150記事書いた
前回の記事でちょうど150記事だった。
僕の記事は短文が多いけど、さすがに150記事あるとコンテンツとして形になってきたかな、という手応えがある。
100記事くらい書いた時点ではブログとしてはまだ心もとない感じがしたが、ここまで来ればだいたいこのブログがどういうブログなのか分かってきた。
僕のブログを書いているのは他ならぬ自分自身なわけだけれども、ブログがどういうブログになるのかは自分でも分からないのだ。
「グローバル引きこもりブログ」は去年の8月に始まった。
まだ一年も経っていないのだが、ずいぶん昔からやっているように思えてならない。
それで150記事という区切りということで過去の記事を読み返してみたのだが、自分でいうのもなんだが結構おもしろかった。
自分がおもしろいと思うように記事を書いているのだから当たり前の話ではある。
もっとも、僕のブログは自分がおもしろいと思うかどうか、という基準以外の要素は完全に無視した運営の仕方をしているので、普通の人には何がおもしろいかさっぱり(昔風にいえばサパーリ)分からないだろう。
それはこのブログの日々のアクセスがはっきりと示す所だが、しかし150記事書いた記念に自分的にうまく書けたかな、と思うエントリーを紹介したいと思う。
アパートの建築バブルの再配分機能に注目したもの。
この問題は地主側の視点からの報道がほとんどだが、誰が見るかによって見えかたがまったく異なる所にこの問題の特徴がある(まあ、社会現象というのはすべてそうだが)。
今回の大統領選挙で、僕は理屈ではヒラリーが勝つと思っていたが、直感的にはヒラリーが大統領になるのは絶対無理だと思っていた。
歴史を見ても、ヒラリーのような人物が大統領になったことはないと思う。
これまでの学校はどちらかというと教師が主役であったわけだが、生徒が主役の学校というのは可能であろうか?
ロッキード事件で世間(具体的には司法官僚とその配下にあるマスコミ)が大騒ぎした「巨悪」だの「深い闇」だのは種を明かせば誠につまらないものだったが、それをつまらないと済ませるわけにもいかないところにこの問題の難しさがある。
高学歴女性が費やした「努力」の元を取るのは簡単ではない。
書くかどうかギリギリまで迷っていたのが文面に出ていて感慨深い。
大学を4ヶ月で辞めて起業すると言って話題になった石田氏のエントリーに対して「言及」したブログに出てくる名言を集めたもの。
何度読んでもおもしろいし、考えさせられる。
どのブログもびっくりするほどいい事を言っている。
アメリカの名門大学はほとんどリベラル原理主義なのにアメリカ社会に問題が山積しているのはリベラル派が腐りきっているからで、ヒラリーが負けたのも腐敗リベラルを象徴する人物とみなされたからである。
長野のスキーバス転落事故は、資本主義がもたらす自然?な帰結の一例といえる。
比較的実用的なエントリーもひとつあげておく。
まとめ
とりあえず適当に10エントリーを選んでみた。
まあ、どれも普通とは全然ちがう事をいっているものばかりだ。
普通とは全然違う事をいうとなかなかブログの知名度は上がっていかないが、それはしかたがない。
これからもこのブログは普通とは違った意見しか書いてないブログとして運用していく所存である。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。
ブログのおかげで孤独感ゼロで生活している
僕はひきこもりをしているので、かなり世間から孤立して暮らしている。
まあ、引きこもりにもライトな引きこもりからヘヴィーな引きこもりまでいるわけで、客観的にみても僕などはもっとも深刻でない部類の引きこもりだろうが、とにかく結構長いこと引きこもっている。
外面的には相当孤独な生活であるといってよいと思う。
しかし、では僕が孤独感に苛まれながら生活しているかというと、日々ブログで言いたい放題しているのでぜんぜんそういうことはない。
ブログのおかげで孤独感ゼロで生活している。
時々、自分が孤独感ゼロで暮らしていることに気づいて不思議に思うことがある。
完全に世間から離れて生活しているはずなのに孤独感がないというのは不思議なことで、外面的からみた僕の生活と実際の僕の生活との間にギャップがある。
もちろん僕が送っている精神生活と普通の社会人の精神生活を比べるとそこには大きな違いがあるだろうが、それがどのようなものであれ何というか、とりあえず自然に生活ができているのは事実なわけで、世間のもつ引きこもりのイメージとはぜんぜん違った生活だ。
昔は全然そんな感じではなかった。
僕は健康上の理由でひきこもりをしているので(これでもかなり良くなっているのだが)自責感情があまりなくて、体調にトラブルがあるんだから仕方がないだろう、という開き直りを前面に出して暮らしてきたのだが、何をしていてもどこか不自然なことをしているという感覚があった。
もちろん、当時も将来何かしら役に立ちそうに思えることをチンタラチンタラ、勉強したりしなかったりしていたのだが、やはり外の世界とのやりとりがゼロという生活は人工的で自然なものではない。
それは一応可能ではあるけれども、人間というのはやはりそのようには出来ていない。
今ではブログをやっているので僕が何かを考えたらそれをブログに書くことができるし、何かをやったらそれをブログに反映させることができる。
まったくありがたいことである。
僕のブログのアクセス数は普通、1日にして300とか400とかそんなもので、はてなブックマーク以外からの流入となるとせいぜい150程度しかない。
特にブログが有名になってきているという実感もないどころか、このブログは自分とは関係ないか、という感じで避けられ始めているような気もする。
まあ、いろいろ難しいかもな、というのが正直な印象だ。
しかしそれでも、外の世界とやりとりがあるのと全くないのとでは、それこそ言葉にはできない程の違いがある。
ブログというものは世間が思っている以上にありがたいものなのだ。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。
読者からすると、短文のエントリーというのはどうなんだろう
ブログを書くならある程度長文じゃないといけない、という事が言われる背景には、読者の存在があるというのはまあ、間違いがないと思う。
つまり、ある程度文章の長さがないと読んでいる読者が納得しないんじゃないか、という事だ。
しかし、実際の所、読者から見るとエントリーの長さというのはどれくらい重要なんだろうか。
ここに2つの同じような感じの話を書いているブログがあるとする。
一つは2日に一回ほど、大体1,500文字くらいのエントリーをアップロードするブログ。
もう一つのブログは大体1,500文字くらいのエントリーを2日に一回ほどアップロードするのだが、その他の日は6,00文字くらいのエントリーがアップロードされる毎日更新されるブログ。
この2つのブログを比べるならば、読者にとっていいブログというのはどっちなんだろうか?
はてなというのはブックマークのタイムラインが大きな意味を持つ世界だから、どうしても一つのブログのエントリーを数百読む、というよりは数百のブログのエントリーを一つずつ読む、という感じになる事が多い。
はてなの人気ブログとかでも、記事が更新されたら必ず読むレベルの読者というのはどれくらいいるのだろうか、と考えると多分、そんなにいないんじゃないか、と思う。
はてなでブログをやっていると、読者と言われてもどうもピンと来なくなる。
なんか、短文のエントリーを書いても書かなくても、そんなにブログの印象は変わらないような気がする。
重要なのはブログが生きているという事ではないだろうか。
はてなでブログをやるという事は、ブログというのは簡単に消えるものなんだな、という事を日々思い知らされることでもある。
そういう意味では、短文のエントリーがどう評価されるかどうかはともかくとして、少なくとも短文のエントリーがアップロードされているブログは生きている。
もし短文のエントリーがブログにエネルギーを与えているとしたら、それだけで短文のエントリーには意味があるのではないだろうか。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。
ビジネスに効く映画
日経CNBCには「ビジネスに効く映画」という番組があって、たまにビジネスに関係がある映画を放送しているのだが、今回はジョブズの伝記映画を放送するというので録画して見てみた。
以前ジョブズの公式の伝記(英語のやつ)を結構な時間をかけて読んだことがあったというのもあって、内容については何の期待もしていなかったのだが、実際に見てみると思ったよりもはるかに価値のある映画だった。
これならビジネスをやっている人間に役に立つというのも間違いではないし、公式伝記を読んだことのある人でも見る価値があるというか、公式伝記を読んだ人こそ見るべき映画かもしれない。
Steve Jobs: The Exclusive Biography
- 作者: Walter Isaacson
- 出版社/メーカー: Abacus
- 発売日: 2015/02/05
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログを見る
もっとも、映画の出来についていえば、ある意味この映画はかなりひどいものであると思う。
いろいろな事を2時間にまとめる必要があるとはいえ、登場人物の感情表現のテンプレ的な薄っぺらさは「コントかよ」と言いたくなるほどのひどさで、こんなものを絶賛できるアップル信者は本当におめでたい。
登場人物の苦悩というものが説明的に表現される様子は本当に見ていられない。
まあ予算やスケジュールの都合もあるのかもしれないが、全体的に、こんなもんでいいだろ、というスタンスで映画を作っている感じがする映画である。
しかしながら、僕はこの映画の価値というのはまさにこの安っぽさというか、薄っぺらさにあると思う。
アップルもそうだけれども、ああいう大成功したIT企業に関する話というのは、商業的な理由もあってどうしても伝説とか神話のような語られ方をすることが多い。
そして、僕も含めてそういう話を聞いている一般人も、どこかそういう話は自分が生きている世界とは全くかけ離れた別の世界の話として聴いている。
活字を通すと、どうしてもそうなってしまうのだ。
それが、これを映像にしてしまうと、これらの事というのは全くチンケなものに見えてしまう。
現実というのはこんなもんか、という感じだ。
まあ、実際にアメリカ西海岸のIT企業がやっている事を見ると、そのかなりの部分はチンケなものであるわけだからチンケなのは当然だが、ようするにチンケというか、こういう感じの映像にしてしまうとその当時に起きていた事というのが途端にリアルに思えてくる。
つまり、動く金額のケタが違うだけで、実際に「シリコンバレー」で起きている事というのはそこらへんの中小企業で起きている事と本質的には何の違いもないな、という事だ。
そういう神話的な雰囲気に取り囲まれたアップルとかジョブズの話を日常のレベルに引きずり下ろす、あるいはリアルなものにするという意味で、この映画の意義は非常に大きい。
2時間という時間の制限もあり、この映画で取り上げられている事というのはそれほど多くない。
しかし、取り上げられられているテーマはかなりうまく選ばれていると思う。
たとえば、目的意識もなくアップルの創業に参加したメンバーの中には会社が大きくなった後でも何をしたらいいのか分からず、居場所を失う者が出てくる。
アップルが上場した時に、ジョブズはそういう無能な友人を株を一株も渡すことなく会社から追放したのだが、このようなやり方には当然軋轢が生じてくるし、やがてはジョブズ自身も大企業になったアップルの中で居場所を失い、追放されることになる。
そういう話が、そこらへんの平凡といえば平凡、退屈といえば退屈なカルフォルニアの風景のなかで展開されるのだ。
この映画だけでジョブズとかアップルの歴史を理解する事はできないが、一通りの情報を知った上で見ると非常に意義のある映画なのではないだろうか。
最良の情報というのは活字としてある、という活字信仰は本当に根強いものがあり、この活字信仰はネット時代になってなおさら強くなっているような気がする。
しかし、世の中には映像にしないと分からない事、活字にしてしまうと分からなくなってしまう事があるのだな、ということを再認識させられたし、そういう情報こそビジネスでは重要なのかもしれないと思った。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。
桜の開花予想
そろそろ桜が咲きそうな感じの季節になってきた。
実際に桜の開花予想を見てみると、福岡、大阪、名古屋、東京などこれらの地方ではだいたい今月の下旬に桜が咲くことになっている。
札幌とかだと、それよりも一月ほど遅れ4月の下旬くらいになるらしい。
結構意外なのは、福岡と東京を比べると福岡のほうが相当南にあるもので、従って東京より相当温暖な所であるような気がするけれども、桜の開花日を見るとほとんど東京の開花日と違いがない。
というか、東京というのは僕が思っているより南にあるものだった、と言った方がいいかもしれない。
しかし、一月前はまだかなり寒かったような気がするのにもう桜が咲く季節なのかと驚く。
今の時点で今年に入って80日くらい経っているから、理屈の上ではもうそろそろ春になるのは当然なのだが、しかし案外あっという間だな、という感じがしないでもない。
この80日の間に何をしたかを振り返ると、ほとんど何もしていないような気もするが、その一方でいろいろな事をしたような気もするのは多分、ブログをやっているからだろう。
まあ、僕は単なる引きこもりだから、桜が咲いた所で特になにかがあるわけでもない。
いつものように家で引きこもっているだけだ。
桜の季節になったら全国を旅行できるくらいの富豪になってみたいものだ(ここまでで550文字ほど。昨日短いエントリーを書くことの重要性を強調したので今日は短いエントリーにしてみた。短歌がそうであるように、短い文章でしか表現できないものがそれなりに表現できていると思うのだが、どうだろうか)。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。
毎日ブログを書く方法
ブログをやっていて不思議に思う事がある。
それは、ブログというのはなぜか、ある一定以上の量を書かないといけないような気がしてしようがない、という事だ。
別にブログの記事は絶対に何文字以上書かないといけない、とか、そのような決まりはどこにもないのだが、短いブログのエントリーを書くのはとても気まずい。
はてなだと記事の編集画面に文字数がでるので、特にそうだ。
僕の場合だと、1,000文字以下の記事をアップロードするのはかなり抵抗を感じる。
まあ、大抵の場合は書いているうちに1,000文字くらいにはなるので特に問題はないけれども、たまに7,00文字くらいで記事がまとまってしまう時があると、これをそのまま投稿してしまうかどうかどうしても躊躇してしまう。
別に7,00文字だからといって記事のレベルが他の記事よりもつまらないというわけではないはずなのだが、このブログを始めてから相当経ってもこの抵抗感というのはなくならない。
はてなでも匿名ダイアリーだとそういう事はない。
匿名ダイアリーでは4行程度の記事というのはいくらでもあり、しかも内容によってはそれが結構な注目をあつめてブックマークが何十、あるいは何百もついたりする。
まあ、匿名ダイアリーというのは本質的には匿名SNSなので4行のエントリーを書いても何の問題もないのだが(はてなブログは書き手にidとハンドルネームがあるという意味で匿名ではない)、しかしはてなブログでも匿名ダイアリーと同じような感覚でエントリーを書けないものだろうか?
ある一定以上の文字数を書かないといけない、という制限があるとすると、ブログというのは何でも書けるようでいて実際はそうではない。
もし4行くらいで書きたいものはブログでは書けない、という事だと、それは何でも書けるという事にならない。
はてなブックマークのコメントの最大文字数が100文字で、ツイッターの1ツイートの最大文字数が140文字だから、4行というのは結構あるし、ある意味大抵の事は4行くらいで言える。
4行を4ブクマ、あるいはツイート4つ分と考えてみたら、それだけでコンテンツとして成り立っていると考えていいし、しかも今はスマートフォン経由でのアクセスのほうが多いわけだから、ブクマ4つ分、ツイート4つ分のコンテンツを書いても誰も文句をいわないだろう。
ブログの記事を書くのは大変と言われるけれども、ある意味ブログの記事を書くのはとても簡単で、すごい簡単に書けるようなものを書けばよい。
たとえば夜に予定が立て込んでいてブログを更新するヒマがないとしたら、朝メシなり昼メシの写真をアップロードして、そこにブクマ4つ分なりツイート4つ分、思った事なり感想でも書けばよい。
食事全部だとかえって記事にしにくいので、飲み物だけとかデザートだけとか、なにか単品について書けば記事にしやすいと思う。
うまかった、まずかった、値段が高い、値段が安い、飲み食いした飲食料に関する思い出、次は何を食いたいか、食いものに関係ない今後の予定、など、書ける事はいろいろあるはずで、一度エントリーを書き始めたら何かしら書くことが出てくるものだ。
画像というのは情報量が多いので、文字数が少なくても気にすることはないし、それに人間は誰でも毎日メシを食っているから理屈の上では簡単に書ける。
まあメシの話はあくまでたとえ話だけども、他にもインスタグラムみたいな感覚でブログに書けるような事はいくらでもある。
芸能関係のブログなんてそんなブログばかりだ。
思うに、毎日ブログを書くためにはブログに書くことの範囲を広げることと、記事の長さに関する思い込みをなくする事が重要なのではないだろうか。
たとえば、普段は政治の話ばかりをしているブログで食い物の話とか飲み物の話もするようにすれば、ブログを書くのはその分楽になるわけで、そういう風に普段扱わないテーマを書くようにしていけばブログを書くのはどんどん楽になる。
その際に文字数を一切気にしないように出来ればなお良い。
情報の価値というものは文字数とは全く関係がないので、10,000文字の記事でも情報として全く何らの価値もないこともある一方、スマートフォンで適当に撮った画像に4行くらいの感想を書いたようなエントリーがものすごい価値を持つことがある。
ブロガーがブログを書く時にはまだ、これまでの出版物で使われてきた形式に縛られている所がある。
エッセイを書くには原稿用紙3枚1,200文字とか、そんな感じだ。
しかし、ブログのいい所は、どんな長いものでも、あるいはどんな短いものでも、どんな長さのエントリーでも書けるという所にあるのではなかったか?
「毎日ブログを書く方法」とかいいながら僕自身は毎日ブログを書いていないし、別に毎日ブログを書けるようになりたいと思っているわけではないが、毎日ブログを書くか書かないかはともかく、ブログを続けるにはブログの良さというのはなんなのか、という事を考える事が重要だと思う。
僕も、これからは1,000文字以下のエントリーも出来るだけ積極的に書いていこうと思う。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。
一日だけネットから距離をおいて分かった事
僕は引きこもりなんで、普通はネットばっかりやっているのだが、昨日はほとんどネットを使わなかった。
これほどネットをしなかったのは、ここ数年来なかった事だと思う。
それで、なにか困った事があったかというと、当たり前の話だが問題はなにもなかった。
困る事があるどころか、いい事しかないような気がする。
しばらくネットを使わない経験をするとつくづく思うのは、普段ネットを使って集めている情報というのはある意味、99.9%以上知ってても知らなくてもいいような事ばっかりだな、という事だ。
世の中のニュースとかはとくにそうで、そういうニュースを知らなくても不都合というものは何もないし、知ったところで個人としてはどうしようもない事がほとんどだ。
例えば、いま一部では追いつめられた北朝鮮が日本に核ミサイルを撃ち込むんじゃないか、という事が言われるけれども、しかしそのような可能性があったとしてもしばらく情勢が安定するまでヨーロッパあたりで遊んでいよう、なんてことを言える人というのはほとんどいないだろう。
北朝鮮情勢がどうなろうが、普通の人は普段通りの生活を続けるしかない。
僕も極東アジアで戦争が起こって日本が戦場になる可能性は世間が思っているよりもかなり高いんじゃないか、と思っているが、しかしじゃあ、そうなったときに備えて何をすればいいかというとピンと来ないし、北朝鮮情勢に関する情報をネットで見てても個人としてすべきことを明確に教えてくれるわけでもない。
もし貴重な情報を知ったとしても、それで個人が何かできるか、というのはまた別の話で、そんなら情報の意味というのはなんなのか、という話になる。
もちろん、今後北朝鮮関係で何も大きな事が起きなかったら、普通の人にとって北朝鮮関係の情報はなんの意味もない。
生活をする上でネットというのはかなりの部分なしで済ませられるな、というのが、しばらくネットから距離を置いてみて思った事だ。
例えばブログをやるにしても、ネットをやっていると一日にブログのネタなんていくらでも見つかるので、一日に思いついた事をブログに書くとそれこそ一日に3回くらい更新しないといけない。
それならばブログのネタを見つけるのにそんなに長くネットをする必要はそんなにないともいえるし、そもそもネットから離れていてもブログのネタというのはいくらでもあるので、なおさら長時間ネットをする理由がない。
ネットをやっていると時間というのはあっという間に過ぎていくものだけれども、ネットをやらないと時間の経過がかなりゆっくりに感じる。
それはネットをやらないと考える時間が多くなるからで、考えるのは大変だからどうしてもネットをするという楽な方向に流れてしまうわけだけど、ネットから離れるというのは大変なだけのリターンはあるな、と思った。
ネットをしていないと普段とは違う事を思いつくものだが、特に情報の価値をどう評価するべきか、という、ある意味一番重要な問題についてそうで、いつもネットにいると自分にとってどういう情報が重要なのか分からなくなってくる。
だから、時々ネットから離れて原点に立ち返るというか、情報の価値に関する判断基準を見直すという事は非常に意味がある。
思いついたことを書いているうちに、複数の相反する主張が一緒になっている感じのエントリーになってしまったが、ネットを長時間使う人には一日ネットを使わないで過ごすというのはかなりおすすめできると思った。
北朝鮮情勢が緊迫している中でこんな事を書くのは見当違いなような気もするけれども、カネがかかるわけでもないのでやってみてまず損はしない。
今後どういう方向で行動するか、という事にかんする整理をするのには役に立つと思う。
電子出版した本
多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。
世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。