部活と終身雇用は似ている
最近、教師の過労問題に関連して部活動をどうすればいいかという議論が聞かれるようになったが、そもそもにして部活動というのは日本社会にとってあったほうがいいのか、それともないほうがいいのかを議論する時期に来ていると思う。
というのは、もちろん部活というのは今の日本社会の結果だが、その一方で部活のあり方は日本社会に影響を与えているからだ。
そして、正直にいうと僕は今の部活のあり方は今の時代に合わないところがあるのではないか、と疑っている。
雇用の話だと終身雇用というのはすっかり時代に合わなくなっているという認識が一般的になっているが、日本の部活動も終身雇用と同じようなところがある。
というか、部活動と終身雇用というのは二つで1セットで、終身雇用がなくなったら今の部活動のあり方も変わってくるのではないかとおもう。
考えてみると、部活動と終身雇用はいろいろ似ている部分がある。
入ってから3年で定年というのはスポーツというものの性質からくるものだからいいとして、部活というのは移動できない。
この学校の何々部にあわないから6月から他の学校の何々部に加入します!というような話は聞いたことがない。
ふつう、部活をやめたら競技のほうも終わりである。
他の競技に興味が出てきたからといって組織をかわる事もないし、兼業だって無理である。
なんとなくリストラされたら行き場がないみたいな終身雇用中心の雇用慣行とにているなあと思ってしまう。
なんか、日本の会社と部活はにている。
会社も部活も、日本では絆というものが重視される。
絆が強ければ強いほど組織が強くなる、という考えは一般的に見られるもので、実際に絆が強くて強い組織というものはいくらでもあるだろう。
しかし、技術は持ち運べても絆は持ち運べない。
あまり絆を重視しすぎると、人材を効率的に活用することが難しくなる。
アメリカの社会には功罪あるが、とりあえずアメリカ社会についてよくいわれるのは、「人材をブロックのように組み合わせて組織を作るのがうまい」というのがある。
組織の目的が決まれば、あとは必要な人材をあつめてくるだけ。
基本的には絆よりも目的重視である。
もちろん、僕は欧米のやり方が日本のやり方と比べて何から何まですぐれているというつもりはない。
外資というのは、場合によっては目的を達成するためにかなり悪質なことをすることがあるし、アメリカのIT企業がやっているのとをみると正直、「なんだ、この程度か」と思う。
しかし、日本を始めとする他の国は「この程度」のこともできていないというのも事実である。
日本は目的が絆よりも後に来ることが多いと思う。
これまでの日本は、絆を重視しすぎて目的意識とか、効率性をないがしろにしてきたのではないか?
この絆重視のために、今の日本人はかえって多大なストレスを抱えて生きることになっている。
そして、部活というのはこの絆重視の傾向に大きくかかわっているような気がする。
部活をはじめとする日本の組織は、これからは絆重視ではなく目的重視にするべきだし、実際にそうなっていくだろう。
今の組織のあり方はインターネットもスマートフォンもない時代に決まったもので、これらの通信技術とともに成長した世代にとっては現実的ではない。
しかも、これは古来の日本の伝統であるわけでもなく、せいぜいここ百数十年ほどの期間に西洋の強い影響の下で成立した流行り物である。
流行り物であれば、それは流行がおわればいつのまにか別のものに変化しているだろう。
僕はこれから日本の組織は時代に合わせて進化・適応すると思う。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。