グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

日本人はどこまで英語が得意になるべきか?

英語というのは大変だ。何が大変かというと、使うのが大変なのである。英語を使うのが大変、というとまるで自分の語学力が乏しいように聞こえるから、英語関係の人はこういう話を絶対しないが、英語を使うのは大変である。たとえば英語の本を読むにしても、僕は文字通り一行一行根気強くよんでいくしかない。日本語の本の内容を一冊3時間で一通り理解する、なんて読み方はとうていできない。英語を辞書なしで読めるようになっても、英語を使うということは日本語を使うのと比べてものすごい効率が悪い。読むことに関していえば、下手すると10倍以上悪いかもしれない。もちろん、効率が10倍以上悪いとしても得るものがあるから英語を読むわけであるが(まあ、最近は色々忙しくて全然英語を読んでいないけれども)とにかく英語というのは相当に勉強したあとでもやはり大変である。何故英語が大変か?もちろん英語を勉強する時間が十分ではない、ということもあるだろうが、根本的には日本語の本の内容を一冊3時間で読めるくらいに日本語が得意だから、というのもあるように思う。英語の本を3時間で読めるレベルの英語力がある人の日本語力というのはどのようなものなのだろう?もう、日本語なんて半分忘れているような状態にならないとそこまでのレベルに行かないのではないだろうか。英語教育の必要性が叫ばれるようになって数十年になるが、英語教育をどの程度すればよいか、ということに関しての議論はまったくされない。日本の英語教育の絶望的な非効率性とあいまって、やればやるだけよい、としかいわれない。現状を見る限り、次の世代の日本人が英語ができるようになるという目標は、日本語能力を破壊することによってでしか達成されないかもしれないと思わないでもない。もし日本語より英語を使う方が楽ならば、日本人の英語力はアメリカ人と同じになるだろう。そして、日本人の日本語力は外国人並みになるだろう。そんなことが実際起こるとは僕は思わないが、このようにもっとも極端なケースを考えることは今後の英語学習について考える上で重要なのではないだろうか。