マスコミとファクト
元・財務官僚の高橋洋一さんによる以下のツイートはなかなか考えさせられるものがある。
役所とマスコミ。記者クラブで特定マスコミとねんごろ。その上で特定記者にブツ(紙)を渡して世論誘導。紙を求める記者が多くオレはヤギといっていた。記者クラブなんてブツを渡さないと記事が書けないヤツばかりだよ。それなのに世間に対しては上から目線なんでいつも笑っていた
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2017年2月27日
役所とマスコミ続。役所内で紙を書く人とマスコミに渡す人は分離。オレは書く人だったが、マスコミから隔離されていた、本当のことを知っているので下手にマスコミ対応できないし、マスコミ対応で紙書き業務に支障が出るから。よく知らない人から紙もらって記事を書くのだからその程度はしれている https://t.co/KB4khnlyVw
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2017年2月27日
役所とマスコミ続続。記者の能力なんて、ブツが役所からもらえるかどうかの差。役所のほうは特定記者にだけ渡すが、それでマスコミ社内の出世競争を煽るわけ。ズーと同じ記者ばかりだと天狗になって役所に意見する者もでてくるので適当に切って使い捨て。スクープ連発していたのにパタッと止まる
— 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2017年2月27日
アメリカ大統領選挙以来、いわゆるフェイクニュースというものが話題になっていて、マスコミにもしばしば取り上げられる。
つまり、いままでは既存のニュースメディアが真実に基づく報道をしていたのに、インターネットの普及でそのような良質な報道が成り立たなくなっている、その一方で取材などになんのコストもかけずに出鱈目を書きまくる悪質な情報源が力を持ちつつあるのだがどうしたらいいか分からない、という事のようだ。
今の時代は情報というものがどれほどの人に読まれたのか、という事が数字としてある程度はっきりと表れる世の中なので、自分が自信をもって書いた記事の反響が全然ない、という事が続いたらまあ、こういう事も言いたくなるだろう。
どんなに自信をもって記事を書いたとしても、もっといえば内容が重要であれば重要であるほど反響というのは期待できないわけで、分かってはいるけれども他の大反響を呼んでいるような「コンテンツ」を見るとなんとも言えない無力感を感じるものだ。
僕もブログをしているから、自分の記事というものを読んでもらうという事がどれほど難しい事か毎日のように実感しているので、そのような感覚は分からないでもない。
しかしそれと同時に、僕はそういうフェイクニュースがものすごい勢いで拡散する風潮を憂慮するような事をいうジャーナリストにどうしようもない違和感を感じる。
どうしてかと言うと、そのような発言というのはジャーナリストが、自分たちの報道というものがあたかも100%ファクトに基づいたものだ、と信じ込んでいる事の現れであるからだ。
「ファクト」と「フェイクニュース」との境界というのは言われるほどはっきりしたものではない。
たとえば、先ほどの高橋氏のTweetにあったように、役所からプロパガンダ用の「ブツ」の施しを受けて、それをそのまま報道するとするならば一体それは「ファクト」なのだろうか。
もちろん、役所が出す資料なのだからその情報はウソではないだろう。
しかし、もしその情報が高橋氏のいうように純粋に世論誘導を目的としたものだとしたら、それはファクトに見せかけたファクト、つまりフェイク・ファクトとでもいうべきものではないだろうか。
ここで気になるのは、マスコミの出すファクトのなかでどれくらいの割合がフェイク・ファクトなのかという事だ。
もし世の中のジャーナリストのほとんどが「ブツを渡さないと記事が書けない」程度ならば、その報道の信憑性というものはかなり低いものであると予想される。
もちろん、疑わしいのは行政に関する報道に限らない。
大企業など他の大組織に関する報道も、おそらくは同じようなものだろう。
こういう事を言うと、国内の報道機関がそんな感じなのは分かっているよ、海外デハーという声が聞こえてきそうだ。
しかし僕が海外メディアの様子を見る限りでは、海外でも事情は似たようなものなのではないだろうかと思う。
なんでそう思うかというと、国内のメディアも海外のメディアも雰囲気はそんなに違わないからだ。
いくらなんでも海外メディアのレベルなんて国内メディアと全く同じ、とまで言うつもりはないが、僕は言われているほど国内と国外とで報道の質が違うとは思わない。
はたしてジャーナリストというのは、ポピュリズムがけしからんフェイクニュースがけしからん、などと世間に説教できるほど偉いのだろうか?
フェイクニュースを批判する前に、メディア関係者は今の自分たちの報道が本当にファクトなのかどうか、しっかりと反省をするべきだ。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。