グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

家電量販店の変化

こないだ家電量販店に行って思ったんだけれども、最近、何かを見ているときに販売員から声をかけられることがなくなった気がする。やはりこれだけネットが普及するとそんなことをしてもたいして変化がない、ということなんだろうか。ネットが普及して、大型家電量販店は成り立たなくなるのではないか?とずいぶん前からいわれてきた。僕は大型家電量販店がなくなることはないと思う。公共交通機関がいくら発達しようと自家用車がなくならないように、テレビが必要になったら車で何店か家電量販店をまわって適当なものを探すのがいちばん効率的だし、実際に僕の住んでいるエリアでは新しい量販店ができることはあっても閉店は全然ない。しかし、ネットの影響で(さらにいえばネットの影響を受けた新しい世代の出現で)家電量販店のあり方は変わってくるだろう。案外、将来の家電量販店の販売員は、家電が大好きで給料の大半を家電につぎ込むような家電マニアみたいなのばかりを集めた少数先鋭になって、必要ならば客は呼び出しボタンかなんかで販売員を呼び出す、みたいな感じになってくるかもしれない。そうすれば販売員一人当たりの取り分は増えるし、取り分が増えると販売員はその資金で情報を収集するから店のレベルは向上するはずだ。アマゾンを見てもわかるとおり、何だかんだいって実店舗があるのは強い。ネットがあるために家電量販店はさらにパワーアップするだろう、と僕は予想する。

家電戦争

こないだ久しぶりに家電量販店にいって最近はどんなもの売ってるのかな?と様子を見て回った。当然テレビも見たのだが、びっくりしたのはシャープのハイエンドの液晶テレビが70インチ75万とか、60インチ50万で売っていた。そんな値段の液晶テレビを一体誰が買うのだろう?だって55インチの有機ELの価格はもう、25万を切っている。65インチでも40万程度という状況で、テクノロジーの進歩は凄まじい。こんな状況でああいった価格の液晶テレビを作るなんて罰ゲームとしか思えない。もちろん、シャープの高い液晶テレビには僕の知らないなにか特別な存在価値があるのかもしれないし、他のメーカーだって高い液晶テレビを作ってるのかもしれない。しかし、他のメーカーの有機ELテレビがじゃんじゃん売れていくのを見ながら8Kの液晶テレビを作るシャープ社員は辛いだろうな、と思った。それにしても、有機ELなんか全くの実験段階だった頃のシャープが何をやっていたか考えると、今の状況は本当に怖ろしい。それは戦争の恐ろしさそのものだと思った。

報道というお伽噺

夢を持ってアメリカに渡った人たちの子供『日系二世』は教育などにおいて様々な問題に直面していた…問題解決のためには何が重要か?という話

https://togetter.com/li/1345394

アメリカの日本人って、何の準備もなく勢いだけで渡米し、初めは極貧生活で苦労するものの真面目に仕事なり学業なりに打ち込んでチャンスがあるならばすかさずつかみ、最終的には成功する!みたいなイメージがある。そのようなイメージの背景には、失敗する人だってそれはいるんだろうけれどもうまくいかなかったら日本に帰ってくればよいし、実際に帰っているんだろう、というような推測がある。しかし、考えてみたら、アメリカに渡った日本人の全てに帰る場所があるとは限らない。日本で就職するならばアメリカでの実績が問われるし、そもそももう日本で人生の再出発ができるような年齢でもなくなっている人も多いわけである。そうなったら、英語の読み書きもろくにできないような人(おそらくたくさんいる)でもアメリカでメキシコ人の不法移民がやっているようなことをしてなんとか生存するしかないわけだが、メディアはこういう面倒な話は絶対にしない。メディア関係者が大好きなのは「弱者」と「成功者」で、面倒な「失敗者」は大嫌いである。ある意味、「報道」というものは、本当にお伽噺のようなものなのかもしれない。

不登校と成功

不登校は不幸じゃない」 10歳のユーチューバー 中村逞珂さん 世界に発信 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-913377.html

「反社会的」な親が子供を利用している、という意見はもっともだが、どのような形であれ「学校生活」で困難に直面している子供とその両親にメッセージを送ることは重要だ。その重要性はある程度は社会に認識されているのだが、出てくるメッセージにはどうも可哀想感が付いて回る。学校に行けなかったけど、ではなく、学校に行かなかったから成功した、みたいなことをいう奴がどんどん出てこないものか?というのは、どう考えても僕には小学校から高校までの12年間にはとてつもないムダがあるとしか思えない。これらの12年間を確実に有意義に過ごすことが難しいから学校というものはあるのだが、その一方で12年間を学校外で有意義に使って勝ちきるような奴がいないものか?と思う。

Fit mindsetとDevelop mindset

「情熱を探そう」というアドバイスはもうやめよう

https://medium.com/@tumada/do-not-find-your-passion-a7b2f290b5a

意外なようで当然の結果と思う。Fit mindsetの持ち主が選ぶだろう仕事は、Develop mindsetの人が選ぶ仕事より難易度が高いだろうからだ。つまり、前者の仕事は後者の仕事よりも失敗しやすいのである。あたりまえだが、仕事に成功すれば他のこともうまくいくようになるだろうし、失敗したら他のこともうまくいかないだろう。これは結婚の話でも同様で、見合い婚はそもそも経験上周りがうまくいきそうなマッチングをやっているから結婚の難易度が低い。自由恋愛に基づいた結婚なんて勢いでするものだから結婚の難易度は高い。当然、難易度の低い結婚は難易度の高い結婚よりうまくいきやすい。しかも、Develop mindsetを持っている人は、どんな状況でもおもしろさを見つけていくような頭の働きがあるわけで、そのために職業や結婚相手などに困ることも少なくなる。企業ビジネスをやっている人が講演会などを行うと、当然「情熱を傾ける対象はどのようにして見つければいいのか?」という質問がでてくる。もしDevelop mindsetを大量にもっているならば、かえってあれこれやりたいことがあってどれを選べばよいか困る、ということになると思うが(Fit mindsetとDevelop mindsetは区別できるように定義できているのか疑問だが)Develop mindsetは多かれ少なかれ誰でももっているものなので、何でもいいんじゃない、簡単なことは成功しやすくて楽しいし、難しいことには難しいなりにおもしろいし、みたいなことをいうのが正解だろう。ああいう質問を分かりやすく翻訳するならば「僕もジョブズみたいに成功したいけど、ジョブズみたいに生きる方法を教えてください」ということになると思うが、ジョブズみたいな人ならばリンゴ園でバイトしてようがジョブズみたいな人生になっていくだろうから。

憲法改正論者はなぜ危険か

憲法改正論者が危険なのは、プライオリティーの感覚がないからだ。つまり、連中は国家にとって本当に重要なことには何の関心もないくせに、憲法改正みたいなことにはやたらと熱心なのだ。なにかをするのに必要な前提に関して関心がないといってもいい。これは世間で「保守派」と形容されている連中に共通してみられる特徴だ。たとえば、厳罰化をしたいならば、まず様々な問題が指摘される警察の捜査能力に関して関心を持たないとだめだし、さらに犯罪の背景にある貧困問題にも関心を持っていなければならないはずだ。これらの問題に関心をもっていない連中に厳罰化をいう資格はない。しかし、これらの連中はきまって、問題の全体像を無視し、悪いやつをできるだけ罰するのはいいことか?いいことだ!みたいな、本来それだけでは議論できないような議論に大喜びで飛びつく。憲法改正も同様で、防衛大学校で発覚したびっくりするくらい幼稚ないじめをしているような連中がでかい顔をして幹部として栄達していく現状では憲法改正なんてとんでもないのに、「保守派」の連中からは「自衛隊員さんありがとう」みたいな大合唱しか聞こえてこない。だから憲法は一向に改正されないし、それは正しい。改正すべきは、「保守派」の愚鈍であるとしかいいようがない精神構造である。

改憲したところで結果はあんまり変わらないと思う

改憲しなくても別に大丈夫じゃね?」って層に読んで欲しいスピーチがこちら。

https://togetter.com/li/1344834

僕は憲法改正には大反対だ。なんでかというと、憲法改正に賛成している連中が救いようもなく無能に思えて仕方がないからだ。もしこういう連中にさらなる軍事的権限が与えられたとしても、連中には何とかに刃物で、連中がそれらをうまく活用できるとは思えない。つまり、刃物があるのはいいのだがそれを使うことになる連中の方が危険なのだ。アメリカ人が来るまで日本に9条はなかった。9条どころか、日本は軍人がいうことは天皇ですら意見できない軍事独裁の国だったのだ。それで、結果はどうなったか?改憲したら国が安全になる、というのは、ほとんど9条さえあれば日本は平和なのだと主張するくらい間違っている。