グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

「甲子園」は部活である、という事を忘れるべきではない

第99回全国高校野球選手権は、花咲徳栄高校の優勝という結果になった。

 

僕は以前から、花咲徳栄がどのように勝つか、もし負けるとしたらどのように負けるかに注目していた。

花咲徳栄の雰囲気は他のチームと全然違って見えた。

他のチームは感情が直接的に出るのに、花咲徳栄は良い事があっても悪い事があっても動じない。

極限状態でも追い詰められているようには見えなかった。

いつも自然体で、目先の事にはあまり関心がないような雰囲気だった。

 

今回の決勝戦を見ていて僕が思ったのは、花咲徳栄の選手はまず野球を「プロの卵」としてやっているというより部活としてやっているのではないか、という事だった。

野球よりも楽しい事はいくらでもあるけど、野球は今しか出来ないから野球をやりたい、そして、どうせ野球をやるなら最高の形で終わりたいね、というのが花咲徳栄のスタンスだったのではないか。

野球と心中する、というような雰囲気は全くなかった。

 

多分花咲徳栄の選手は負ける事を恐れてはいなかったと思う。

野球がダメでも他に楽しいことはいくらでもあるのだ。

もちろん今回の選手権で花咲徳栄が本気で勝ちに行ったのは間違いない。

高橋昂也がエースだった去年の選手権の3回戦、いきなり先発を任された綱脇は1回と3/2で5点を失って負けている。

なんとしても勝ちたかったはずだ。

そしてコントロールがよく、身長が180cmくらいで体重が80kgほどの選手が二人揃う、という事はめったにあるものではない。

だから花咲徳栄が本気で勝ちに行った事は間違いないことで、実際に勝つためにここまでやったのか、と驚くような練習をしている。

しかし勝ちに行ったはずなのに、花咲徳栄からは負ける事に対する恐怖は全く伺えなかった。

 

NHKが全国中継という華やかな大舞台を用意しているおかげで甲子園というのは特別な意味を持つ大会になっている。

しかし、ある意味甲子園というのは部活に過ぎない。

どんなに甲子園で大活躍して優勝した選手でも普通は大学野球か、社会人野球(強豪企業の一軍でNPBの2軍くらいの強さである)のレベルに落ち着く。

それは甲子園の優勝投手でもそうで、プロに行くよりも大学か社会人野球で引退する人のほうが多い。

甲子園で優勝しても大学野球で通用するかは分からない。

なにせ一つのチームに投手だけで何十人もいるのだ。

そしてその一人ひとりが高校では(有名無名かはともかく)見どころのあるエースだったのである。

投手以外でもこれは同じで、一つのチームにいる何十人の内野手、何十人の外野手はみんな見どころがあると認められて大学で野球をやっているのだ。

なので大学野球や社会人野球のレベルは甲子園のレベルとははっきり違う。

現に高校のベストメンバーを集めたU18日本代表は大学のチームと2回練習試合をして、2回とも負けている。

 

どれほど感動的であっても甲子園の野球は所詮、子供の野球である。

たとえ優勝しても翌日になればそれは「過去の栄光」なのだ。

実力がすべての野球の世界で(あるいは、より一般に言って社会人生活で)「過去の栄光」など何の意味もない。

勝つにせよ負けるにせよ、意味があるのは結果に至るまでのプロセスの方である。

花咲徳栄はこの事をよく理解していたのではないか。

そしてこの事をよく理解していたからこそ花咲徳栄は負けを恐れる事なく、甲子園という大舞台で全力を出せたのだと思う。

 

夏の甲子園が終わってネットをしていたら、岩井監督が甲子園の前に花咲徳栄について語った次の記事を見つけた。

今後、花咲徳栄で3年間を過ごす選手にはどうなってほしいか尋ねると、第一声はこうだった。

 普通の子でいてほしいかな――。

 勝ち気であってほしくないし、野心でギラギラしてほしくないし、あわよくばわよくばクラスの中で目立たなくてもいい。一般社会に溶け込んでいて、フタを開けてみたら、アイツ野球部だったんだって……。そう思われるくらいでちょうどいい。

 みんな勘違いしてさ、廊下でもやたらと大きな声で挨拶するんだよね。でも近い距離でそういう挨拶をしたら、普通はうるせぇなってなる。だから、その場の雰囲気を察して使い分けなければ意味がないんだよと。

 世の中には野球を知らない人のほうが多いわけだし、一般社会では『野球をやっていたからこういうふうにできます』って言えるようにならないとダメだと思うんですよ。だって他の人からしたら、毎日野球をやっている俺たちを見て、バカじゃねぇのって思っていることもあるだろうし。

 それでも野球をやるっていうのは、人生の修行みたいなもの。武士の“武”っていう字はさ、戈(ほこ)を止めるって書くから武器を出さないっていう意味。つまり、黙っていても相手が強いって思ってくれるということでしょう。それと同じで、俺は野球部なんだって威張っているようじゃダメなんだよね。

 「高校野球は高校の部活動なんだから、学校が認める野球部にならなければいけない」というのが岩井の考えだ。

www.baseballchannel.jp

これを読んで、やっぱりな、と思った。

確かに花咲徳栄の選手は試合中でもギラギラしているわけではなかったし、やたらとデカい声を出すわけでもなかった。

みんなどこか控えめで、野球部だからといって威張っていそうな選手はいなかった。

そしてそのような心の在り方が、今年の花咲徳栄の本当の強さになっていたと思う。

 

今回の甲子園で、選手を容赦なく追い込んでいくタイプの学校はうまくいかなかった。

もちろん外部から切り離された環境でひたすら野球に取り組んで優勝する、というのはそれはそれで立派な事である。

しかし多くの「球児」が目標とするプロ野球の選手だって、別に全寮制の生活をしているわけではないしスマートフォンの所持を禁止されているわけでもない。

それを考えると今回「普通の子」が甲子園に優勝した事は高校野球にとって非常に大きな意義があったと思う。 

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