叩かれている側の話は多分、いつも面白い
朝の「情報番組」で、今話題の塚原光男が相当長い時間ずーっと出演しているのをみたのだが、意外と筋が通った話だった。コーチの暴力行為に加えて宮川の競技成績は低落傾向で、見るに見かねて、という説明はそれなりに説得力がある。
スポンサー企業への配慮があるのか、肝心の朝日生命への引き抜きについては露骨に腰砕けだったものの(保険会社が体操クラブをやるなんて結構なブラックジョークだと思うが)、話を聞いていると塚原らは本当に善意で行動を起こしただけだったのかもしれないと思った。
なにせ、塚原氏らはもう70の老人なのだ。体操協会の役職だって来年で終わりで、引き継ぎを考えると年内に引退なのである。
ただ、引き抜きについて色々言われている朝日生命なのだから、うちに来てもいいし他に行ってもいいし、というような言い方をする配慮があってよかったのかもしれない。
それに、体罰の問題ならば、次に体罰したら厳しい処分になるよ、という警告がなかったのは変だし、塚原氏らがウソをいっているという人もいる。
しかしながら、あらためて考えさせられるのは、叩かれている側にだって言い分があるということだ。大体、叩く側の視点というのは決まり切ったものであることが多いわけで、叩かれる側の視点というのは思ってもみなかった視点を提供する。
事実を把握するには、「悪い奴」の話こそ聞く必要があると思った。