グローバル引きこもり的ブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。メール → acc4297gアットマークgmail.com

「ヘイト本」の反対は真実か?

ヘイト本、一方的に送りつけられ… まちの本屋の苦悩

https://www.asahi.com/articles/ASN2Q7SMLN28UCVL005.html

実のところ、ベストセラーとなるような本というのは価値のない本など1冊もなく、すべて何らかの価値があると思う。それらの本には何らかの形でいくらかの真実が反映されており、そのためにベストセラーはベストセラーになるのである。これは「ヘイト本」に関しても例外ではない。これら「ヘイト本」の著者の見識は往々にしてあまりに一面的であるけれども、一面的だからといって「ヘイト本」の内容がすべて間違っているということにはならない。一面的な本にはただ事実の一面が書いてあるだけである。もし「ヘイト本」の内容がすべて虚偽であるならば、ヘイト本の内容と正反対の本は真実そのものであるはずだが、そんなことがあるわけないのは理性があるものならば誰でも分かっていることで、結局は「ヘイト本」も「反ヘイト本」も同じようなものなのである。「ヘイト本」も「反ヘイト本」も、司法制度のようなものではないだろうか。検事は被告の刑罰をできるだけ重くしようとする。弁護士は被告の刑罰をできるだけ軽くしようとする。「ヘイト本」を出版するな!という主張は、弁護士は悪人を弁護するな!と言うようなものである。検事と弁護士の両者があって初めて事実が明らかになる。検事だけでも、弁護士だけでも真実は分からない。本の世界も同じだ。全く異なった価値観によって書かれた本があってこそ真実が明らかになるのである。