グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

富士山

ニコニコ動画で冬の富士山に登りながら「生中継」をしているユーザーが滑落して亡くなった。司法浪人をしながらニコニコ動画をしていたのか、ニコニコ動画をしながら司法浪人をしていたというか、そんな感じの生活でステージ4の胃ガンを手術して再発はないかな?というところだったという。当たり前の話として、ニコニコ動画もそうだが、こういうユーザーが発信するようなサービスは始める人がいるのと同時に卒業する人がいる。卒業するといっても要するに単に飽きただけだから卒業するという表現は当たらないかもしれないけれども、とにかく何年かしたらいなくなる。このユーザーは最後まで卒業しなかった。ニコニコ動画はユーザーがバカなことをするサービス(ニコニコ動画をしながら司法試験浪人をするとか)だが、最後までバカなことをして死んだ。人を考えさせることを表現というならば、死ぬというのは表現として最強だ。ニコニコ動画をしながら司法浪人して、ステージ4のガンの手術をしてから富士山に登る。よくある話と言えばよくある話で、そういう人はたくさんいる。そういう人をあまり見かけないのは単に私たちがそういう人の存在を知らないからにすぎない。そういう無名でありふれた存在の1人にすぎなかったそのニコニコ動画ユーザーは、しかし最後の一瞬までニコニコ動画ユーザーであり続けたことで人生そのものが表現になった。このニコニコ動画ユーザーはそもそも人生において遭難しているようなものだったのでは?との指摘もあるが、まともな人生へと生還?するよりもその方がよほど価値があるようにも思える。