子育てに正解はない。しかしリスキーな子育てはある。
子育てに正解はあるのか、というのは重要な問題である。これは言いかえると、どのような子育てを成功とするのか、という話だが、今日はこれについて論じようと思う。
この問題について考えるとき、僕はグレン・グールドの事を考える。グールドといっても知らない人がほとんどだと思うが、知らない人はとりあえず次の動画を見ていただきたい。
まあ、このように脳みそとピアノが直結しているような感じのピアニストで、明らかに普通の人ではない事が分かると思う。グールドの演奏はこれまでのピアノ演奏とは全く異なっていて、当時の音楽業界に衝撃を与えた。要するにこれまでロマン派的にピアノが弾かれている中、いきなりピアノをウェーベルン的なセンスで演奏したわけで、しかもこれを世間に大ウケするやり方でやったものだからインパクトが大きかったのである。
このようなグールドの音楽の在り方はグールドの育ち方と強い関係があるだろう。グールドの母親はフローレンス・グールドといって、ピアノと声楽の教師をしていた人物である。声楽家としてなにか活動をしていたという形跡は特にない。たぶん、歌がうまかったから声楽家になったというよりは、ピアノの方で見込みがないから声楽を勉強することになったタイプである。性格的にはかなり偏狭な性格で、音楽的にもそうであったという(グールドの前衛指向はこのことに対する反動もあるだろう)。性格的な問題のために結婚がおくれたのか、40歳で一人息子のグールドを出産している。
フローレンス・グールドは子供が生まれたら一流のピアニストに育てるつもりだと妊娠中から周りに吹聴していたらしい。自分の才能にコンプレックスがあるので子供を天才にして逆転を狙うという、よくある話である。当然、グールドの教育には非常に熱心で、子供のころから和声の構成音を当てさせるとか、歌いながらピアノを弾かせるなどソルフェージュを意識した教育をしていた。歌いながらピアノを弾くというグールドの習性はこのころからのものである。グールドは少年時代、プロのオルガン奏者として教会でオルガンを演奏していたことがあったが、グールドがこのように貴重な経験が出来たのもフローレンス・グールドの熱心さに負う所が大きかったに違いない。グールドのピアノの演奏の仕方は少しハープシコードの弾き方に似ているのだが、これにはオルガンを演奏していた経験が少なからず影響しているはずである。
このように熱心な教育の甲斐もあり、グールドは10歳でトロント王立音楽院に入学して12歳で卒業している。まだ子供なのにトップクラスの音大を卒業してしまったわけである。王立音楽院を卒業した後は、引き続き個人で音楽教師に習ったり、高校に行ったりする傍ら徐々にプロのピアニストとして活動を始めていたようである。
そして23歳の時にゴールドベルク変奏曲のレコードをリリースして、世界的に大ブレイクした。
その他に指揮をしたり
作曲をすることもあった。
このように音楽家として華々しく活動していたグールドだが、その一方ではこの頃すでに完全なメンヘラになっていた。
夏でもコートと手袋を着用し、極端に病気を恐れ、人と握手も出来なくなった。大量に精神病のクスリを服用し、食生活も無茶苦茶でビスケットしか口にしない時期もあったという。墜落を恐れて飛行機に乗れなくなり、どうしても移動しなければいけないときは長い距離でも自動車を運転した。周りの人間が飛行機のほうが安全だといくら説明しても無駄だった。子供の頃から使っている椅子以外の椅子を使う事ができず、いつでもクッションを取り除いて骨組みだけになった椅子に座ってピアノを弾いた。何一つものを捨てることができず、ものが部屋に収納しきれなくなるたびに新しく部屋を借りたので家を何件も借りていた。元々グールドは作曲家になりたかったのだが、継続して作曲に取り組めるような精神状態ではすでになく、新しい作品に取り組んでは投げ出すという事を繰り返した。
このような状況だから、グールドにとって各地でライブ演奏をして回る事は大変な負担だった。結局なにもかもが耐えられなくなり、30歳くらいでライブ活動を完全に辞めて録音だけすることになるのだが、ライブをやめる事で生活はますますメンヘラ的になり、昼夜も完全に逆転した。寂しがり屋のグールドは深夜に電話を掛けては知人を叩き起こし、長電話をするのが習慣だった。そういう迷惑な事をしていると、そのうち親しかった知人とも気まずくなって疎遠になってしまうのは言うまでもない。グールドの人生はこのような事の連続だった。
この種の天才にありがちなように、グールドは他人と建設的な関係を作るのが苦手だった。グールドの音楽からは中味が子供のまま大人にならざるを得なかった人間の孤独感が伝わってくる。
ライブをせず、教えることもしなかったグールドは、かなり早いペースで仕事を進めた。
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しかし晩年には心身ともにボロボロになり、50才で急逝した。
後には録音、映像、そして膨大な数の遺品が残された。これらはカナダの国宝として、一つ残らずカナダ国立図書・資料館に収蔵されている。
子育てに正解はない。しかしハイリスクな子育てはある。
グールドの生涯を考えるとき、フローレンス・グールドの教育は成功だったのだろうか?
子供から悪いものを徹底的に遠ざけ、良いものだけを与える、というフローレンス・グールドの子育てのおかげで確かにグールドは天才になったが、社会的には完全に破綻した人間になった。フローレンス・グールドの教育には強烈な副作用があったのだ。この手の子育ての利益が副作用を上回るかは場合による。しかしながら、もしうまくいった場合でも、この副作用は一生にわたって足を引っ張る働きをする、という事は注意する必要があるだろう。グールドはピアニストとして絶対的な仕事をしたが、有り余る天分を持ちながらも結局出来たのはピアノを演奏することだけだった、とも言える。
どのような子育てがよいかは、誰にとってのよい子育てか、による。文明の歴史を見ると、孤独な人間が孤独であるために大きな仕事をする、という事がよくある。もしグールドの人生がハッピーなものだったとしたら、グールドの演奏はあれほどの説得力を持たないと思うし、人類の歴史という観点から見るとグールド個人の幸・不幸などはどうでもよい。グールドの陰には失敗だけして栄光などは何一つない人間が山のようにいたわけだが、これも人類の歴史という観点から見るとどうでもいいといえばどうでもいい。なので、フローレンス・グールドが行ったようなハイリスク・ハイリターンの教育は簡単には否定できないし、これからもなくならない。
それでも、このような教育がハイリスク・ハイリターンのものであること自体は広く知られるべきだと僕は思う。教育というのはどうしても成功例ばかりが喧伝され、失敗例のほうは一向につたわらない。下らない例を言えば、最近の理Ⅲの母などはまさにこの典型だろう。このエントリーがハイリスク・ハイリターンの教育には強烈な副作用があるという事の理解に少しでもつながれば、と願うばかりだ。