手を集めるのはできるはずだ。

遅かれ早かれ、何かしらの大きな変化があって、駒大苫小牧はまた強くなるのではないか。

そして、そうなって始めて、香田監督の教えが生きてくるのではないかと思う。

 

それにしても、いまの駒大苫小牧の現状を見ると、甲子園優勝って何なんだろう?全国制覇って何なんだろう?と考えてしまう。

優勝したら優勝したで大変なのが甲子園なのかもしれない。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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バブル期の日本と同様、いまの中国は過大評価されていると思う

21世紀は中国が世界の中心になる、というような話は、今考えてもやはり時代遅れだと思う。

 

中国についてどうしても考えてしまうのは、開放政策以前の中国でなにか世界が驚くような目覚ましい達成があったのか?ということだ。

冷戦時代のソ連には、もちろんいろいろな問題があったのだが、文化であるとか学問に関していえばソ連の水準というのは西側諸国と比べてひけをとらないものだったと思う。

しかし、冷戦時代に中国で文化的、あるいは学問的になにが達成されたかを考えるとき、正直なにも思い浮かばない。

冷戦時代に中国でなにが起きていたのか僕は何も知らないのだが(そして、それはとても興味深いテーマだと思うが)、当時の中国はというと、ただただ人々の生活水準を向上させることで精一杯な国、という感じがする。

 

もちろん、冷戦下の中国はソ連のように搾取できる衛星国を持たなかったし、何百年前にも及ぶヨーロッパ文明の伝統があったわけでもない。

しかし、それらを考えに入れても、冷戦下の中国は世界的には何もなかったと思う。

江戸時代の日本は鎖国をしながらそれなりに繁栄していたのに、いったい何なのか不思議だ。

 

僕が思うのは、冷戦下、あるいはそれ以前に中国は何もできなかったのに、なんでこれからの中国は世界の中心になるのか、ということだ。

日本には鎖国をしながらあれだけレベルの高い文明を300年間運営した実績があるので、没落をしてもそのうち復活してくるのは明らかである。

中国にはそのような実績はなにもない。

だから、昔だめだったら今もだめなんじゃないか?と思ってしまう。

 

最近、中国人が欧米のハイテク関連企業を大量に買収していることが問題になっている。

背景には、中国人が欧米のハイテク関連企業がもつ知財を盗み取っているのではないか、という懸念がある。

あれだけカネがあるのに、なんで自前でやろうとしないのだろうか?

海外から知財を持ってきたところで進歩は何もないし、カネが儲かるだけでおもしろくもなんともない。

まあ、日本の高度経済成長だってアメリカからの技術移転によってなされたという側面があるが、中国人による海外企業の買収は中国におけるクリエイティビティーの欠如を強く示唆する。

 

よく、特許の出願数、出版される学術論文の数、時価総額十億ドル(一千億円くらい)に相当する未上場企業の数(「ユニコーン企業」の数)が日本を上回った、日本は中国に負けた、という話を聞く。

バカじゃないかと思う。

中国の人口は日本の10倍あるのだから、本来あらゆる面で日本より規模が10倍でなければならないのだ。

ユニコーン企業だって、人口が十億人の国でそれなりに成功したら簡単にユニコーン企業になるだろう。

 

いまの中国の評価は明らかにバブルに基づく。

かつてのバブル時代に、日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれていたのと同じような雰囲気を僕はいまの中国の評価に感じている。

なんというか、カネはものすごいあるのは分かるのだが、実質がよく分からないのだ。

 

中国人の決断の大胆さを賞賛する「識者」は多い。

しかし、バブル期の日本企業だって有り余るジャパンマネーを背景にジャンジャンリスクを取っていたわけで、これが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の根拠になっていた。

バブル期の日本はどんな下らないものでも値段がつく、チャンスに満ちあふれた社会だった。

そのことでさらに下らないものに値段がつきやすくなり、社会におけるチャンスの総量が増えるというサイクルが回っていた。

いまの中国と基本的には同じだと思う(バブルの影では少子高齢化が進行しているところも似ている)。

いまチャイナ・アズ・ナンバーワンといっている人たちは、むかしジャパン・アズ・ナンバーワンといっていた人たちと同じような種類の人たちなのではないだろうか。

 

当局の強権によってこのバブルを持続させることができるか、というのは興味深い問題だ。

しかし、もし持続できたとしても、バブルは所詮バブルである。

日本のバブルが続いたとしても日本が覇権国になる可能性があったなんていまいち考えられないように、中国が覇権国になるという議論は疑わしい。

僕は中国のバブルが崩壊して中国があっという間に没落するとは思わないが、今の勢いを続けるのは無理じゃないかと思う。

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英語と財政

英語というのは財政という観点からもよいものである、というのが世間一般の認識であると思う。

日本人が英語ができると、世界中から投資が集まってビジネスが活性化し、税収が増えることによって「借金」をどんどん返済することができる、そして財政が健全化すればさらに投資が集まりやすくなる、みたいなイメージだ。

しかし、僕は、日本の財政にとって(僕は資本主義体制下で財政均衡が可能なんてまったく思っていないが)日本人が英語が苦手なのはとてもいいことだと思っている。

日本の「財政」がなんでこれほど「悪化」しているのに国債の暴落がないかというと、結局は日本人が資産を持って国外に逃げられないということが大きい。

ある意味、日本の財政なんて簡単な話で、もしどうしても財政をリセットしたいというなら(そんなことをする必要があるとは思わないが)これまで払われるべき税金を一気に徴収すればいいだけのことだ。

ところが、海外で高収入な人間はみんな英語を話すので、自分の資産を持ち逃げしやすい。

英語ができれば拠点を海外に移すのはかんたんだから、国内でカネを儲けるだけ儲けて資産をロンダリングして国外に持ち出す、ということがしやすいのである。

みんなが英語を使うならば、英語を使って悪いことをしようと考える連中が出てくるのは当たり前の話だ。

国民がみんな英語を自由に使えればいいことばかりあるように思われるが、副作用は絶対にある。

今の日本をみていると、案外利益よりも副作用の方が大きいような気がする。

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専門職の待遇とインフラの質のトレードオフ

ネットをしていると、日本の専門職の賃金は国際的に見て低すぎる、というような意見を日常的に見かける。

本当だろうか?

海外の専門職の賃金が高いのは、社会のインフラにカネがかかっていないからだと思う。

もっといえば、インフラにコストはかかっているのだが実質的なコストをかけていない。

インフラの実質的なコストというのはなにかというと要するに人にかかるコストである。

インフラの質というのはインフラで働いている人間の質なので、インフラで働いている人間にコストをかけないとインフラの質は低下する。

よく、欧米ではインフラ(サービス業といわれるもの)の質が悪いと言われる。

なんで欧米のインフラの質が劣悪なのかというと、インフラで働く従業員にカネをかけていないからだ。

そして、欧米では、インフラで働く従業員にカネがあまり流れない一方、専門職のエリートにカネが流れるようになっている。

だから、欧米では専門職の賃金が高いのだ。

しかし、賃金が高いからといって海外の専門職が日本の専門職よりも豊かに生活できるかは自明ではない。

というのは、海外ではインフラの質が低いので日本と同じ質のインフラを利用しようとするととたんにコストが跳ね上がる。

医療もそう、住宅もそう、教育もそうで、エリートの高賃金を保障するためにあらゆる分野でぼったくりが行われる。

ぼったくり価格で提供されている少しでもマシなサービスを買うために自分も必死でぼったくるというサイクルが欧米社会で起こっていることだと思う。

一方、日本ではエリートの待遇というのはそれほどよくない。

日本でも貧困問題が話題になるようになって久しいが、そうはいっても何だかんだでエリートの取り分が少ない分、現場の人間に落ちるカネの量はおおい。

現場の人間に落ちるカネの量が多いと、当然のことながらインフラの質は向上する。

安全な地域に住むためにとんでもない額の家賃を払う、というようなことは、日本では基本的にしなくていい。

エリートの待遇とインフラの質というのはトレードオフである。

エリートの待遇を上げればインフラの質は下がるし、エリートの待遇を控えめにすればインフラの質は向上する。

海外を見てもわかるように、エリートの能力なんてたかがしれている。

エリートの好待遇とインフラの高品質を両立する方法はおそらくない。

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ポケモンと古文漢文

今日食事のときにテレビをつけたら、「ポケモンの家あつまる?」という番組をやっていた。

どうも、ポケモンが大好きな「芸能人」がポケモンの話題で盛り上がるという番組らしい。

僕は正直、ポケモンの何がおもしろいのかまったく分からない。

ポケモンの話題をネットで読んでも(ポケモンGOのアフィ記事がネットで氾濫したのは記憶に新しいが)、あるいはこの「ポケモンの家あつまる?」をみてもポケモンの何がおもしろいのかぜんぜん分からないのだ。

もちろん僕は今までポケモンをやったことがないのではっきりしたことは分からないのだが、たぶん、僕が実際にポケモンをプレイしても何がおもしろいのかぜんぜん分からないとおもう。

しかし、僕からすると何がおもしろいのかまったくわからないポケモンに熱中している人はたくさんいる。

実際にそれだけでテレビ番組まで成立してしまうくらいなのだ。

僕はポケモンの番組を見ながら(それほど長い時間ではないが)、ついこの間ネットで読んだ古文漢文教育廃止論を思い出した。

古文漢文をエリートの選別に使う意義というのはいくらでも考えつきそうなものだが、古文漢文の教育を廃止するべきと考える人にとっては古文漢文というのはポケモンみたいなものなのかもしれない。

本当に人が何に興味を見いだすかは千差万別である。

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年収一千万のサラリーマンが増税されるのは年収一千万のサラリーマンは給料をもらいすぎている人が多いから

このところの経済政策の左傾化のトレンドにしたがって、年収一千万くらいのサラリーマンにかかる所得税増税されるらしい。

それにともなって、ネットでは、住宅ローンが!子供の学費が!一千万くらいではぜんぜん裕福な暮らしができないのに、取れるところから取るなんて許せない!このように「頑張った人」を罰するような社会制度があるから日本は一向によくならない!これでは「優秀な人」はどんどん海外に出て行ってしまうので日本は衰退するばかりだ!というような声が聞かれる。

僕は世帯収入で年間一千万以上ある世帯がさらに税金を取られるのは仕方がないと思う。

なぜなら、すこし所得税があがったくらいで生活に支障をきたすような人間は、そもそも年収一千万の賃金をとる資格がないからだ。

このように、生活設計が!とかいっているような連中を見ると、僕はなんで生活をダウンサイジングできないんだろう、とおもう。

カネを使う生活にもカネを使わない生活にもそれぞれよいところがあるわけで、収入が減ったらそれにあわせて生活をダウンサイジングすればいいだけの話だ。

カネがないならカネがないで楽しく暮らせる方法を考えるべきだし、もし収入がへったらとたんに破綻するような「生活設計」をしているとしたらそれこそ無能である。

そして、家庭生活で無能な人間はビジネスにおいても無能であるに決まっているのだ。

もちろん、人間というのは慣習の生き物だというのはわかるのだが、子供の教育とか住宅ローンにカネがかかるから増税するなという意見はクリエイティビティーゼロである。

まともな人ならば、なんでこんな下らないものにカネがかかるのか疑問に思うのが普通なわけで、そういうクリエイティビティーゼロの意見を垂れ流す連中に年収一千万をとる価値があるとは思わない。

収入をどう使っているか、というのは人がどれほど実力があるかの重要な目安である。

いまの平均的な年収一千万以上の世帯の収入はいったいどのように使われているのだろうか?

僕は武蔵小杉の「タワマン」を買ってしまうような人達はいくら増税されても仕方がないと思う。

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