グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

「歴史戦」と英語

サンフランシスコでの出来事に影響されたのか、政府はニューヨークやカリフォルニアなどで行われている反日プロパガンダに対抗するために日本政府の立場をより強く世界に発信していくという方針であるらしい。

今の保守派が行っている歴史認識に関する議論は正直、稚拙としか言いようがないもので、こんなものなら何もしない方がはるかにマシなのではないかと個人的には思うのだが、それにしても不思議なのは、「歴史戦」の重要性が強調される一方で英語教育のトレンドが相も変わらぬ会話重視だということだ。

英会話を重視するということは、文法を軽視するということである。そして、文法を軽視するということは要するに、英語は通じさえすればいいから文法的に間違いだらけの無茶苦茶な英語を話しても何の問題もない、という立場をとるということを意味する。

しかし、たとえ意味が通じたとしても、正式な英語と無茶苦茶な英語では聞き手が受ける印象は全く異なる。そして、往々にして、印象というものは言葉の意味よりもはるかに重要なのである。特に、「歴史認識」のような問題を議論する場合はそうである。

アメリカで反日プロパガンダを行っている連中というのは、幼少期からアメリカで暮らしているので英語だけはうまい。

逆にいえば英語がペラペラしゃべれるだけの連中なのだが、こういう連中は間違いなく、日本人の稚拙な英語につけ込んでくる。議論に負けそうになるとこちらの英語をあげつらったり、「あなたの話している英語は理解できない」などと逃げを打ったりするだろう。

このような連中を相手にするには(個人的には、完全に無視をした方がマシだと思うが)、こちらの方は格式ある英語で対抗する必要がある。

重要なのは、アメリカでこちらがどう見えるかということだ。説得力あるロジックを使って、格式ある英語で堂々と対応すれば、こちらが負けることはない。もちろん、反日外人は数と資金面で有利だが、少なくとも一方的に負けるということには絶対にならない。

ところが、今の英語教育のトレンドをみると、格式ある英語を使えるようにしなければいけない、という考えはどこにもない。英語は「コミュニケーションツール」なのだから通じればいい、という態度である。

しかし、「コミュニケーション」というのは相手に与える印象も含めてコミュニケーションである。コミュニケーションだからこそ品格ある英語を話すのは重要なので、意味が通じれば無茶苦茶な英語でいい、ということには全くならない。

大体、反日外人に英語の稚拙さをあげつらわれるなんて恥ずかしくないのか?僕はそんなことは絶対に我慢できない。だから僕は英語を使うときはできるだけ品格のある英語を使うように心がけているし、少なくとも反日外人に馬鹿にされないレベルの英語が使えるようになるように英語を勉強してきた。もちろん、僕の英語は完璧ではないが、自分の能力の許す限り品格ある英語を使うという姿勢を見せるだけで全然印象は違うのだ。

もし「歴史戦」を戦うつもりがあるのならば、まず日本の堕落しきった英語教育から手を付けなければならない。具体的には、今すぐにでも英語教育の目標を

・英語をペラペラはなすこと

から

・品格のある英語を使えるようになること

に転換しないといけない。そして実は、英語を流暢に話すには、品格のある英語をつかえるようになるための勉強をするのが一番効率がいいのである。

もしこれもできないのなら、英語ペラペラの反日外人相手に「歴史戦」に勝つなどはとても無理だろう。

電子出版した本

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

 

多分、世界で一番簡単なプログラミングの入門書です。プログラミングの入門書というのは文法が分かるだけで、プログラムをするというのはどういう事なのかさっぱりわからないものがほとんどですが、この本はHTMLファイルの生成、3Dアニメーション、楕円軌道の計算、 LISPコンパイラ(というよりLISPプログラムをPostScriptに変換するトランスレーター)、LZハフマン圧縮までやります。これを読めばゼロから初めて、実際に意味のあるプログラムをどうやって作っていけばいいかまで分かると思います。外部ライブラリーは使っていません。

世間は英語英語と煽りまくりですけれども、じゃあ具体的に英語をどうするのか?というと情報がぜんぜんないんですよね。なんだかやたら非効率だったり、全然意味のない精神論が多いです。この本には僕が英語を勉強した時の方法が全部書いてあります。この本の情報だけで、読む・書く・聞く・話すは一通り出来るようになると思います。

日本人の英語は幼稚だから問題なんだと思う

日本人の英語への関心にもかかわらず、日本人が英語が苦手というのは言うまでもなく、誰でも知っていることだろう。

教育の話でも、いつも話題になるのはどうやって日本人の駄目な英語を改善するかということだ。

まあ、これまで見当違いなことばかりいっていたのに新しくそのような議論をしたところでまともな英語教育に関する意見が出てくるはずもないが、とにかく日本人の英語熱だけは相変わらずのようである。

それで、日本人が英語教育の話をするのを聞いていて問題だと思うのは、どうも日本人は英語が下手だというのは英語を流暢に話せないことだと考えているらしいということだ。

実際に日本人が英語教育の話をしているのを聞くと、それはいかに日本人が英語を流暢に話せるようにするか、というものばかりである。

しかし、僕が思うに、日本人の英語で問題なのは英語が流暢でないことではなく、日本人が書いたり話したりする英語が幼稚であることだと思う。

まず日本人が書いたり話したりしている英語は構文からして幼稚である。

それはなんだか、小学校の低学年の生徒が書く作文みたいな英語である。なんで小学校の作文みたいになるか?もちろん、日本人が英語を話すことに不慣れなのもあるだろう。しかし、日本人の英語には関係代名詞も分詞構文も出てこない。

関係代名詞や分詞構文を使わずに流暢な英語を話すには相当なレベルの語学力が必要になる。単純な構文を使えば英語が簡単に話せる、というようなことを言っている連中がいるが、逆だ。単純な構文で言いたいことを100パーセント言い表すことこそが真に難しいのである。

シンプルな英文というのは当然、受け取る側にはストレートに伝わる自然な英語だから、書いたり話すのも簡単だと思われやすい。しかし、そのようにストレートに伝わる表現は相当の語学力があって初めて出てくるもので、語学力がない人がこれを真似ようとしたら悲惨なことになる。

関係代名詞や分詞構文を自然に使うことができれば、英語を書いたり話したりする際の選択肢もそれだけ広がる。選択肢が広いとそれだけ必要な英語を探し出すのも早くなるから英語もそれだけ流暢になる。ところどころにフォーマルな英語で使われる構文を入れると聞き手の印象も全く違ってくるだろう。

日本人の英語で問題なのは構文だけではない。使っている語彙も幼稚でレベルが低い。

語彙のレベルが低いと何が問題か?実は語彙というのは低級であるほど使うのが難しく、高級なほど使うのが簡単である。なぜならば、高級な語彙というのは低級な語彙ではなかなか説明ができないようなことを一言でいうためにあるものだからだ。

ところが、日本人は英語はアメリカの子供が使っているような単語だけ知っていればいいと思っているから、便利に使える高級な語彙を使えない。英語が下手なのに高級な語彙を使えないのだからこれは悲惨なことになるに決まっている。

だいたい、程度の低い語彙しか使えないのはみっともない。

語彙の程度は語彙というのは直接的に話者であったり書き手がどのような人物であるのかが直接的に反映される。語彙というのは普段どのようなコンテンツを摂取しているかで決まってくるから、語彙の程度も低いということは程度の低いコンテンツにしか関心のない馬鹿であると言っているようなものなのだ。

簡単に言うと、語彙が幼稚な人間は馬鹿だと思われても仕方がない。逆に、いくら英語が苦手でも、ところどころに高級な語彙を使っていれば印象は全然違ってくる。

そう考えると、英語の勉強をするには世間で信じられていることの逆をすればいいことが分かる。英語を話すのに文法はいらない、と言っている連中がいれば、英語をつかうのに役に立つ文法の知識を積極的に取り入れる。英語は簡単な単語で話せる、と言っている連中がいれば、少しばかりフォーマルでも使えそうな語彙はどんどん覚える。大変なようだが、実はそれが一番楽なのだ。

日本人が英語を話す場合、相手はそれなりに教育がある場合が多いだろう。だから、日本人の方もそれなりの英語を話すべきだ。英語が苦手でも、それなりの英語を話そうとする姿勢は示せる。日本人の英語がいつまでたっても幼稚なのは、この姿勢の欠如が英語に反映しているからだし、そのような舐めた態度で英語をやっているから英語が一向に上達しないのだと思う。

Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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これまでネットしてた時間を全部他のことに使ってたらどうだったんだろう

今日はネットをせずに一日中片付けをしていた。なので当然ネットからの情報はゼロだっだ。今日世間で何が話題になったのかも全然分からない。

しかし、ではネットをせずに一日中片付けをしていたから今日は何もない一日だったか、というと、正直一日中ネットしている普段の一日よりもかなり充実してた一日だったような気がする。

これまでの一日と今日を比較すれば、ネットをせずに過ごした今日よりもよい過ごし方をした日というのはほとんど無いと思う。

しかし、それならば僕は今まで何のためにネットをやっていたのだろうか?

今日一日ネットから離れて過ごしてみると、はっきりいって、いままでネットをしていた時間は他のことに使った方がよかったかもな、と本当に思えてきた。

情報というのは何が役に立つのがわからないから、どうしても取り過ぎになりがちになる。情報を取れば取るほど役に立つ情報が集まり、その結果として人生をより良く生きる事ができるような気がしてくるのだ。

そして、実際にネットをしていると、いろいろ役に立つ情報が流れてくる。

しかし、たしかにネットの情報には価値のあるものがあったとしても、実は自分は必要な情報はすでに全部知っているのではないか?自分がネットをするというのは、ある意味ではぜんぜん意味がないのではないか?

たとえ価値のある情報だったとしても、それが自分に必要であるかどうかはまた別の話なのだが、どうも自分はこのことについてあまり区別をしないで生きてきたような気がする。

今日ネットをせずに過ごしてそのようなことを強く感じた。

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Common Lispと関数型プログラミングの基礎

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イラク戦争と「ロシア疑惑」

最近フリンがFBIに偽証した罪で起訴されたということで、またリベラル派の大騒ぎが始まった。

しかし、リベラル派が騒げば騒ぐほど、「ロシア疑惑」はイラク戦争のようなものに思えてくるのは僕だけだろうか?

イラク戦争というのは今改めて考えてみても本当に訳の分からない戦争だった。9/11にマンハッタンで起きた同時多発テロの後の狂乱状態の中で、それは何のためにやるのかはっきりしないまま始まった戦争だった。

今から考えると信じられない事だが、イラク戦争が始まった当時、多くのリベラル派とアメリカのリベラルメディアは、サダム・フセインオサマ・ビン・ラディンと共に同時多発テロを引き起こした犯人で、しかもすでに大量破壊兵器を所持していると信じていたのだ。

ところが、常識的に考えると、アラブ世界での世俗的独裁者の典型であったサダム・フセインビン・ラディンとの間に接点などあるはずもないのである。

それどころか、弾圧によって宗教的狂信を押さえこむことで世俗主義による国家の近代化を目指す立場だったフセインは、対テロ対策では西側諸国と利害を共有していたのだ。

イラク戦争の開戦の口実に使われた大量破壊兵器の存在に関しても、直接的な情報は何一つなく、イラクが査察に非協力的であるという間接的な事実があるだけだった。そして、イラクが査察の目的が本当に査察だけなのかを疑う理由もそれなりにあったのである。

結局、「ファクト」に基づいて始められたはずの戦争は、イラクの国際テロリズムに対する関与も、大量破壊兵器も全く存在しなかったという単純な事実を明らかにするだけで終わった。

そして、イラク戦争中、さらにはイラク戦争後にイラクで何が起こったのかは、国際情勢に関心を持つ者ならば誰でも知っているところである。

ここで改めて「ロシア疑惑」について考えてみると、イラク戦争と「ロシア疑惑」は非常に似ていることがわかる。

イラク戦争の開戦時、リベラル派にとって、サダムは邪悪な絶対悪だった。

サダムは邪悪な絶対悪なのだから、サダムは正義を体現するアメリカ人を滅ぼそうとしているに違いない。イラク戦争の背景にはこのような神学的なロジックがあった。

中世ヨーロッパのスコラ哲学者が自らの議論を真理であると信じたように、リベラル派にとってサダムがアメリカにとっての脅威であることは仮説ではなくて絶対的真理に他ならなかった。そして、イラク戦争はこの絶対的真理を検証するプロセスに過ぎなかったのだ。

いまリベラル派が大騒ぎしている「ロシア疑惑」も構造は全く同じである。

今回、邪悪な絶対悪になっているのはいうまでもなくトランプとロシアである。

トランプとロシアは邪悪な絶対悪なのだから、2016年の大統領選挙でもアメリカを破壊するために、アメリカ人が想像もできないような狡猾さでなにか邪悪なことをやったに決まっているのだ。なぜならば、邪悪なことを行うのは悪の本性だからである。もしこれを立証する証拠が見当たらなくても、それはトランプとロシアがあまりにも狡猾であるからにすぎない。悪魔が人間を騙すように、トランプとロシアも善良なアメリカ人を騙すことができる。しかし、いかに狡猾であってもトランプとロシアはアメリカ人を永遠に騙すことは出来ない。なぜなら、悪はその本性として不完全であるからである。したがって、善良なアメリカ市民が追求を続ければ証拠は必ず見つかる。

「ファクト・ファースト」などといいながら、リベラル派が示す行動様式の背景にあるのはこのようなことで、そこには「ファクト」を尊重しようという姿勢などはどこにもない。現実とは何の関係もない中世的迷妄があるばかりである。これらのリベラル派はいかにも時代の最先端を生きているような顔をしているが、実際には21世紀どころか中世を生きているような連中なのだ。

常識的に考えると、大統領選挙でロシアができることはほとんどない。確かにロシアによるサイバー攻撃はあるにはあったが、投票結果を疑った活動家が接戦州での再集計を行ったところ、逆にトランプの票の方が数百票多かったという結果だった。しかも、ロシアのサイバー攻撃は、アメリカのエージェントがロシアの大統領選挙で長年行ってきた工作活動に対する報復という意味合いが強いのである。

トランプ側がロシアから情報の提供を受けていたのではないかとリベラル派はいうが、そうだとしてもだから何だというのか?もしヒラリーが何か想像もつかないような犯罪行為を行っていたとすると、アメリカ国民はそれについて知る権利がある。もし情報が正しいならば後からマスコミによる後追いがあるし、虚偽であれば忘れ去られるだけのことだ。

司法妨害」に関しては全く話にならない。大統領がFBI長官に圧力をかけるのは合法である。なぜなら、FBI長官は大統領により任命されるからで、したがって大統領はFBI長官を解任することもできる。もしFBI長官が完全に大統領から独立しているならば、FBI長官は大統領によって任命されない。そもそもコミーの解任については司法省全体での合意があり、トランプが独断で行ったことではない。こんなことはコミーが解任された当時から言われていることなのに、いまでも馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返すリベラル派がいる。おそらく分かっていてやっているのだろう。

リベラル派はロシアの脅威を強調するが、では実際にどのような脅威があるか、となると、具体的な話は何もない。ロシアの干渉によって選挙の正当性が損なわれる、というような抽象的な話しかない。では、どのようにしてロシアが大統領選の結果を操作できるのか、というと具体的な議論は何もないし、サイバー攻撃を防ぐために電子投票を廃止するべき、と主張するリベラル派も見当たらない。

サダムの脅威が存在しなかったように、ロシアによってもたらされる具体的な脅威などは存在しない。ロシアによって具体的にアメリカ国民にどのような実害がもたらされるのか、僕はリベラル派から一度も聞いたことがない。脅威というならば、ロシアからの脅威よりもリベラルメディアとグローバル企業との共謀のほうが比べものにならないほどの脅威である。

とはいうものの、ロシアがアメリカのインフラなどにサイバー攻撃を仕掛けているのは確かで、しかもそのためにシステムが停止した例もあるのだが、このことについての報道は「ロシア疑惑」関連の報道の数十分の一だし、特にリベラル派が関心を持っていることでもない。

9/11の後、サダムの脅威などなにもないのにアメリカはイラクに侵攻した。今回の「ロシア疑惑」も同じ結末になるだろう。明らかに「ロシア疑惑」に関する捜査は行き詰まっており、世間の関心を調達するためにリベラル派が必死になって大騒ぎしているというのが現実だ。

日本では、アメリカは世界で最も合理的な国であるように考えられている。しかし、アメリカの実態をよく観察してみると、アメリカというのはかなりの部分が「ファクト」などとは何の関係もない神秘主義的な思考様式によって動いている国であることがよくわかる。今回の騒ぎによって、リベラル派の精神構造はイラク戦争の大惨事を経験した後でも何一つ変わっていないことが明らかになった。アメリカというのはありもしない脅威を信じ込んで戦争に突入し、想像を絶するコストを払ってもまだ同じことをやっている国であるということははっきりと認識される必要がある。

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投資を奨励する税制から消費を奨励する税制に転換すべきだ

一応、世の中では消費が大事と言うことになっている。

消費がないと不景気になるので、消費など必要ないという人は、一部のライフスタイルとして消費にまつわる面倒を敬遠する人を除いてあまりいない。

政治家などもいつも消費がどうこう言っている。

しかし、世間も政治家も、実際に本当に消費を重要と思っているのかは疑わしい。

世間も政治家も、どこかで消費は重要なのだが自分は消費したくない、と考えている節がある。

自分の店は繁盛してほしいが(つまり他の人には消費してほしいが)他人の店では買い物をしたくない自営業者のようなものだ。

そのような本音は、ここ数十年の税制にもはっきりと現れている。

ここ数十年の税金のトレンドを一言でいうと、それは消費を悪と見なす一方、投資を善であるとしてこれを奨励するものだったと思う。

消費がそんなに大事といいながら、消費税を減税しろとか、さらには消費税を廃止しろという声が世間には全くと言っていいほど聞かれない。

その一方で、財政が危機的だと口を揃えていう割には高所得者に対する課税は一向に進む気配がない。

なぜならば、投資は善なので資産を投資している高所得者は優遇しないといけないのである。

結果として、世の中ではカネがジャブジャブと溢れかえっているはずなのに人々にカネが行き渡ることがなく(それは日本国民が選択したことであるが)日本は衰退する一方、というのがここ数十年の日本社会だった。

僕は、これからの日本の税制は、累進課税を強化する一方で大々的に控除を認めればいいと思う。

たとえば、インボイスみたいなシステムを使って、課税額から消費した分を15%還付するというのはどうか?

15%税金が還付されるということは、高収入の人は15%引きでものを買えるということだ。

そうすれば、高収入な人にも消費をするインセンティブが生じるし、高収入な人がカネを使えば低収入の人にもカネが行き渡る。

僕は、投資を奨励する税制というのは実は全く時代遅れなのではないかと思う。

自分の店だけ繁盛してほしい馬鹿な自営業者みたいに振る舞うのはもう止めるべきだ。

最近の情報技術も活用して、もっとましな課税システムを構成すべきなのである。

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言論の自由と比べたらヘイトスピーチなんてどうでもいい

最近「ヘイトスピーチを許すな」などと言って言論の自由を規制しようとする動きが至るところでみられるが、これは社会にとってきわめて危険な傾向である。

なぜ「ヘイトスピーチ」を規制するのが危険なのかというと、大抵の「差別」にはそれなりの理由があることが多いからだ。

左翼は差別がなぜ存在するのかを問うことは絶対にないが、差別というものは何の根拠もないものであることはあまりなく、実際になんらかの危険であったり、被害があったりするのが普通である。

もし左翼がほのめかすように「弱者」が100パーセント善良ならば話は簡単である。しかし残念なことに、真実というものは万人がハッピーになれるようなものであることはほとんどない。基本的に、真実というものは不都合なものであると言っていい。

それなのに、もしマイノリティーに不都合な指摘をしただけで「ヘイト」だとか「差別」ということになるならば、何が真実なのか全く分からなくなる。

もう一つの問題は、「ヘイトスピーチ」を規制すると人々が本当に何を考えているのかが分からなくなることだ。

もし人々が一年中綺麗事を並べ立てる世の中になれば一見「差別」はなくなって左翼は大喜びだろうが、重要なのは建前ではなくて本音の方である。

ヘイトスピーチ」がない社会というのは人々の建前と本音が際限なく乖離していく社会だから、どれほどの強権によって押さえつけてもいづれそのバランスは崩壊する。そうなったら、「ヘイトスピーチ」どころではない「ヘイト」が社会を吹き荒れることになるだろう。

結局、「ヘイトスピーチ」の規制なんて意味がないのだ。弾圧によって表現を規制できても、人が何を考えるのかを規制することはできない。そして、表現を規制することで人の思想を規制することもできない。なぜならば、多くの場合、偏見の背後にはそれなりにもっともな理由があるからだ。

表現を規制するということは、権力が特定の考えを持つことを禁止すると言うことである。それでは言論というものが成立せず、従って何が真実なのかを知ることもできない。だから「ヘイトスピーチ」を規制しようという考えは恐ろしい。

今の日本で「ヘイトスピーチ」を規制する必要は全くない。

「ヘイト」のターゲットになる人間はほぼ100パーセント、「ヘイト」を招くような発言なり活動なりをしているものだ。

そのような発言なり活動なりをする者は、そのことによって自分が「ヘイト」のターゲットになることを覚悟するべきで、もしその覚悟がないならば初めからそのようなことはすべきではない。

僕もブログのアクセスが今よりもあった頃はたまに、こちらを不快にすることだけを目的にしているような不愉快なコメントを書き込まれた。しかし、だからといって僕はその「ヘイト」満載のコメントをぶつけてきた者のIDを抹消すべきと考えたことは一度もない。

なぜなら、僕は自分が「ヘイト」のターゲットになる覚悟をもってブログを書いているからだ。そして、「ヘイト」を表明する自由は言論の自由、もっといえば真実を知る自由にとって重要であると考えているからだ。

ある種の左翼はそのような覚悟もないくせに、自分で「ヘイト」を招くようなことをしながら(それが左翼版の「ヘイト」であることも少なくない)「ヘイトスピーチ」を違法化しろ、と喚く。見当違いも甚だしいし、甘ったれるんじゃないよと言いたい。

言論の自由と比べたら「ヘイトスピーチ」なんてはっきりいってどうでもいい。言論の自由がないということは、権力によって嘘を信じることを強制されるということである。権力が思想を規制し始めることほど恐ろしいことはない。だから、「ヘイト」がどうのこうのと喚く左翼には断固とした態度を取らないといけないのだ。

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ベーシックインカムは国民に対する投資と考えるべきだ

ガーディアンでベーシックインカム関連の記事を読んだ。

今、フィンランドでは2,000人を対象に全く条件なしで、一月に一人あたり500ユーロを銀行口座に入金するというプロジェクトが行われているということで、ガーディアンのライターがフィンランドに取材に行って書いた記事である。

www.theguardian.com

記事は今まで生活保護でくらしてきた男性を取り上げている。記事によるとこの男性はベーシックインカムによる収入が得られるようになってから以前よりも熱心に働くようになったのだという。

実はこの男性が国から受け取るカネは実は以前とは変わらないらしいが(だからベーシックインカムへの支持が広まっているのだが)それなのになぜ以前よりも熱心に働くようになったのかというと(正直男性が何をしているのかこの記事からはよく分からないのだが)とにかく生活保護とは違ってカネの使い道が制限されていないため意欲的に経済活動が行えるようになったからだという。

この記事を読んで、僕は世の中のベーシックインカムに対する見方は根本的に改められる必要があると改めて思った。

働くためにはカネがかかる。交通費などは典型的だ。面接のために少し移動するだけで簡単に1,000円くらい吹っ飛んでしまう。

連絡用に必要なスマートフォンだって月に何千円もかかる。これが通話し放題でいつも300k出るようなプランが1,000円程度であればよいが、世の中は全然そのようにはなっていない。何だかんだで大手キャリアのぼったくりプランを契約しないとなにかと不便するようになっている。

これで地元をはなれて就職活動をするとなると何十万単位でカネがかかるだろう。

だから働きたい人はまず、働くために働くことになる場合が少なくないが、考えてみたら就職活動のために働くというのは無駄以外の何でもない。

まずバイトならばバイト先を決めるのに何回も面接をしなければならないし、決まったバイト先に関する面接以外にかかるコスト(時間、交通費、昼食代など)はすべて無駄である。そもそも、就職活動をするために働いている時間そのものが無駄である。バイトをしている間も歳は食うのだ。

ベーシックインカムがあればこのような馬鹿なことはない。働きたい場合はすぐにでも就職活動できる。

あるいは、就職のために何か技術を身につけるというのも広義の就職活動と言えるだろう。

たとえば、IT産業で働くためにITの勉強をする場合は当然パソコンが必要になるが、ベーシックインカムがあればITの勉強を始めようと思ったその日に誰でもパソコンや参考書籍を買うことが出来る。ITの勉強をするために働くなんて事はしなくていいのだ。何でITの勉強をするために全く関係のない仕事をしないといけないのか?時間と労力の無駄である。

僕は、ベーシックインカムは国民に対する投資と考えるべきだと思う。結局、先立つものはカネなのだ。カネがなければ、はてな的にいうならば「服を買いに行くための服がない」という状態になって身動きが出来なくなる。身動きができないまま年だけ食っていくのは全く無駄以外の何物でもない。

カネがあることで、人は却って意欲的になる。そんなのは貧困層と富裕層を比較すれば分かることだ。カネがあるために裕福な家庭の子供が無気力になるとか、カネがないから貧しい家庭の子供が意欲的になるかというとそんなことはない。全体的に考えると、どう考えても裕福な家庭の出身者の方が(まあ、なにを意欲的とみるかにもよるが)意欲的だし、貧しい家庭の出身者は無気力である。ベーシックインカムは人を無気力にするというが、逆だ。カネがないから無気力になり、カネがあるから意欲的になるのである。

僕はベーシックインカムはいずれ絶対に来ると考えている。「働かざる者食うべからず」という幼稚な考えに基づく今のリソースの分配システムが持続不可能なのは明らかで、このことが周知されればベーシックインカムはインターネットやスマートフォンのように当たり前になるだろう。その時期は普通の人が考えているより遙かに早いと思う。

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